2021年5月16日 聖日礼拝

Worship 4曲
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■マジェスティ

マジェスティ 主をあがめよ
ほまれと賛美 ささげよ
マジェスティ 王なるイエスの
力は流れる 御座より

高く掲げよ 主の御名を
御前にひれ伏し ほめよ主を
マジェスティ 王なるイエスの
十字架の御わざを たたえよ

Majesty Shu wo agameyo
homare to sambi sasageyo
Majesty ounaru Iesu no
chikara wa nagareru mizayori

takaku kakageyo Shu no minao
mimae ni hirefushi homeyo Shu wo
Majesty ounaru Iesu no
jujika no miwaza wo tataeyo

■365日

365日のなかで
あなたを こいしたう
日々のせいかつの中で
あなたに おもいをよせる

朝に 昼に 夜に たえず
あなたをほめつづける
わたしの主は まどろまない 眠らない
だからほめつづける

sanbyaku rokujuugonichi no nakade
Anatawo koishitau
hibino seikatsuno nakade
Anatani omoiwo yoseru

asani hiruni yoruni taezu
Anatawo home tsudsukeru
watashino Shuwa madoromanai memuranai
dakara home tsudsukeru

■注ぎたまえ主よ

注ぎたまえ主よ 恵みとあわれみを
天がひらくため祈る 聖霊のちからを

主の御霊よ触れたまえ 我が心に主の教会に
雨を降らせリバイバルを 来たらせたまえ
この地の上に

受ける価値なきわれら 御前にすすみ祈る
ああ栄光のみわざ 見させたまえ

sosogitamae Shuyo megumi to awaremi wo
ten ga hirakutame inoru seirei no chikara wo

Shu no mitamayo furetamae waga kokoro ni Shuno kyoukai ni
ame wo furase ribaibaru wo kitarase tamae
konochi no ueni

ukerukachi naki warera mimae ni susumi inoru
ah eikou no miwaza misase tamae

■スピリットソング

せいれいと愛とが
あなたを包むとき
心もたましいも 満たされ

あなたの心に
主がともに住み
古い自分は 過ぎ去る

ジーザス おお ジーザス
あなたの愛で
ジーザス おお ジーザス
心を 満たして

あなたの悲しみ
その目の涙も
すべてを主に ゆだねて

よろこびの歌を
ともに歌おう
あふれながれる 恵みを

Seireito aitoga
anatawo tsutsumutoki
kokoromo tamashiimo mitasare

anatano kokoroni
Syuga tomonisumi
furui jibunwa sugisaru

Jesus Oh Jesus
anatano aide
Jesus Oho Jesus
kokorowo mitashite

Anatano kanasimi
sonomeno namidamo
Subetewo Syuni yudanete

yorokobino utawo
tomoniutao
afurenagareru megumiwo

Spirit touch your church
Lord, we need Your grace and mercy
We need to pray like never before
We need the power of Your Holy Spirit
To open heaven’s door

Spirit, touch Your church
Stir the hearts of men
Revive us,Lord With Your passion once again
I want to care for others Like Jesus cares for me
Let Your rain fall upon me
Let we humbly come before You
We don’t deserve of you what we ask
But we yearn to see Your glory
Restore this dying land


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今週のメッセージ
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先週、「イエスの兄弟たちはイエスに向かって言った。『…、自分から公の場に出たいと思いながら、隠れた所で事を行う者はありません。あなたがこれらの事を行うのなら、自分を世に現しなさい。』兄弟たちもイエスを信じていなかったのである。」(ヨハネ7・3-5)と語りました。しかし、復活後の記述では、母マリヤと一緒に「イエスの兄弟たちと共に、みな心を合わせ、祈りに専念していた。」(14)とあり、その後、回心して忠実な信者となっていることがわかります。

弟ヤコブは、その後エルサレム教会の初代監督となり、使徒15章のエルサレム会議では、指導者として「異邦人を悩ませてはいけません。」(19)と割礼を受ける必要のないことを決定しています。ヤコブの手紙は彼が書いたもので、全教会に対する指導をしています。使徒ヨハネの兄ヤコブは既にヘロデ王に殺されています(使徒12・2)

