「女性だけが罰せられる社会。」ヨハネ8章2~12節

律法学者とパリサイ人が姦淫の場で捕らえられた女性をイエス様の前に連れてきたのは、朝早い神殿でした。朝早いということは、朝まで男と一緒だったのでしょうが、「姦淫の現場で捕らえられました。」その相手の男はどうしたのでしょうか。申命記22章によれば、二人ともに石打の刑ですが、女だけが罰せられるということは記されておらず、強姦であったのならば男だけが罰せられます。街中であれば、女は声を上げて助けを求めることが必要で、それをしなかったら両名とも石打になります。

姦淫の現場で捕らえられ、すぐにイエス様のいる神殿に大勢で連行されるということは、イエス様を陥れるための罠であったようです。当時の女性は、非常に立場が弱く、律法に守られているといっても、特にこういう現場では逃れようのない仕打ちを受けるのが当然でした。被害者なのに、さらに罰を受け、加害者の男はうまく誤魔化して立ち回るのです。むろん、同意の上のことであったり、欲望に駆られてのことであっても、社会的に罰を受けるのは、人類の歴史上当然のことでした。権力や富によって誤魔化しても、或は巧妙に隠しても、そういう人の夫婦仲がうまくいくことは難しく、神の裁きを受けることになります。

享楽的な描写、情報、ニュースが飛び交っていますが、そういうことの結果は、女性の一方的な被害です。美人とかスタイルが良いとかが、もてはやされますが、そういうことで人生の幸せが伴うとは思われません。むろん、健康を保つことや、太らないように努力することは大事ですが、外見だけを評価し話題にする人々がいることは、退廃文化以外の何物でもありません。

容姿や学歴や成績、そして豊かさなど、を人間の基準として優劣を判断する思考の人が多くおります。子供に対して、そういうことを求めること自体が、子供に偏見を教え込むことになり、例えば、良い成績でなければ、美人でなければ、金持ちでなければ、負け組だ、などという考え方を何気なく植えこんではいけないのです。

「福音に生きる!」という今年のテーマで、差別思考が、神からの祝福を閉ざしてしまっていることを強く覚えています。夫や男性の横暴は、神の律法に反していることは、申命記などをよく読めば悟るものです。婚約中の男は兵役に付かせない(20・7)。戦争捕虜の女性を娶る時の配慮と奴隷のような扱いの禁止(21・14)。子供の差別の禁止(15.16)。女性侮辱の禁止(22・19)。離婚の制限(24・1-4)。貧者への配慮(24・6、10-15))。同胞を奴隷とすることの禁止(7)。

たとえ能力が劣っても、働くことができなくても、貧しくても、子供に対しても、女性に対しても、上から目線で考え判断し、差別する人を神は憎むのです。そういう面で、人は自分の得意なことを自慢しますが、その自慢が他の人の心を傷つけ、劣等意識を起こすこともあるのです。特に、子供に対する言動には注意が必要です。習慣や風習の違う人を批判したり、見下げたりすることも神は嫌います。

「イエスは身をかがめて、指で地面に書いておられた。」のが何か、多くの人々が類推しています。当時のユダヤ人の王は、ヘロデ・アンティパスでした。「このヘロデが、自分の兄弟ピリポの妻ヘロデヤのことで、──ヘロデはこの女を妻としていた」(マルコ6・17)ことを、イエス様は指摘して、「ヘロデはどうか。」とでも書いていたのではないかと、私は思います。つまり、不倫を糾弾するのならば、あなた方の王をまず糾弾しなければならないはずだが、と書かれたので、そのことが、彼らの行為から始まるとまずいと思ったので、逃げ帰ったのではないかと考えます。

森友学園をめぐる文書改ざんで、それを指摘した近畿財務局の赤木敏夫さんがファイルを残して抗議の自殺をしました。財務省総出で隠蔽し、ファイルが出てきても無視を決め込む政府の姿があります。それを指摘したら、赤木さんのように死ななければならなくなります。

人の世は、このように不義、不善がまかり通ります。ところが、イエス様が神の義、神の愛を教えたので、律法学者やパリサイ人は都合が悪くなって、イエス様を陥れようとしたのです。彼らは、不幸な女性を見て、罠に利用したのではないでしょうか。もしかしたら、男も夫も加担していたかもしれません。そうでなければ、こんなに手際良く朝からイエス様のところに大勢で女を引き連れて来ることはなかったでしょう。

「罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」と言われて罪を自覚するほど、人間の罪性は甘くはありません。イエス様が「もう一度身をかがめて、地面に書かれた。」のは、「ヘロデ」の名前の後に、この罠に加担した人々の名前かもしれません。人々は、その名前がばれているのを見て、恐れおののき逃げ帰ったのです。

私は、自分が自己中心で勝手な罪びとであることを認めているからこそ、妻に優しくします。妻を責めてしまったら、神は私を赦さないでしょう。そして、皆さんの罪深さも責めてはいません。しかし、罪を認めない人には、神の裁きを伝えるしかないのです。

「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」

ヨハネ8章2~12節

  • 8:2 そして、朝早く、イエスはもう一度宮に入られた。民衆はみな、みもとに寄って来た。イエスはすわって、彼らに教え始められた。
  • 8:3 すると、律法学者とパリサイ人が、姦淫の場で捕らえられたひとりの女を連れて来て、真ん中に置いてから、
  • 8:4 イエスに言った。「先生。この女は姦淫の現場でつかまえられたのです。
  • 8:5 モーセは律法の中で、こういう女を石打ちにするように命じています。ところで、あなたは何と言われますか。」
  • 8:6 彼らはイエスをためしてこう言ったのである。それは、イエスを告発する理由を得るためであった。しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に書いておられた。
  • 8:7 けれども、彼らが問い続けてやめなかったので、イエスは身を起こして言われた。「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」
  • 8:8 そしてイエスは、もう一度身をかがめて、地面に書かれた。
  • 8:9 彼らはそれを聞くと、年長者たちから始めて、ひとりひとり出て行き、イエスがひとり残された。女はそのままそこにいた。
  • 8:10 イエスは身を起こして、その女に言われた。「婦人よ。あの人たちは今どこにいますか。あなたを罪に定める者はなかったのですか。」
  • 8:11 彼女は言った。「だれもいません。」そこで、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」〕
  • 8:12 イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」