ヨハネの福音書
「イエスを信じる人々は神の子どもとなる。」 ヨハネ1章1~14節
信仰者が信じるということも同様です。信じて言葉を発し、その如くこうどうすれば、そうなるのです。ところが、殆どの自称信仰者が、そのように行動していません。なぜ、聖書を読むのか、それは御言葉を信じて生きる為です。なぜ、祈るの […]
「死の様相と意味合い。」ヨハネ11章17~27、43~45節
イエス様の誕生は、「曙の光が、いと高き所から私たちに訪れ、暗闇と死の陰に住んでいた者たちを照らし」(ルカ1・78.79)と預言されたように、死後に神の国に行けるという希望をもたらしました。しかし、「死人たちに、彼ら自身の […]
「渇いている者への呼び掛け。」 ヨハネ7章37~39節
仮庵の祭りは、第7の月の15日、現代では10月15日頃に行われる三大祭りの一つです。その時には、自分の家を離れて仮小屋に8日間住みます。この仮小屋は、祭りの為に枝や葉で造られ、屋根は隙間から星が見えるように作り、エジプト […]
「人はパンだけで生きるのではない。」 ヨハネ福音書21章2~13節
辞書を引くと、職業の英訳はJob(一般)、occupation(業務、時間の費やし方)、Calling(天職、神の召し)、Vocation(副業、余技、趣味)、Profession(医師、弁護士などの専門職、Trade( […]
「奇跡の日々!」ヨハネ福音書20章21~31節
主がよみがえられたということは、決して霊的な存在としてではありません。触ることができ、食べることができる現実の肉体をもってよみがえられたのです。だからトマスに、「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。手を伸ばし […]
「イチジクの木の下で。」ヨハネ福音書1章43~51節
今日はお花見会をします。桜は日本古来のもので、古今集(905年)には「見わたせば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりけり」、源氏物語(1008年)にも「桜の、花びら大きに、葉の色濃きが、枝細くして咲きたる。」、と詠われています […]
「女性だけが罰せられる社会。」ヨハネ8章2~12節
律法学者とパリサイ人が姦淫の場で捕らえられた女性をイエス様の前に連れてきたのは、朝早い神殿でした。朝早いということは、朝まで男と一緒だったのでしょうが、「姦淫の現場で捕らえられました。」その相手の男はどうしたのでしょうか […]
「見守る母マリヤの愛。」ルカ1章45~55節、ヨハネ19章25~27節
マリヤは受胎告知を受けた時、論理的にはあり得ない、と答えたのですが、聖霊の働きによる受胎であると天使に告げられると、直ぐに「私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように。」(ルカ1・38) […]
「神の子、キリスト」 ヨハネ1章45~51節
サタンは、「あなたが神の子なら」(マタイ4・3,6)とイエス様に、その権勢によって「石がパンになるように」、「身を投げても天使が守るだろう。」と誘惑しています。それに対して、「主を試みてはならない。」(7)、「主にだけ […]
「キリストはよみがえりです。」 ヨハネ11章3-6、23-27、39-40節
よみがえりとは、普通、蘇りと書きますが、『黄泉がえり』という映画もあったようです。黄泉とは古事記、日本書紀などにあり、日本神話で死者の世界のことを言います。漢字での黄泉は、中国で死者の世界を意味しています。旧約聖書のシ […]