「全人類の母。」創世記3章20節 櫻井圀郎協力牧師

 「人は、彼の妻をエバと名付けた。彼女は生き物のすべての母となるゆえにである。」

Ⅰ 人

殆どの日本人が「人は猿から生まれた」と信じながら、祖先である猿を見下しています。それが「進化論」です。強者による弱者支配です。政治家や大企業や大組織に依存する体質ですが、自分は劣後者という告白であり、情けない対応です。

「人(アダム)」は、神の創造された世界を治めるために創造されたものです。神の代官なのに、悪魔の誘惑に乗り、神との契約を破ります。全く根拠のない嘘に騙されるのです。

悪魔は、現代社会にも働き続けています。オレオレ詐欺、投資詐欺、老人ホームや美容エステ、進学塾、結婚相談所などの前金詐欺など。労使関係、下請関係、営業関係でも、政府や行政の説明も鵜呑みにはできません。

根本は、神の物を自分の物であるとする誤解にあります。この瞬間から罪人です。現代社会の諸問題の根源はここにあります。

   Ⅱ 女

「人(アダム)」は、一人だけで創造されたのではありません。「神は人(アダム)を神の象に創造した。神の象に人(アダム)を創造し、男(ザカル)と女(ネケバー)を創造した」のです。最初から男(ザカル)と女(ネケバー)との二人だったのです。それに対して、「神が男(イシュ)の肋骨から女(イシャー)を造った」という記事があり、矛盾するようですが、この話の基本は「相応しい助け手」にあります。ゆえに、「男(イシュ)は女(イシャー)と結び合い、一体となる」のであり、「男と女」というより「夫(イシュ)と妻(イシャー)」です。「男(ザカル)と女(ネケバー)」とは別だとわかります。

聖書は、この「男と女の関係」を「神と人との契約」に展開します。神を夫とし、人を妻とする契約です。婚姻は「両性の合意のみに基づいて成立」(日本国憲法)する契約です。神と私たちとの関係は、生まれ、身分、居住地、職業、財産、献金の多寡などによるのでなく、意思と意思の合致によるのです。神の言葉に対応する信仰によって、神との婚姻関係が成立するのです。「婚姻」と「結婚」とも混同しないように注意が必要です。「結婚」とは「婚姻の成立」のことです。結婚式の誓約で「終生変わらぬ愛」を誓ったと同様、神との婚姻関係においても終生変わらぬ愛=信仰が求められます。

一度信じて救われたからもう大丈夫、そんなものではないのです。終生、信仰を貫き通すことが求められているのです。

 Ⅲ 母 

アダムは妻に「エバ」という名前を付けます。「生けるものの母」という意味です。「母」とは、第一に、血族の直系尊属一親等の女性(実母)です。子を産み、育み、教え、世に輩出する存在です。この世に存在する人はすべて母から生まれた者です。

第二に、養子縁組による「養母」です。生みの親ではなくとも、育ての親として、大切な役割を果たしています。

第三に、姻族の直系尊属一親等の、いわゆる「義母」です。

この「義」という字の意味は複雑です。⑴義父、義母、義兄弟、義足、義眼、義歯など、「偽」の意味。⑵赤穂義士、義民宗吾、災害支援の義捐金など、「自己犠牲」の意味。⑶正義、大義、忠義、仁義などは、「道」の意味。⑷意義、語義、教義、定義などは、「意味」の意味。⑸基督教界では、義人、義とする、基督の義など、「正しい」という意味で使っています。

「母」、身分法上の関係ですが、転じて、生まれ育った国を「母国」、生まれ習得してきた言葉・言語を「母語」、勉強して卒業した学校を「母校」、信仰を育んだ教会を「母教会」と表現します。この「母」は、肉の母に準えた社会的な事象の説明とも言えますが、そうとは限りません。母国に育てられたという感覚を持つ者も、母語に育てられたとは言わないでしょう。むしろ、一定の関わりがある者間の共通認識、アイデンティティを表現するものでしょう。

さて、この「生けるもの」は、生物や動物ではありません。「神ヤハウェが鼻に生命の息を吹き込むと、人は生けるものとなった」と書かれています。つまり、「人」とは「神から生命の息を受けたもの」ということです。人は、動物の一種なのではなく、神から生命の息を受けたものということです。この「息」というヘブライ語は、「風」とも「霊」とも訳される言葉ですが、「神の霊」である「生命の霊」と理解するのが適正でしょう。神の霊を受けて生けるものとなるのであり、神の霊を受けていないものは生けるものではないということです。

エバが「全人類の母」ということは、「猿は人類の祖先ではない」ということです。猿が母だったら、何の夢もありません。将来を想像する「夢」は、人にだけ見ることができるものです。神の息ゆえです。猿の子孫なら、強者生存の法則が生きます。他人を騙す力があり、他人の物を強奪できる者が勝ちになります。社会の掟や国家の法律も、強者の弱者支配の道具になるでしょう。

 終末に向かう今の世、正義を求めるべき宗教者でも、論理を尽くして正義を貫くという姿勢を放棄して、手っ取り早く、政治家に擦り寄り、密約を結び、利権を得ようとする傾向が見られます。

 アイデンティティの相違です。「エバが人類の母」というアイデンティティは、神の言葉を信じる者であるという表現であり、神の言葉に属する者、神に属する者という告白でもあるからです。

創世記3章20節

  • 3:16 女にはこう言われた。「わたしは、あなたの苦しみとうめきを大いに増す。あなたは苦しんで子を産む。また、あなたは夫を恋い慕うが、彼はあなたを支配することになる。」
  • 3:17 また、人に言われた。「あなたが妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、大地は、あなたのゆえにのろわれる。あなたは一生の間、苦しんでそこから食を得ることになる。
  • 3:18 大地は、あなたに対して茨とあざみを生えさせ、あなたは野の草を食べる。
  • 3:19 あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついにはその大地に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたは土のちりだから、土のちりに帰るのだ。」
  • 3:20 人は妻の名をエバと呼んだ。彼女が、生きるものすべての母だからであった。
  • 3:21 神である【主】は、アダムとその妻のために、皮の衣を作って彼らに着せられた。