「夫を愛し、仕え支えたサラの生涯。」 創世記23章1~9節 

アブラハムが妻サラとカナンの地を目指して旅立ってから62年が経ち、それでもなお「寄留者」として妻サラが死にました。アブラハムは「サラのために悼み悲しみ、泣いた。」(2)。流浪の民として長い年月を共に過ごした妻を失ったアブラハムの悲しみは如何ほどでしょうか。

テラの長男は、70歳の時に生まれたハランかと思います。ハランの娘ミルカは次男ナホルと結婚しています。サラは、「私の妹、私の父の娘です。でも、私の母の娘ではありません。それが私の妻になったのです。」(20・12)とあるように、10歳下の異母妹です。「親族の地、カルデヤのウル」(11・28)は、月神礼拝の中心ですから、繋がりを保つために親族で結婚したのでしょう。まだ、律法以前ですから、禁じられてはいません。ロトはハランの息子で、父親が死んだのでアブラハムに世話になったのでしょう。つまり、家族の結びつきが強く、サラは小さい時からアブラハムと親しかったのでしょう。

サラはアブラハムも「見目麗しい女」(12・11)と認め、「エジプト人はサライを見て、非常に美しいと思った。」(14)とあり、歳をとっても「ゲラルの王アビメレクは、人を遣わしてサラを召し入れた。」(20・2)とあるので、高貴な美しさを持っていたのでしょう。

サラが唯一感情的な行動を取るのは、子どもを得る為にアブラハムに娶らせた女奴隷ハガルが、「自分が身ごもったのを知って、女主人を軽く見るようになった。」(16・4)というところだけです。サラは、「私に対するこの横暴はあなたのせいです。」(5)と責め、「主が、私をあなたの間をおさばきになりますように。」(5)と夫婦の正しい関係を乱した夫を信仰的に責めています。サラが責めているのは、傲慢になった女奴隷を正しく躾けない夫のアブラハムに対してであって、正当なものであると思います。

日本でも見られるように、族長に子どもがない場合には、どの地域でも妾などによる子どもの確保は正当化されます。しかし、聖書は「女奴隷の子は肉によって生まれたのに対し、自由の女の子は約束によって生まれました。」(ガラテヤ4・23)と合理性によって正当化される判断の結果は、多くの問題を生み出すと説明しています。これらは、夫婦による肉の判断(損得)の結果であるわけですが、こういう痛みを夫婦は共有して生きていくのです。責め合う夫婦にろくなことはありません。

サラの人生にも心の傷ができました。しかし、神はサラにイサクを与え、「神は私に笑いを下さいました。」(21・6)と、初めてかもしれない心からの喜びを歌います。その後、イシュマエルがイサクをからかうのをみて、サラは跡取り争いを恐れて、ハガルとイシュマエルを追い出すことを求めます。神は、「サラがあなたに言うことはみな、言う通りに聞き入れなさい。」(21・12)と教えます。そして、イサクは従順な子どもに育っていきます。

イサクが妻リベカを迎えた時、「イサクは、母の亡き後、慰めを得た。」(24・67)とあるように、サラは優しい母であったのです。アブラハムにとっても長年苦楽を共にし、よく働き、よく仕えてくれ、理不尽なことにも耐え、夫を守り、助け、優しい妻だったのです。サラの死後、「アブラハムは年を重ねて、老人になっていた。」(24・1)。妻が死んだ後の夫たちの困り様、寂しさ、悲しさは、急激な老いをもたらすのです。

寄留者であるアブラハムは、自分の土地を持つことができませんでした。「わたしは、あなたの子孫にこの地を与える。」(12・7)と神が言われたので、祭壇を築いたのに、未だ自らの土地を持つことができなくて、妻のための墓地を築けないのです。

「信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに受け継ぐイサクやヤコブと天幕生活をしました。堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。」(へブル11・9.10)。信仰は、直ぐに成就されるものではなく、忍耐の日々が続くものです。そのようにして私たちの信仰の真実が現わされていくのです。忍耐ができないことで、私たちの不信仰が現わされてしまいます。

アブラハムにとって、妻の墓地も持てないことは情けなく、申し訳なく、土地の人々に墓地の購入を申し出ます。人々は「神のつかさ」(6)とアブラハムに尊敬を示しますが、土地を売ろうとはしません。彼は、エフロンの所有するマクペラの洞穴の購入を申し出ます。後にダビデ王がアラウナから買い取った全焼の献げ物を献げるための打ち場と牛の代金が銀50シェケルなので、墓地の代金、銀400シェケルは法外な値段です。合理性から言ったら、値段交渉するのが当然かもしれません。しかし、法外な高値こそ、アブラハムにとってはサラの高価で尊いことを示すものとして受け入れたのです。そして、だからこそ、否定できない所有権として後々まで残ったのです。

創世記23章1~9節

  • 23:1 サラの生涯、サラが生きた年数は百二十七年であった。
  • 23:2 サラはカナンの地のキルヤテ・アルバ、すなわちヘブロンで死んだ。アブラハムは来て、サラのために悼み悲しみ、泣いた。
  • 23:3 アブラハムは、その亡き人のそばから立ち上がり、ヒッタイト人たちに話した。
  • 23:4 「私は、あなたがたのところに在住している寄留者ですが、あなたがたのところで私有の墓地を私に譲っていただきたい。そうすれば、死んだ者を私のところから移して、葬ることができます。」
  • 23:5 ヒッタイト人たちはアブラハムに答えた。
  • 23:6 「ご主人、私たちの言うことをお聞き入れください。あなたは、私たちの間にあって神のつかさです。私たちの最上の墓地に、亡くなった方を葬ってください。私たちの中にはだれ一人、亡くなった方を葬る墓地をあなたに差し出さない者はおりません。」
  • 23:7 そこで、アブラハムは立って、その土地の人々、ヒッタイト人に礼をして、
  • 23:8 彼らに告げた。「死んだ者を私のところから移して葬ることが、あなたがたの心にかなうのであれば、私の言うことをお聞き入れくださり、ツォハルの子エフロンに頼んでいただきたいのです。
  • 23:9 彼の畑地の端にある、彼の所有のマクペラの洞穴を譲っていただけるようにです。十分な価の銀と引き換えに、あなたがたの間での私の所有の墓地として、譲っていただけるようにしてください。」