「王の教育を受けるために。」 出エジプト記2章1節~10節

私が神学校に入学する時、牧師夫人は「頭でっかちになるんじゃないよ。勉強ばかりすると信仰がダメになる。」と言いました。私は、大学院で博士号を目指して研究に励んでいたのに、今までのことを認めていないのか、信仰には学問は無駄なのか、と愕然としました。神学校時代は、勉強をする暇もなく、授業が全くわからなくなり、劣等生というのはこういうものか、と変な悟りを持ちました。

卒業後10年ほどして、自分には、論理的思考なしに信仰を強調すること、つまり狂信的な傾向になることはできないと覚悟しました。当時は、カリスマ(超自然的資質や能力、神からの賜物)や教会成長思考が大流行でしたが、私には牧師中心の自己実現論のようでついて行けない気持ちが強くありました。企業経営としては危ない傾向だからです。「自分を捨て、自分の十字架を負ってわつぃに従って来なさい。」(マタイ16・24)というイエス様の教えを守っていないように思ったからです。

キリスト教神学はパウロ無しには形成しなかったとも言われています(それでも神は別な方法で神学を形成したでしょうが)。聖書のパウロ書簡は聖書の論理(神の人格と思い)を明確に記述しています。パウロは高度な学問と教養を身に付け、聖書に精通し、神学的な思考ができる熱心な伝道者・牧師であり、イエス様が名指しで召し出した使徒です。

私たちアッセンブリー教団は、聖霊の著しい働きによる奇跡と癒しにより、熱心な伝道と牧会により急成長を遂げて世界に7千万人の信徒がおります。その過程において多くの異端や異常な信仰との戦いを経て、聖書信仰を堅持し、キリスト教界においても認められてきました。

私は先入観を持たずに人と交流する傾向がありますが、その後も祈りの中で執り成しながら、信仰的に崩れて行ったり、欲望に負けていく人々を見ております。基本的に、聖書に基づかず、従順な信仰ではなく、自分の繁栄や成功を願う人がそのように陥ります。最近も、神学教育を受けておらずに勝手に伝道師を名乗っている人の言動を見ながら、破綻する言動を熱心に繰り返している経過を悟りました。

私たちが注意していなければならないことは、神の教えに生きることは、知識・感情・意志のすべてに亘る人格的な応答であり、聖書を真の知識の源として真摯に捉え従うことです。「聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。神の人がすべての良い働きに相応しく、十分に整えられた者となるためです。」(Ⅱテモテ3・16.17)。「無知な心の定まらない人達は、聖書の他の箇所と同様、それらを曲解して、自分自身に滅びを招きます。」(Ⅱペテロ3・16)

今日の聖書箇所は、神が偉大な指導者になるためにモーセを当時の世界最高の文化と社会を形成していた偉大なエジプトの王子として育てさせたというものです。現代日本の弱点は、政治にも経済に組織にも教育と教養を積んだ指導者が少ないということです。ITを自分で駆使できないだけでなく、文化や歴史を習熟していないと優秀な指導者にはなりづらいものです。学歴を付ける為に子どもたちを暗記教育させるのではなく、人格教育を施さなければなりません。それは親の責任です。

 私は9人兄弟の中でただ一人大学に入り、大学院まで学びましたが、それは自分の満足する生き方を果たす為には学問を修めなければならないと自覚したからです。明治維新の指導者たちは、国を愛する為に命懸けで欧米などで勉強しました。

 モーセはなんと、「王女の息子」(10)として、実の母に十分な環境で愛情深く育てられました(9)。その家庭には、後に預言者となる姉ミリアムがいて、モーセを愛しました。ミリアムは出エジプトの時、タンバリンを手に踊り歌い、神を讃美しました(15・20)。また、「彼が雄弁なことを知っている」(4・14)と神に言われた兄アロンもいました。レビ族である父アムラムは妻ヨケベデによって「アロンとモーセを産んだ。」(出6・20)。

 「モーセは、エジプトのあらゆる学問を教え込まれ、言葉にも力にも力がありました。」(使徒7・22)。「モーセが四十歳になったとき、自分の同胞であるイスラエルの子らを顧みる思いが、その心に起こりました。」(同23)とあるので、それまでは密かに自分がイスラエル人であることを家族に教えられながらも、王子教育を受けたことになります。

 英才教育を受けて高慢になっていたモーセは、同胞を救おうとしてエジプト人を殺してしまいますが、その同胞から「だれがおまえを、指導者やさばき人として私たちの上に任命されたのか。」(出2・14)と否定され逃げて、40年間ミディアンの地で羊飼いをして、忍耐深く生きることを身に付けされます。神はモーセを偉大な指導者にする為に、なんと80年間も掛けたのです。

 親が、自分の子どもを神にも人にも用いられるように育てるならば、若いうちに教育の機会を与えなければなりません。さらに、家庭においても、信仰を身に付けさせ、家と国の歴史を教え、親の考え方や信念、そして知恵を身に付けさせなければなりません。子どもは、黙って育つものではありません。育て上げるものです。「主の教育と訓戒によって育てなさい。」が親への神からの指導です。

出エジプト記2章1節~10節

  • 2:1 さて、レビの家のある人がレビ人の娘を妻に迎えた。
  • 2:2 彼女は身ごもって男の子を産み、その子がかわいいのを見て、三か月間その子を隠しておいた。
  • 2:3 しかし、それ以上隠しきれなくなり、その子のためにパピルスのかごを取り、それに瀝青と樹脂を塗って、その子を中に入れ、ナイル川の岸の葦の茂みの中に置いた。
  • 2:4 その子の姉は、その子がどうなるかと思って、離れたところに立っていた。
  • 2:5 すると、ファラオの娘が水浴びをしようとナイルに下りて来た。侍女たちはナイルの川辺を歩いていた。彼女は葦の茂みの中にそのかごがあるのを見つけ、召使いの女を遣わして取って来させた。
  • 2:6 それを開けて、見ると、子どもがいた。なんと、それは男の子で、泣いていた。彼女はその子をかわいそうに思い、言った。「これはヘブル人の子どもです。」
  • 2:7 その子の姉はファラオの娘に言った。「私が行って、あなた様にヘブル人の中から乳母を一人呼んで参りましょうか。あなた様に代わって、その子に乳を飲ませるために。」
  • 2:8 ファラオの娘が「行って来ておくれ」と言ったので、少女は行き、その子の母を呼んで来た。
  • 2:9 ファラオの娘は母親に言った。「この子を連れて行き、私に代わって乳を飲ませてください。私が賃金を払いましょう。」それで彼女はその子を引き取って、乳を飲ませた。
  • 2:10 その子が大きくなったとき、母はその子をファラオの娘のもとに連れて行き、その子は王女の息子になった。王女はその子をモーセと名づけた。彼女は「水の中から、私がこの子を引き出したから」と言った。