「神の霊が宿っている人。」 創世記41章31~41節 

良子師の大腸がん対策の動画が取材されて30分ほどでまとめられました。大量ビタミンⅭ点滴により、がんの周囲を7ミリほどのコラーゲンバリアが囲い守っていました。告知されてから1ヶ月半、75g程の点滴を続けてきたので転移もなく、手術後も10日ほどで診察を開始できたのでした。今回の動画と記録は、がん対策の重要な記録として医学史にも残るでしょう。

私の手術後の回復も順調で、その他含めて私たち夫婦は、多くの人の賞賛を受けるようになってきました。しかし、私たちの会話と感想は、「神の恵みだね。」という言葉に尽きます。

最近、気になっているのが、「祈りのお陰です。」という言葉です。人に感謝する日本人特有の言い回しですが、「祈りの力」というものは人間力に重きを置いた考え方です。そういう本もあり、韓国を中心に断食祈祷、早天祈祷というものが流行った時期がありました。そういう信仰者の言動が、私には失礼ながら自己中心、人間中心に思え、祈っているから何をしても良いというような人も少なからずおりました。むろん、敬虔な信者、祈り深く熱心な信者が多くいたことも事実です。

祈りは、神の御心を悟り、自分の思い煩いや願いを神に委ねるために必須なものです。人への執り成しの祈りは、私たちの愛を深め、行動を促し、自らの人格を深く形成します。私たちの祈りと願いによって神は動いてくださいます。しかし、祈りによって物事を為すのではなく、神の主権によって恵みによって為されるのです。

創世記の記述は「アブラハム、イサク、ヤコブの神」と言われた神が、彼らの特徴をよく汲み取って神の働きと業をさせた物語です。特に、このヨセフの物語は詳細であり、神が人の思惑や働きを超えて御心を為そうとすることが示されています。彼らが祈っていたことは間違いないでしょうが、この物語は全く彼らの祈りの結果でもなく、それぞれの時点での思惑が示されています。ただ、アブラハム、イサク、ヤコブだけは一部、祈りによって守られ導かれたことが記されています。ところが、ヨセフの生涯の後半、エジプトに行ってからは、次第に祈りの人として為すべきことが的確に果たされています。しかし、それもヨセフの期待通りでない中で、ヨセフの人間性と信仰が深められていくのです。

17歳の時、ヨセフは自分の見た夢の意味がわからず、自分の束を兄さんたちの束が拝んでいるとか、太陽と月と11の星が自分を拝んでいると伝えて、兄たちの怒りを買います。兄たちも両親も、その夢の意味を理解しているのに、ヨセフはわからなく無配慮に言ってしまったのでした。「終わりの日に、青年は幻を見、老人は夢を見る。」(使徒2・17)とありますが、夢だけでなく将来のことをよく考える人は少ないものです。ヨセフは、自分の見た夢を安易に扱って、悲惨な目に遭ったことを忘れないでいたのです。

 ヨセフは、ファラオの前に呼び出された時、「私ではありません。神がファラオの繁栄を知らせてくださるのです。」(16)と言い、「夢が二度ファラオに繰り返されたのは、このことが神によって定められ、神が速やかにこれをなさるからです。」(32)と神の主権を宣言しています。

 「今、ファラオは、さとくて知恵のある人を見つけ、その者をエジプトの地の上に置かれますように。」(33)と言えるのは、困難に対応して乗り越えるには、卓越した指導力が必要であることを、ヨセフが苦労の末に知ったからです。

 今後、教会は洗礼や入会の時に誓約した礼拝や献金を守ることをなおざりにする信者を正会員から下して準会員とすることにします。それに怒ったりなおざりしたりする人は、再臨の際に引き上げられないことを覚悟する必要があります。

 教会は、人間の思惑によって成り立っているものではありません。いくら教会に参加し、協力してるからといって、それで神の国に行くものではありません。そういう面では、人間間の努力やお陰は、神の国に届くものではないことに気が付いていない人々は、残され、拒まれて途方に暮れることになるでしょう。

 災害対策もきちんとしない人が、神の国対策をきちんとしているようには思えません。ヨセフは、災害や危機が国を滅ぼすこと、人を滅ぼすことに気が付いていたのです。

 コロナワクチンの危険性や、マイナンバーカードの危険性を何度も訴えても無視した人々は多かったようです。死んだり障害が起きたりしてから気が付いても遅いのです。マイナポイントに躍らされて、たかが2万円で自分の情報を売ったのは愚かです。注意深く生きれば、そういうことはしないものです。

 豊作の時に贅沢をするのは愚か者であり、飢饉の貯えをする人は賢明な人です。ヨセフの艱難辛苦は無駄ではなく、意味があったことでした。「神の霊が宿っている人」(38)、「聡くて知恵のある者」(39)になるには、毎日刻々、神に祈り神に聴く人でなければならないのです。

創世記41章31~41節

  • 41:31 この地の豊作は、後に来る飢饉のため、跡も分からなくなります。その飢饉が非常に激しいからです。
  • 41:32 夢が二度ファラオに繰り返されたのは、このことが神によって定められ、神が速やかにこれをなさるからです。
  • 41:33 ですから、今、ファラオは、さとくて知恵のある人を見つけ、その者をエジプトの地の上に置かれますように。
  • 41:34 ファラオは、国中に監督官を任命するよう、行動を起こされますように。豊作の七年間に、エジプトの地の収穫の五分の一を徴収なさるためです。
  • 41:35 彼らに、これからの豊作の年のあらゆる食糧をすべて集めさせ、ファラオの権威のもとに、町々に穀物を蓄えさせるのです。彼らは保管し、
  • 41:36 その食糧は、エジプトの地に起こる七年の飢饉のために、国の蓄えとなります。そうすれば、この地は飢饉で滅びることがないでしょう。」
  • 41:37 このことは、ファラオとすべての家臣たちの心にかなった。
  • 41:38 そこで、ファラオは家臣たちに言った。「神の霊が宿っているこのような人が、ほかに見つかるだろうか。」
  • 41:39 ファラオはヨセフに言った。「神がこれらすべてのことをおまえに知らされたからには、おまえのように、さとくて知恵のある者は、ほかにはいない。
  • 41:40 おまえが私の家を治めるがよい。私の民はみな、おまえの命令に従うであろう。私がまさっているのは王位だけだ。」
  • 41:41 ファラオはさらにヨセフに言った。「さあ、私はおまえにエジプト全土を支配させよう。」