「今日、主の救いを見なさい。」 出エジプト記14章10節~18

人生において絶体絶命と思われる時はあるものです。そういう時に、その人が神を信じているのか、信じていないのか明らかになります。更に、その人が何に頼っているか、何が心配なのかもわかります。

 私の妻は、病気や怪我の時に、直ぐに薬の処方や処理をします。でも、私はどうしたら良いのか祈ります。そして、それを断ることもあります。医師である妻の判断は医学的には的を得たものでしょうが、私には私の判断があります。できれば、薬を使わず、自分の免疫力や体力で治せないものかと考え、また薬を使うことで自分を弱くすることはないかなどと考えます。

 問題が起こった時も、解決をしようと考えながら、なぜこの問題がおこったのか考え祈ります。失敗なのか、神の導きなのか、試練なのか、力を貯える時なのか、猶予あるいは避けるべきなのか。

 失敗は、①信仰一途で勉強をせず大学院入試に落第、②健康管理を怠り脂肪肝と不整脈、③火傷をした次男へのケア不足、④初期に教会員を教育牧会ができなかったこと、などがあります。

 退いたのは、①大学教授の道を諦めた、②牧師になる為に貧しい人生を覚悟した、③短期的な教会成長を諦めた、④思い通りになること、④子どもたちに期待すること、などです。

 試練は、①結婚の時、②神学校入学、③千葉移住、④賃貸を含めた会堂取得、⑤子育て、⑥牧会、⑦妻の体調不良と発達障害、⑧過労、などでしょうか。他にもいつもありました。

 神の導きは、①救い、②献身、③千葉移住、④引越と会堂取得、⑤クリニック・㈱ヨーゼフ・治療の会の設立、⑥出版、⑦妻や櫻井師との出会い、⑧教会員、その他たくさんありました。

信仰者として留まっている人は、同じような幾たびの試練を乗り越えてきたからに他なりません。信仰を個人の力や意思のように考えると、聖霊に頼らなくなり、神を信じることができなくなります。以前の信仰生活から脱落して、信仰よりもそれぞれの事情を優先した人が、元の信仰生活に戻ることはあまりありません。「神の国と神の義を第一にする」ことを第二にしたら、よほどの悔い改めがなければ第一に戻ることはないでしょう。準会員になるような人に執り成しの祈りが効いた経験もありません。私には、その人が神を捨てたというよりも、神が「外に放り出せ。」(マタイ22・13)と命じたように感じます。神は怖いのです。

「ファラオの戦車の馬も、騎兵も軍勢もことごとく、・・・海辺に宿営している彼らに追いついた。」(9)。それで、「イスラエルの子らは大いに恐れて、主に向かって叫んだ。」(10)。ところが、その時、モーセを責め、攻撃してしまいます。興奮して子供たちが親を責めることはありますが、人を責めるのはダメですね。人を責めたり批判したら、交流が損なわれ、神との関係も同様です。彼らは、奴隷生活に慣れ、人格的にも信仰的にも未成熟なのです。

 モーセは、「恐れてはならない。」(13)と言います。恐れるのが当然な状況でも、恐れるのを止めて神を信じることを選ぶのです。「しっかり立って、今日あなたがたのために行われる【主】の救いを見なさい。」。人が試練や困難な時に神を信じ、「しっかり立つ」ならば、神の救いを見るのです。

そして、逃げても、戻ってもいけないのです。その時こそ、信仰を神に差し出すのです。「なぜ、あなたはわたしに向かって叫ぶのか。イスラエルの子らに、前進するように言え。」。先に進めないように見える海に向かって前進するのです。前進しない人は、滅びてしまうのです。

 指導者であるモーセには、「あなたの杖を上げ、あなたの手を海の上に伸ばし、海を分けなさい。」と神は命じます。指導者は、神の働きを導き出す責任と力があるのです。

 それまでイスラエルを導いていた雲の柱は、後方に移り闇を作り出してエジプト軍を迷わせ、イスラエルに襲い掛かることはできなくなります。そして、300万ほどのイスラエルの民が海を渡り切るまで両者を遮ります。その後、追いかけるエジプト軍は、海に呑まれて死に絶えるのです。神の民を滅ぼすと思われた海がエジプト軍を滅ぼしたのです。

 クリニックの移転を迫られた時、却って成長する機会となりました。私の健康が危ぶまれて教会を移転して却って資金が溜まりました。2回の競売もかなり危険なものでした。神による助けや救いは、私たちの信仰を神が問うた後に、合格したら与えられます。

 戦争は、更に多く起こるでしょう。災害も、天候異変も、経済苦境も、病気や感染症も拡大し、人の心は冷えていくでしょう。それでも神を信じない人にとっては、ただ悩みが多くなるというだけでしょう。

 神を信じる人は、神の救いを求めて前進するのです。神の救い、助け、奇跡を見ても、悔い改めず、自らを変えない人がいます。神は私たちを見つめています。次の救いはなくなります。

出エジプト記14章10節~18

  • 14:10 ファラオは間近に迫っていた。イスラエルの子らは目を上げた。すると、なんと、エジプト人が彼らのうしろに迫っているではないか。イスラエルの子らは大いに恐れて、【主】に向かって叫んだ。
  • 14:11 そしてモーセに言った。「エジプトに墓がないからといって、荒野で死なせるために、あなたはわれわれを連れて来たのか。われわれをエジプトから連れ出したりして、いったい何ということをしてくれたのだ。
  • 14:12 エジプトであなたに『われわれのことにはかまわないで、エジプトに仕えさせてくれ』と言ったではないか。実際、この荒野で死ぬよりは、エジプトに仕えるほうがよかったのだ。」
  • 14:13 モーセは民に言った。「恐れてはならない。しっかり立って、今日あなたがたのために行われる【主】の救いを見なさい。あなたがたは、今日見ているエジプト人をもはや永久に見ることはない。
  • 14:14 【主】があなたがたのために戦われるのだ。あなたがたは、ただ黙っていなさい。」
  • 14:15 【主】はモーセに言われた。「なぜ、あなたはわたしに向かって叫ぶのか。イスラエルの子らに、前進するように言え。
  • 14:16 あなたは、あなたの杖を上げ、あなたの手を海の上に伸ばし、海を分けなさい。そうすれば、イスラエルの子らは海の真ん中の乾いた地面を行くことができる。
  • 14:17 見よ、このわたしがエジプト人の心を頑なにする。彼らは後から入って来る。わたしはファラオとその全軍勢、戦車と騎兵によって、わたしの栄光を現す。
  • 14:18 ファラオとその戦車とその騎兵によって、わたしが栄光を現すとき、エジプトは、わたしが【主】であることを知る。」