「神の霊の宿っている人」創世記41章28~40節

「彼の主人は、主が彼とともにおられ、主が彼のすることすべてを成功させてくださるのを見た。」(創世記39・2)とあるように、ヨセフのすることは全て祝福されました。そのヨセフは、成人となっている兄たちから殺されそうになり、奴隷としてエジプトに売られていたのです。私たちの人生では苦難も試練もありますが、それは敵や悪人によってされることであり、自らの罪の故の試練とは区別しなければなりません。ヨセフは、人を恨んだり、憎んだりしていないのです。自分の試練を嘆いても、嫌がってもいないのです。

私は箴言を度々読みます。「愚か者」という言葉に印を付けると、自分の戒めになります。確かに、世の中に「愚か者」は多いのです。皆さんが誠実に正しく歩もうとするならば、愚か者とは親しく言葉を交わさず、相手にしない方が良いでしょう。「愚かな者の友となる者は害を受ける。」(箴言13・20)。「ヨセフは奴隷となっても、周囲の者と同化せず、心を見張り、だからこそ、「主が彼とともにおられ」たのです。力の限り見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれから湧く。」(箴言4・23)。

愚かな人は自分の生活をチェックしません。欲望のままにやりたいことをしているだけです。テレビの娯楽番組を観て「ワハハ」と笑っている者を愚か者と言います。ただ、時間と自分の心が消費されていくだけです。同じ一日、一年が愚か者と知恵のある者では、全く違ってくるのです。皆さんは、「主が共におられ」、自分のすること全てを祝福されるように、心を見張らなければなりません。自分の人生が、祝福されていないのならば、悔い改めなければなりません。しかし、愚か者は心を吟味することはしません。

祝福されたヨセフを見て、主人の妻が強引に姦淫に引き入れようとしました。それがかなわぬと、偽証をしてヨセフを監獄に入れました。「監獄の長は、ヨセフの手に任せたことについては何も干渉しなかった。それは主が彼とともにおられ、彼が何をしても、主がそれを成功させてくださったからである。」(創世記39・23)。妻は大腸がんになり、脊柱管狭窄症になりましたが、今は全く治っています。私も不整脈や通風で苦しみ、肝臓を悪くしましたが、今は元気です。治そうと決心しているからです。「病気です。」と自分の弱さを訴え、仕事を減らそうとはしていません。医者任せにもしていません。治るために自分をチェックしているのです。愚か者や不信仰者と親しく言葉を交わし、心を許してはいけません。堕落や不信仰、正当化は、手の届く所にあるのです。神の霊が宿る為には言葉遊びしている者と親しくしてはいけません。

ヨセフが17歳の時に奴隷として売られ、王に取り立てられたのは30歳です。13年間の奴隷や囚人生活が続き、夢を解き明かした献酌官長にも忘れられて2年、ヨセフは決して自らの心を貶めなかったのです。多くの人が心を欲望に捕らえられています。悩み、苦しみ、悲しみ、怒り、に囚われている人もいます。祈ることができない人も多いのです。祈っているふりをして、実際には神に心を注いでいない場合が多いのです。「神の霊が宿る」ためには、思い煩いを振り捨てなければできません。自己主張も、神の前には僭越です。謙虚でなければ、神は私たちを導き祝福してはくださいません。

 パロの前に出たヨセフは、「私ではありません。神がパロの繁栄を知らせてくださるのです。」(41・16)と媚びることも、驕ることもなく、謙遜に神に栄光を帰して話します。そして、夢を解き明かし、「それゆえ、今、パロは、さとくて知恵のある人を見つけ、その者をエジプトの国の上に置かれますように。」(33)と対策まで助言します。

 苦難に対して、具体的に対策のできる人は優秀です。多くの人は、災害や問題が起こることがわかっていても、周りがやらないなら自分もしなくても良いと考えています。都合の良い夢ばかり描いて、何もしないのです。ご自分の人生を振り返って、何もしていない、何もなっていない、神の国に繋がっていないことに気が付き、悔い改めるなら遅くはありません。実は、そのような自称クリスチャンは多いのです。それは、神の責任ではなく、その人の怠慢と罪の結果なのです。人生最大の苦難は、神の国に入れないことです。ところが、愚か者はその裁きの座に立つまで、自分が神の御霊に導かれていないことに気が付かないのです。

 「神の霊の宿っている人」は、聖霊の時代では、それほど稀ではありません。ヨセフは、父ヤコブと兄弟を呼び寄せて苦難から救い出しました。神の警告を聞き留め、災いに備える人は幸いです。7年の飢饉の前に7年の豊作がありました。豊かな時に使ってしまい、貯えていない人は悲劇です。その人は知恵を放棄したからです。神に全てを委ねているというのは、無責任であるという言い訳です。私たちの能力も時間も富も神から預かったものです。愚か者は、この管理責任を放棄するのです。家族を大事にするためには、時間も知恵も尽くさなければなりません。神の国を大事にするのも同様です。毎日の生活を神の御霊に委ね、愚か者にならないように知恵を持って過ごし、使命を果たしていくのです。

創世記41章28~40節

  • 41:28 これは、私がパロに申し上げたとおり、神がなさろうとすることをパロに示されたのです。
  • 41:29 今すぐ、エジプト全土に七年間の大豊作が訪れます。
  • 41:30 それから、そのあと、七年間のききんが起こり、エジプトの地の豊作はみな忘れられます。ききんが地を荒れ果てさせ、
  • 41:31 この地の豊作は後に来るききんのため、跡もわからなくなります。そのききんは、非常にきびしいからです。
  • 41:32 夢が二度パロにくり返されたのは、このことが神によって定められ、神がすみやかにこれをなさるからです。
  • 41:33 それゆえ、今、パロは、さとくて知恵のある人を見つけ、その者をエジプトの国の上に置かれますように。
  • 41:34 パロは、国中に監督官を任命するよう行動を起こされ、豊作の七年間に、エジプトの地に、備えをなさいますように。
  • 41:35 彼らにこれからの豊作の年のすべての食糧を集めさせ、パロの権威のもとに、町々に穀物をたくわえ、保管させるためです。
  • 41:36 その食糧は、エジプトの国に起こる七年のききんのための、国のたくわえとなさいますように。この地がききんで滅びないためです。」
  • 41:37 このことは、パロとすべての家臣たちの心にかなった。
  • 41:38 そこでパロは家臣たちに言った。「神の霊の宿っているこのような人を、ほかに見つけることができようか。」
  • 41:39 パロはヨセフに言った。「神がこれらすべてのことをあなたに知らされたのであれば、あなたのように、さとくて知恵のある者はほかにいない。
  • 41:40 あなたは私の家を治めてくれ。私の民はみな、あなたの命令に従おう。私があなたにまさっているのは王位だけだ。」