「私の羊飼いであられた神よ。」 創世記48章2~12節

長く生きていると、生まれつき悪人かと思われる人もいるし、誘惑に弱くて他人を犠牲にしてしまう人もいるし、善人ぶっていても何かの時に自己中心で裏切る人もいることを知ってきます。ところが、その人たちは、自らを悪人とは思わず、自分の功績や善行を自慢して楽しく暮らしています。聖書の言う義人と彼らとの違いは、従順さや悔い改めができるか否かが一つの基準だと思われます。

ローマ書には、福音を伝えるのは、「信仰の従順をもたらすためです。」(1・5)とあり、「信仰の従順をもたらすために知らされた奥義の啓示によって、あなたがたを強くする」(16・26)とまとめています。神を信じて生きるということは、簡単ではないのです。

ヤコブは、マナセとエフライムを祝福する時、「今日のこの日まで、ずっと私の羊飼いであられた神よ。すべての災いから私を贖われた御使いが、この子どもたちを祝福してくださいますように。」(創世記48・15、16)と祈っています。

ヤコブは、自分を羊のように一人では生きられない存在であることを認めています。誰よりも多く災いを体験したけれども、羊飼いである神が守ってくださったことを認め、子どもたちを守るのも、その能力ではなく、神であることを語り、祈っているのです。

ヤコブには12人の息子たちがおりましたが、49章にその一人一人の性格を現わにし、将来を預言しております。

① ルベン 「水のように奔放で、他の者に優ることはない。」(4)とし、父の側女と寝て、父を汚したことを責めます。長子としての2倍の祝福の権利を失い、この部族からは士師も預言者も出ていません。

② ③シメオンとレビ 「怒りに任せて人を殺し」(6)と責め、「呪われよ、彼らの激しい怒り」(7)と訓戒しています。シメオン部族は、次第に減り、ユダ部族に吸収されます。レビ部族は、かろうじて存続しますが、各部族の中に紛れて生き、献身者としてのみ存続します。

④ ユダ 「兄弟たちはお前を讃える。…お前は獲物によって成長する。…王権はユダを離れず」(8.9.10)。と繁栄を預言します。

これまでお話ししたように、はっきりとした悔い改めと犠牲となることの表明により、ヤコブの長男の権利、イスラエルの王権を約束されるのです。イエス・キリストは「ユダ族から出た獅子、ダビデの根」(黙示録5・5)と称されます。はっきりとした悔い改めは、その人だけでなく、子孫の繁栄にも繋がるのです。時が来れば忘れられることは神にはありません。

④ ゼブルン 海辺に住み、貿易などをすることになります。

⑤ イッサカル 「たくましいロバ、…奴隷となる。」(14.15)。安逸を貪る性格で怠惰なので奴隷となる。

⑥ ダン 「自分の民を、部族として裁く」とは、独立性を保てるということですが、「道の傍らの蛇となれ。」(17)というずる賢さと闘争性が、特別にヤコブによって「主よ、私はあなたの救いを待ち望む。」(18)と神の助けを祈られています。サムソンはダン部族です。

⑦ ガド ヨルダン東岸に住むことになるので、争いが常にあることが預言されます。

⑧ アシェル 地中海沿岸に住むことになるので、豊かな生活を送ります。

⑨ ナフタリ ガリラヤ湖の西側の山地に住みます。

⑩ ヨセフ ヤコブはヨセフに多くの言葉をもって祝福しますが、あまり具体的ではありません。マナセはヨルダン川の東西に広大な土地を領有し、エフライムもその南の中心部を領有しますが、部族としての特徴は見られません。

⑪ ベニヤミン 「噛み裂く狼」として滅びていきます。サウル王が出身です。

ヤコブは、父として息子たちの性格と特徴、そして行いとその行く末を信仰者としてよく見極めていました。乱暴な者は滅びていき、信仰者でなくても、穏やかであればそれなりに暮らしていけることを知っています。しかし、現代に続く、ヤコブの子孫はユダ部族だけであり、献身したレビ人です。

親が信仰で生き、神の祝福を得ても、子どもはそれに気が付かないことは多いものです。現代に続くユダヤ人は、ユダヤ教徒であり、熱心な信仰を持っています。私たちは、真剣に子孫に信仰と神の教えを伝えなければなりません。

ヤコブが、ヨセフが来たことを聞いて、「力を振り絞って床の上に座った。」(2)ことを想います。そして、ヨセフに自分が買い取った「シェケム」(33・19)の土地を「兄弟ではなくお前に、あのシェケムを与えよう。」と語ります。私も自分の父から銀の指輪の印鑑を譲られました。他の兄弟は知りません。私には、父の人生と祝福を譲られた意識を持っています。「ヤコブは息子たちに命じ終えると、足を床の中にいれ、息絶えて、自分の民に加えられた。」(33)

創世記48章2~12節

  • 48:2 ヤコブに「息子さんのヨセフが、今お見えになりました」との知らせがあった。それで、イスラエルは力を振り絞って床の上に座った。
  • 48:3 ヤコブはヨセフに言った。「全能の神はカナンの地ルズで私に現れ、私を祝福して、
  • 48:4 仰せられた。『見よ、わたしはあなたに多くの子を与える。あなたを増やし、あなたを多くの民の群れとし、この地をあなたの後の子孫に永遠の所有地として与える。』
  • 48:5 私がエジプトのおまえのところにやって来る前に、エジプトの地でおまえに生まれた、おまえの二人の子は、今、私の子とする。エフライムとマナセは、ルベンやシメオンと同じように私の子となる。
  • 48:6 しかし、二人の後でおまえに生まれる子どもたちは、おまえのものになる。しかし、彼らがゆずりとして受け継ぐ地では、彼らは兄たちの名を名乗らなければならない。
  • 48:7 私のことを言えば、パダンから帰って来たとき、その途上のカナンの地で、悲しいことにラケルが死んだ。エフラテに着くにはまだかなりの道のりがあるところでだった。私は、エフラテ、すなわちベツレヘムへの道にあるその場所に、彼女を葬った。」
  • 48:8 イスラエルはヨセフの息子たちに気づいて言った。「この者たちはだれか。」
  • 48:9 ヨセフは父に答えた。「神がここで私に授けてくださった息子たちです。」すると、父は「私のところに連れて来なさい。彼らを祝福しよう」と言った。
  • 48:10 イスラエルは老齢のために目がかすんでいて、見ることができなかった。それで、ヨセフが彼らを父のところに近寄らせると、父は彼らに口づけして抱き寄せた。
  • 48:11 イスラエルはヨセフに言った。「おまえの顔が見られるとは思わなかったのに、今こうして神は、おまえの子孫も私に見させてくださった。」
  • 48:12 ヨセフはヤコブの膝から彼らを引き寄せて、顔を地に付けて伏し拝んだ。