「イエスを信じる人々は神の子どもとなる。」 ヨハネ1章1~14節
信仰者が信じるということも同様です。信じて言葉を発し、その如くこうどうすれば、そうなるのです。ところが、殆どの自称信仰者が、そのように行動していません。なぜ、聖書を読むのか、それは御言葉を信じて生きる為です。なぜ、祈るのか、それは信じたことが実現すると確認する為です。実際には、クリスチャンといっても、自分の判断で生き、行動して、世の知識や常識を信じているのです。神が働く信仰が見られず、この世の知恵と欲望が渦巻いているのです。
日本は、世界でも珍しい無宗教国家であり、国民の殆どは神を信じておらず、世界は進化によって変わってきていると信じているのです。簡単なものでもよく考えて造られます。機械や建築物は、精密な設計図が必要で、その完成の意図がはっきりとしていなければ出来上がりませんし、機能しません。それを、偶然の進化によって出来上がると信じているのです。
コロナに罹って、その病態を知ることができました。歯がうずき出血が止まらないので、ビタミンCを増やしましたが、一日5gほど摂っても治りません。25gの点滴をしてようやく止まり、炎症が酷いことを悟りました。肉類を摂ると代謝が悪いために、尿酸が溜まります。腰痛などなかったのに酷くなりました。運動不足で寝たきりもあったでしょう。熱が下がらないのは、ウイルスと戦っているからでしょう。それらを分析し、対処し、神に癒しを祈ります。祈りは、自分が無能であることを自覚した者ができる信仰行為です。そして、それを信じる者は信仰者です。
神は天地を造られました。草木も、動物も造られました。そして、「人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。こうして、彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地の全てのもの、地の上を這うすべてのものを支配するようにしよう。」(創世記1・26)と「人をご自身のかたちとして創造された。」(同27)のです。
「神の似姿」である人間の支配無しには、天地は虚無なのです。耕作放棄地が無残に荒れ果てていますが、罪による経済政策の果てに崩壊した近代農業、里山農業の崩壊を知らされます。「神の似姿」ではない人間が支配したからなのです。天然資源の無かった中央が、石油やガスによって繁栄し、高層建築を乱立させましたが、その使い方は自然を崩壊させるものでした。化学農法が世界中の自然を崩壊させ、遺伝子農法が世界中の人々をがん化させています。自然崩壊は、食料確保のために、戦争を誘発させ、世界の争いは、もはや収まることはないでしょう。オリンピック、ワールドカップ、その他世界大のスポーツ祭典が権力と経済的企画のものとなって消費を煽っています。そして、世界の自然破壊が進み、貧富の格差が増大するのです。
病に侵されて感じることは、人間の持てる能力は微々たるものだということです。確かに、コロナ禍で数百兆円という莫大な資金が費やされましたが、効力のあることはできず、経済破綻を招いただけです。
つまり、闇が世界を覆い尽くそうとしているのです。「光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。」(5)は、まだ実現していません。「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。」(14)は事実ですが、完全な光と栄光は再臨の後のものです。
人間社会は、罪と欲望の巣窟です。その中で、為す術がなく苦しんでいる人々を救うために、救い主は来られました。「すべての人を照らすそのまことの光が、世に来ようとしていた。」(9)。この光によって、人は神を追い求めて生きるか、神を否定して生きるかを迫られるのです。「悪を行う者はみな、光を憎み、その行いが明るみに出ることを恐れて、光の方に来ない。しかし、真理を行う者は、その行いが神にあってなされたことが明らかになるように、光の方に来る。」(ヨハネ3・20.21.)
クリスマスは、夜の最も長い冬至の後に祝います。人々は、クリスマスに光を求めますが、心の中を照らし出されることは求めません。「真理を行う者」だけが、自らの内面を神の前にさらし出し、光の中に住まうことを求めるのです。神を信じて生きる、ということは、罪を否定し、自分の判断よりも神に従うことを優先するということで、なかなか難しいことです。しかし、「この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。」(12)のです。
ヨハネ1章1~14節
- 1:1 初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
- 1:2 この方は、初めに神とともにおられた。
- 1:3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもなかった。
- 1:4 この方にはいのちがあった。このいのちは人の光であった。
- 1:5 光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。
- 1:6 神から遣わされた一人の人が現れた。その名はヨハネであった。
- 1:7 この人は証しのために来た。光について証しするためであり、彼によってすべての人が信じるためであった。
- 1:8 彼は光ではなかった。ただ光について証しするために来たのである。
- 1:9 すべての人を照らすそのまことの光が、世に来ようとしていた。
- 1:10 この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。
- 1:11 この方はご自分のところに来られたのに、ご自分の民はこの方を受け入れなかった。
- 1:12 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。
- 1:13 この人々は、血によってではなく、肉の望むところでも人の意志によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。
- 1:14 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。
- 神の子は、永遠の昔に父なる神から発出され、世界の創造をされました。創世記1章にある「光、あれ。」などのおことばは、御子である「神」のおことばです。御子がおことばを発せられると、物事は完全な働きをして成し遂げられます。
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