「囚われて何をするか。」 創世記40章1~8、20~23節 

現代の刑務所生活は、週40時間労働で土日祝日は休み、時給数十円で月に約4千円の収入、シャワーは短時間で週2回、トイレは休憩時間のみ、トイレ紙は月300枚、食事は労働食で1600Kカロリー、座り作業で1300Kカロリー、刑吏には絶対服従で自由がなく、8畳程度に5,6人が生活し、プライベートはないそうです。

祈りながら、霊的監獄にいる人々がいることも思いました。

・ 人間的監獄

監視や拘束、強制をする人々に囲まれて、自由に生きられない。

・ 経済的監獄

 生活に支障のあるくらいの収入しかないので何もできない。

・ 障害・病気的監獄

障害や病気のせいで、思うようなことができない。

・ 年齢の監獄

高齢や若さのせいで出来ない。

・ 環境的監獄

閉鎖的・因習的環境を抜け出すことが難しく、情報も得られない。

・ 思考的監獄

自分の囚われた考えから抜け出せない。

・ 欲望と快楽の監獄

快楽に溺れて抜け出せない。

・ 罪と犯罪の監獄

罪を犯すことを止められない。

神や仏に祈るといっても、お題目を唱えるだけで、神から聞こうとはしておらず、自らのできることや役割を考えていない人は多いものです。つまり、自分の思考や生活習慣に囚われており、そこから抜け出せないのです。自ら監獄を作っているのです。私は、地方の中高年齢層がこのような偏見の中に囚われて暮らし、そこから抜け出そうとしていないで福音を受け入れないことに途方にくれます。かれらは、罪の生活から解放されることを全く考えておらず、求めてもいないのです。

「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。」(ピリピ4・6)。これはクリスチャンの極意です。決して、因習に生きる不信者に惑わされてはいけません。

ヨセフは、兄たちに殺されかかり、奴隷に売られ、主人に見放されて監獄に入りました。それでも、めげずに誠実に努力し、人々の好意を得ました。当時、監獄に入れば出ることは難しく、その囚人たちはあれ荒んでいたはずです。「しかし、主はヨセフとともにおられ、彼に恵みを施し、監獄の長の心にかなうようにされた。」(39・21)。

 ヨセフは、囚人として入っても、決して卑屈になったり、悪に染まったりしませんでした。私たちクリスチャンが、神の祝福を得る為に必要なことは、「神の国と神の義を第一とする。」(マタイ6・33)ことです。これができずに、世の人々や因習を気にするならば、私たちは霊的監獄に入っているのです。それでは神の祝福を得ることはできません。

「神から生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。」(Ⅰヨハネ5・4)。

 百歳以上の高齢者は9万人もいて、その人々の特徴は、「毎日のルーティンがある」、「ポジティブな性格」、「食べ物の好き嫌いが少ない」、「タバコを吸わない」、「身だしなみに気を遣う」、「定期的に運動をする」、「社交的になる」、「ストレスを溜めない」などだそうです。更に105歳以上は6500人、110歳以上は141人だそうです。110歳以上の人は、認知機能が高く、糖尿病や高血圧、腎臓機能も良く、心臓の働きが良いことだそうです。また外出もしてよく歩くそうです。

 手術・入院して自覚したことは、甘えて生きたら身体が衰えるばかりだと思いました。神に忠実に生きる為には、120歳まで生きる努力をすることが大事だと悟った次第です。

祈祷会で話しましたが、パウロはローマで囚人として暮らしながら、逃亡奴隷オネシモを救いに導き、成熟したクリスチャンに育て、「彼は、以前はあなたによって役に立たない者でしたが、今は、あなたにとっても私にとっても役に立つ者となっています。」(ピレモン11)となっています。パウロは、「私の様子や私が何をしているかを、あなたがたもわかってもらうため」(エペソ6・21)、弟子を遣わします。それは、「あなたがたが真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」(ヨハネ8・32)と教えるためです。

 努力と誠実さを失わないヨセフが夢を解き明かした献酌官長は、ヨセフのことを忘れてしまいました。17歳で奴隷に売られたヨセフが、パロ王に用いられるのは30歳です。13年間、ヨセフは多くの試練にもめげずひるまず、神を信じ続け、努力を続けたのです。

創世記40章1~8、20~23節

  • 40:1 これらのことの後、エジプト王の献酌官と料理官が、その主君、エジプト王に対して過ちを犯した。
  • 40:2 ファラオは、この献酌官長と料理官長の二人の廷臣に対して怒り、
  • 40:3 彼らを侍従長の家に拘留した。それは、ヨセフが監禁されているのと同じ監獄であった。
  • 40:4 侍従長がヨセフを彼らの付き人にしたので、ヨセフは彼らの世話をした。彼らは、しばらく拘留されていた。
  • 40:5 さて、監獄に監禁されていた、エジプト王の献酌官と料理官は、二人とも同じ夜にそれぞれ夢を見た。その夢にはそれぞれ意味があった。
  • 40:6 朝、ヨセフが彼らのところに来て、見ると、彼らは顔色がすぐれなかった。
  • 40:7 それで彼は、自分の主人の家に一緒に拘留されている、このファラオの廷臣たちに「なぜ、今日、お二人は顔色がさえないのですか」と尋ねた。
  • 40:8 二人は答えた。「私たちは夢を見たが、それを解き明かす人がいない。」ヨセフは言った。「解き明かしは、神のなさることではありませんか。さあ、私に話してください。」
  • 40:20 三日目はファラオの誕生日であった。それで彼は、すべての家臣たちのために祝宴を催し、献酌官長と料理官長を家臣たちの中に呼び戻した。
  • 40:21 そうして献酌官長をその献酌の役に戻したので、彼はその杯をファラオの手に献げた。
  • 40:22 しかし、料理官長のほうは木につるした。ヨセフが彼らに解き明かしたとおりであった。
  • 40:23 ところが、献酌官長はヨセフのことを思い出さないで、忘れてしまった。