「助け主をお与えになる。」 ヨハネ14章16~24節

「風は思いのままに吹きます。その音を聞いても、それがどこから来てどこへ行くのか分かりません。御霊によって生まれた者もみな、それと同じです。」(ヨハネ3・8)というように、クリスチャンになるということは不思議なことであり、御霊の働きによるのです。

「まことの礼拝者たちが、御霊と真理によって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はそのような人たちを、ご自分を礼拝する者として求めておられるのです。」(同4・23)。神が求めておられる基準では、自分が選ばれる者とは思われないのですが、御霊によってこそ神を礼拝することができるのです。

 「わたしはあなたがたのところに助け主を遣わします。その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世の誤りを明らかになさいます。」(同16・7.8)。聖霊が働かなければ、罪を自覚することがないので、普通の人は、悔い改めることはないのです。そして、神こそが義であり、正しい関係や在り方を悟ることができないのです。そして、聖霊が内在していない人は、神がその人を裁くなんて信じられないのです。人の良い人は、悪人が他人を犠牲にしても自分の欲や願いを満たそうとしていることがわからないのですが、聖霊によって人が悪であることに気が付いてきます。祈りとは、聖霊の感化と教えを受けとることです。

 「イエスは、ご自分を信じる者が受けることになる御霊について、こう言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ下っていなかったのである。」(同7・39)。弟子たちも、まだ聖霊を受けていなかったので、生まれながらの人のように、喜怒哀楽に生き、感情に左右されていたのです。

 ところが、旧約の時代でも、一部の人には、聖霊が注がれていました。ダビデは、「私をあなたの御前から投げ捨てずあなたの聖なる御霊を私から取り去らないでください。」(詩篇51・11)と、御霊に導かれていることを告白しました。ダビデの繊細な信仰心は、聖霊に導かれたものでした。

 「御霊が補佐官の長アマサイをおおった。『「ダビデよ、私たちはあなたの味方。エッサイの子よ、私たちはあなたとともにいる。平安があるように。あなたに平安があるように。あなたを助ける者に平安があるように。まことにあなたの神はあなたを助ける。」」(Ⅰ歴代12・18)これは、一時的に聖霊が働いた事例です。

「万軍の主がその御霊によって先の預言者たちを通して送られた、御教えとみことばを聞き入れなかった。」(ゼカリヤ7・12)と、真の預言者たちは、聖霊によって預言をしました。

新約時代に入って、イエス様は「人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることはできません。」(ヨハネ3・5)と宣言されました。聖霊による罪の自覚や救いは上述のとおりです。先週お話ししたように、弱者をないがしろにする行為は、聖霊が内在していない証拠として、私たち信仰者にも確認でき、自らを律するものとなります。神の裁きを意識しないのは、聖霊が内在していないからです。

「この方は真理の御霊です。世はこの方を見ることも知ることもないので、受け入れることができません。」(17)。私たちの信仰や誠実さを、世の人々に理解してもらうことはできません。これは、終末の混乱と俗悪の時代における奇跡です。

ですから、主は、「わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。」(18)と約束してくださるのです。まず、「助け主がいつまでも、あなたがたとともにいるようにしてくださいます。」(16)。私たちは、もっと聖霊に満たされ、導かれるように祈ります。この世の思いや罪人の判断に惑わされてはいけません。

「わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛している人です。わたしを愛している人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身をその人に現します。」」(21)。聖霊に満たされ、助けられるのは、人を愛し、助けるということを実践している人です。むろん、私たちが助け愛する人が、救われている人というわけではありません。私たちの宣教は、自分のことばかり考え、人を犠牲にする人々に対する犠牲的な愛に基づくのです。

イエス様が遣わす助け主、聖霊の働きは、「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。」(23)として現れます。

ヨハネ14章16~24節

  • そしてわたしが父にお願いすると、父はもう一人の助け主をお与えくださり、その助け主がいつまでも、あなたがたとともにいるようにしてくださいます。
  • 14:17 この方は真理の御霊です。世はこの方を見ることも知ることもないので、受け入れることができません。あなたがたは、この方を知っています。この方はあなたがたとともにおられ、また、あなたがたのうちにおられるようになるのです。
  • 14:18 わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。あなたがたのところに戻って来ます。
  • 14:19 あと少しで、世はもうわたしを見なくなります。しかし、あなたがたはわたしを見ます。わたしが生き、あなたがたも生きることになるからです。
  • 14:20 その日には、わたしが父のうちに、あなたがたがわたしのうちに、そしてわたしがあなたがたのうちにいることが、あなたがたに分かります。
  • 14:21 わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛している人です。わたしを愛している人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身をその人に現します。」
  • 14:22 イスカリオテでないほうのユダがイエスに言った。「主よ。私たちにはご自分を現そうとなさるのに、世にはそうなさらないのは、どうしてですか。」
  • 14:23 イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。
  • 14:24 わたしを愛さない人は、わたしのことばを守りません。あなたがたが聞いていることばは、わたしのものではなく、わたしを遣わされた父のものです。