「大いなる救いの計画。」 創世記45章4~11節
弟のベニヤミンを連れてきた兄たちを謀って、ヨセフはベニヤミンに罪を着せます。兄たちがヨセフにしたように自分たちの罪に囚われて平気でベニヤミンを犠牲にするかどうかを試したのです。ユダは、「あなた様に何を申し上げられるでしょう。何の申し開きができるでしょう。何と言って弁解することができるでしょう。神がしもべどもの咎を暴かれたのです。今このとおり、私たちも、そして、その手に杯が見つかった者も、あなた様の奴隷となります。」(創世記44・16)と、過去のヨセフを殺そうとしたことの咎が自分たちに掛かっていることを認めます。そして、先々週お話ししたように、父に対してと同様にヨセフに「私は一生あなたの前に罪ある者となります。」(44・32)と、自分が代りに奴隷となることを申し出ます。
ヨセフが待っていたのは、このように、自らを罪ある者と認める悔い改めです。殆どの人は、他人を責めることはしても、自分を罪ある者と認めることをしないで言い訳や正当化をするのです。そのままであれば、またヨセフや他の人を平気で罪に貶めるでしょう。罪を認めない者、悔い改めない者を決して信用してはなりません。「彼らには蛇の毒のような毒がある。」(詩篇58・4)。
悔い改めを明確にしたユダ以外は、やはり救われておらず、父ヤコブの死後に、「ヨセフはわれわれを恨んで、われわれが彼に犯したすべての悪に対して、仕返しをするかもしれない」(50・15)と言い、父の言葉として「ヨセフにこう言いなさい。おまえの兄弟たちは、実に、おまえに悪いことをしたが、兄弟たちの背きと罪を赦してやりなさい、と。」(50・17)と言われたことを告げるのでした。決して、自ら悔い改めずに、巧みに父の言葉としての弁解をするのです。
「ヨセフは彼らのこのことばを聞いて泣いた。」(17)の内容は、自らを罪びとと告白できず、父の言葉を引用して弁解する兄たちの罪深さ、救われていない姿に愕然として泣いたのです。人が救われるかどうかは、神からの賜物です。何をしても何を説いても、救われない人は救われずに、言い訳を繰り返すのです。
ヨセフが、イエス様の教えの前に、このような人間の罪深さを熟知し、懸命に悔い改めの道を模索したことは驚くべきことです。ヨセフが「旧約に現れるイエス様の姿」と言われるゆえんです。そして、明確な悔い改めをし、身代わりの罰を受けようとするユダもまたイエス様の教えを現わしています。旧約聖書の時代であろうと、悔い改める人は悔い改め、神の国に迎え入れられるのです。
日本人は、神なき社会なので、全てのことを思い通りに為そうとしますが、神は、人の思惑を超え、善悪を超えて、御計画を成し遂げます。
神はヤコブの祖父アブラムに、将来エジプトに寄留者となり、奴隷となって過ごすことになる今回の事件について約300年前に言われています。「あなたは、このことをよく知っておきなさい。あなたの子孫は、自分たちのものでない地で寄留者となり、四百年の間、奴隷となって苦しめられる。しかし、彼らが奴隷として仕えるその国を、わたしはさばく。その後、彼らは多くの財産とともに、そこから出て来る。」(創世記15・13.14)。
ヨセフが語った「大いなる救い」(7)は、ヤコブの家族を生き長らえさせる為の神の救いの計画のために、ヨセフをエジプトに奴隷として売らせられてしまうことをしたということですが、実際には、更に「大いなる救い」の計画の中にあるのです。
ヨセフの死後にはその働きを忘れたファラオたちによって、イスラエル(ヤコブ)の子孫は、奴隷としてエジプトに暮らすことになります。しかし、それは、イスラエルの民が神の選民として、神の栄光を現わすエクソーダス(出エジプト、栄光への脱出)に導かれていくのです。さらに、それが神の顕現として歴史の中に明確に記録されるのです。
クリスチャンとして神の子とされたのは、神の憐れみによるばかりであり、私たちは、自らの主義主張や存在をあまり特権的なものとして誇示しないほうが良いでしょう。
あなたがたは、『われわれの父はアブラハムだ』と心の中で思ってはいけません。言っておきますが、神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子らを起こすことができるのです。斧はすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木はすべて切り倒されて、火に投げ込まれます。(マタイ3・9.10)
実際、ユダ以外の兄弟は、イスラエルの子として、選民の先祖として名を残しておりますが、決して、神の国に迎えられる救いには預かっていないのです。
主によって選ばれ、救われて恵みを受けたのにも関わらず、その後の頑なさによって滅びていった人々がおります。彼らは、その頑なさによって、滅んでいったのです。「兄弟たち。あなたがたのうちに、不信仰な悪い心になって、生ける神から離れる者がないように気をつけなさい。「今日」と言われている間、日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされて頑なにならないようにしなさい。」(へブル3・13)
創世記45章4~11節
- 45:4 ヨセフは兄弟たちに言った。「どうか私に近寄ってください。」彼らが近寄ると、ヨセフは言った。「私は、あなたがたがエジプトに売った弟のヨセフです。
- 45:5 私をここに売ったことで、今、心を痛めたり自分を責めたりしないでください。神はあなたがたより先に私を遣わし、いのちを救うようにしてくださいました。
- 45:6 というのは、この二年の間、国中に飢饉が起きていますが、まだあと五年は、耕すことも刈り入れることもないからです。
- 45:7 神が私をあなたがたより先にお遣わしになったのは、あなたがたのために残りの者をこの地に残し、また、大いなる救いによって、あなたがたを生き延びさせるためだったのです。
- 45:8 ですから、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、神なのです。神は私を、ファラオには父とし、その全家には主人とし、またエジプト全土の統治者とされました。
- 45:9 どうか、急いで父上のところに上って行き、言ってください。『息子のヨセフがこう言いました。「神は私をエジプト全土の主とされました。ためらうことなく私のところに下って来てください。
- 45:10 ゴシェンの地に住んで、私の近くにいてください。父上も、子と孫、羊と牛、また父上に属するすべてのものも。
- 45:11 飢饉はあと五年続きますから、父上も家族も、また父上に属するすべてのものも、困ることのないように、私が父上をそこで養いましょう」と。』
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