先週、母マリヤが自分の理解できないことを心に留め、思い巡らしていたことをお話ししました。私たちは、自己中心ですから、自分の思い通りに人に期待し、人を動かそうとします。或は、人を批判し、否定します。日本の会議では、成果を出せない人を批判し、指導や降格をさせる内容が多く、建設的なことが議論されていません。議会でも同様です。そういう人の攻撃や批判の会話が多いと、家族では子供たちは結婚しようとは思わず、仕事もしたくなくなります。結局のところ、滅びの連鎖を繋げていくのです。

子どもと言えど、親と言えど、友人・知人と言えど、人の心はわかりませんし、勝手に心を探ろうとすることは傲慢です。ましてや、定義付けたり、裁いたりする権利はありません。

私がクリスチャンになり、人と迎合しなくなり、更には牧師になると言ったら、親しい人々から批判攻撃されました。自分の心情、価値観を説明してもわからないと思ったので放っておきました。ダビデが、「わが子ソロモンよ。あなたの父の神を知り、全き心と喜びの気持ちをもって神に仕えなさい。主はすべての心を探り、すべての思いの動機を読み取られるからである。」(Ⅰ歴代誌28・9)と諭したことを2日に語りました。息子たちの反逆や愚かさを嘆いた末に、ソロモンに語ったのです。

ともかく、イエス様の弟たちは救われて忠実な弟子になりました。ところが、日本では、自分の部下や家族に忠実さを要求する人が多くおります。これも人に要求することではなく、自らの心次第です。外面を良くしようとすると、内面が悪くなります。クリスチャンに自己満足はありません。聖めは我らの強い願いであり、動機です。

「水のバプテスマ」は私たちがこの世に死んで、神の国に生きることの願いであり、聖めの信仰告白です。イエス様は、「聖霊のバプテスマ」(5)を約束されました。聖霊のバプテスマは異言の祈りによって証明されるとするのが我が教団です。「異言を話す者は自分の徳を高めます」(1コリント14・4)、「私が異言で祈るなら、私の霊は祈る」(同14・14)とあり、聖霊のバプテスマ、そして異言の祈りは私たちを内側から聖めます。

なぜ、イエス様の昇天の後、弟子たちは一心に祈り続けたのでしょうか。彼らは、イエス様の弟たちと同様、自らの罪深さ、弱さ、傲慢さをわかっていたからです。

祈るかどうかで、その人の信仰深さや聖めがわかります。祈らない人は、自分の判断、知恵に従って生きています。聖霊が導くということをわかっていないので、まだ生まれながらの人です。祈るというのは、願い事をすることではありません。神に聞き、神に従う為には祈る以外にはないのです。そして、異言の祈りは、その人の霊性を聖くします。

異言の祈りを長く続けても、欲望の祈りをする人がいますが、その人は霊性は強くても、聖いわけではありません。信仰生活とは、聖めへの渇望です。神の国へ行けるかどうかの約束手形ではありません。イエス様が「神の国のことを語られた。」(1・3)のは、罪によって汚れたり惑わされたりすることのない国です。

「信仰がわかった。」、「真理がわかった。」という人がいますが、それでは救われたわけではありません。救いとは、自らの罪深さ、自己中心を悔い改めた人が与えられるものであって、悟りではないのです。そして、悟りか、救いかの明確な区別は、その人が聖められているかどうかで証明されるのです。祈っているといっても、それがお題目を唱えることや願い事の繰り返しでは、聖められはしません。

「教会員にも子どもにも期待はしていない。」と私の信念を言ったら、怒った人がいました。私は、それらの人の為、祈り愛しますが、どのようになるかは、本人次第です。神でもできないことを、人が期待してはいけません。残念ながら、自己主張の強い人は、殆ど救われてはいないか未熟なように思います。聖めとは、自我を捨てていくことだからです。そういうことがわかっていても、人を変えることはできない葛藤を、神も抱いているのだと思います。


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