2022年5日22日 聖日礼拝

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今週のメッセージ
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「人はパンだけで生きるのではない。」 ヨハネ福音書21章2~13節

聖書研修会は信者さんの考え方を知るのに良い機会です。聖書に書かれていることをどのように理解したかを聞くのですが、ご本人は聖書的と考えても、実際には社会の考え方に基づいたものであることが多くあります。その本音を聞きながら、書かれているものの説明をして正していくのでラインでは聖書研修会は流せるものではないと思います。しかし、その経緯が、説教のヒントや信者理解にも繋がっています。

「イエスは苦しみを受けた後、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。」(3)。その40日間は、弟子たちにとっては、それまでの価値観、考え方からしてみれば、あり得ないことだったと思われます。

1. 死が終わりではない。

 死んだらおしまい、と考えていた人々にとって、死の先があること、永遠を考えさせられるものでした。この世での成功や幸せを求めることは、却って永遠の命を失うものであることを教えられたのです。

2. 世界を神が支配されている。

 人の権力によって無残な十字架刑を受けて死なれたイエス様が、神の大能によってよみがえられたのです。恐れるべきは、この世の権力や支配ではなく、人の評価でもなく、全能の神の基準にかなうかどうかでした。「父がご自分の権威をもって定めておられることです。」(7)

3. 救いの現実性と永遠のいのちの確信。

病や怪我を恐れ、長寿や無事故を願うことが、取るに足りないことであることがわかりました。生きるのも死ぬのも、神に依る永遠の命を知れば、判断基準ではなく、この人生を神の御心に適う聖めへの道として受け留めたのです。

4. 神の国に入る基準。

「神の国のことを語られた。」(3)のです。神の国に入る為には、人間の能力、知識、悟り、人格などすべての基準が意味なく、ただ神を信じて生きることが必要なのです。

5. キリストに教えられる。

 キリストに聞き、キリストに教えられなければ、人間は何もわからないのです。弟子たちは自分の経験ではなく、キリストに従って生きることを教えれました。

6. 聖霊によるバプテスマが必要。

聖書に基づき、神の御心に沿って神の国への道のりを歩むためには、キリストの御霊である聖霊に満たされて歩まなければならないと命じられました。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。」(4)。「聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。」(8)

7.福音宣教こそが、信者の使命。

「さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」(8)。

8.主は再び来られる。

「このイエスは、天に上って行くのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになります。」(11)

9.選ばれた人だけが、信者になる。
「お選びになった使徒たちに」(2)。これらの価値観は、全ての人間が共有することではなく、悟ることでも身に着けられることでもありません。

「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広く、そこから入っていく者が多いのです。いのちに至る門はなんと狭く、その道もなんと細いことでしょう。そして、それを見出す者はわずかです。」(マタイ7・13.14)。

「一千万救霊」などという言葉がありますが、キリスト教を商業的にしようとするこの世の思いのような気がします。伝道は、むろん「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。」(マタイ28・19)と言われたように、なるべく多くの人に伝える努力を命じられていますが、その成果は少ないことを覚悟しなければなりません。それは、この世と価値観が全く異なり、罪にまみれている人々には関心から外れたものだからです。

救いは確かなものであり、主イエスの復活も確かなものでした。それを信じる私たちには平安と喜びがあり、神の国への確信が御霊によってあります。その確信と福音を安請け合いしてはなりません。自己中心で、勝手な歩みをしている人が、この恵みに預かることはないのです。神の国には、悔い改めなければ決して入ることはできません。


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