「母の犠牲は幸せを招く。」 創世記27章1~13節 

母の日は、確かに世界中で祝われ、子どもたちは改めて母への感謝を捧げる日となります。それは、母親が夫や子供に対して犠牲的に尽くして生きているからです。

 ところが最近は、軽んじられる母親も多くなりました。それは社会の風潮、サタンの惑わしによって自己中心に生きる女性が多くなってきたからです。父親も同様で、子供や妻から疎んじられることも多くなりました。父親も母親も、自分勝手に生きていて子どもから愛され慕われることはないでしょう。

 その反動でしょうか。家族を大事にして何でも一緒の家族もおります。子どもと親し過ぎて同じ目線、同じ行動、そして友達のような関係は、子どもにとっては迷惑であり、成長に支障が来ると思われます。

 要するに、家族の在り方、父親、母親の在り方が、戦後の家制度・家長制度の崩壊により、基準や目安がなくなってしまったのです。父親は、豊かになる為に一生懸命働けば良い、と考えられ、母親は夫を仕事に送り出し、子供を良い学校に行かせることが責任と思われました。

 日本の宗教は、寺や神社に帰依して集団性・地域性を保つための手段になっており、個人の人格的成長や在り方を教えるものでは無かったように思われます。日本の文化や伝統が否定されると、世俗的な価値観や欲望が社会に蔓延して家庭にも入り込みました。キリスト教にしても、きちんと聖書教育している教会は少ないようです。

 さて、リベカの行動と思いについて、そういう面では理解できない人も多いように思われます。信念と信仰のある人の行動は、普通の人にはわからないものなのです。

1. リベカとイサクは、神によって合わされたという確信があった。

 創世記24章に記される、神が彼らの結婚を導いた麗しい幾つかの出来事は大事です。結婚生活、夫婦の関係は、「この結婚が神の御旨によるものであることを確信しますか。」という誓いが前提です。惚れたとか、好きだから結婚したい、という思いを否定しませんが、それでも神の導きを確認しない結婚は幸せになりません。

2. リベカは、信仰によって生きることを選んだ。

 リベカは、兄と母が引き留めるにもかかわらず(創世記24・55)、直ぐに神の導きに従って家を出ることを覚悟しました。自分の生まれた家に固執する人は、男でも女でも幸せになることはありません。

3.リベカとイサクは深く愛し合っていた。(同24・67)。

4.「イサクは、自分の妻のために主に祈った。」(25・21)。

5.「兄が弟に仕える。」(同25・23)という預言を受けた。

6.信仰の故に「リベカはヤコブを愛していた。」(同28)

 「イサクはエサウを愛していた。猟の獲物を好んでいたからである。」(28)というのは、信仰ではなく嗜好に基づいて子どもを評価していたことがわかります。ヤコブは、神の祝福の源である「長子の権利」(31)を切望し、エサウは「長子の権利など、私にとって何になろう。」(32)と軽んじたのです。

7.エサウの異邦人の妻たちは「イサクとリベカにとって悩みの種となった。」(26・35)

 妻を娶ることを生活や子育ての手段とする男性は、低俗です。幸せになることも、妻を幸せにすることもありません。

8.エサウにイサクの祝福を継がせてはならないと信じていた。

父親は、社会慣行に判断を委ねてしまうことがあります。母親も、惰性や感情に任せてしまうことがあります。しかし、それでは、イエス様に繋がる神の系図が途絶えてしまいます。

リベカの人生で、実はここが最も歴史的にも聖書的にも家族的にも大事な判断でした。不信仰な者に家を継がせてはならないのです。リベカは、その為ならば、「子よ、あなたへののろいは私の身にあるように。ただ私の言うことをよく聞いて」(13)と強く息子に命じることができるのです。

私が物わかりの良い親は、子どもを育てることはできない、と考えるのは、信念や信仰は、親が犠牲を払い、子どもに嫌われても身に付けさせなければならないからです。

最近の人は、決断することができません。犠牲を払っても為すべきことを知りません。それでは、親が介護されなければならない時にも、自分の都合を優先してしまい、世話をすることはないでしょう。損得や状況に左右される人生を送る人が、幸せになることはありません。

信仰者でも、自分を優先する人が神に祝福されることはありません。「自分を愛してくれる人を愛したとしても、あなたがたに何の報いがあるでしょうか。取税人でも同じことをしているではありません。」(マタイ5・46)。犠牲を払い、家族を愛し仕える母に、神の報いが豊かにあるのです。

創世記27章1~13節

  • 27:1 イサクが年をとり、目がかすんでよく見えなくなったときのことである。彼は上の息子エサウを呼び寄せて、「わが子よ」と言った。すると彼は「はい、ここにおります」と答えた。
  • 27:2 イサクは言った。「見なさい。私は年老いて、いつ死ぬか分からない。
  • 27:3 さあ今、おまえの道具の矢筒と弓を取って野に出て行き、私のために獲物をしとめて来てくれないか。
  • 27:4 そして私のために私の好きなおいしい料理を作り、ここに持って来て、私に食べさせてくれ。私が死ぬ前に、私自ら、おまえを祝福できるように。」
  • 27:5 リベカは、イサクがその子エサウに話しているのを聞いていた。それで、エサウが獲物をしとめて父のところに持って来ようと野に出かけたとき、
  • 27:6 リベカは息子のヤコブに言った。「今私は、父上があなたの兄エサウにこう言っておられるのを聞きました。
  • 27:7 『獲物を捕って来て、私においしい料理を作ってくれ。食べて、死ぬ前に、【主】の前でおまえを祝福しよう。』
  • 27:8 さあ今、子よ、私があなたに命じることを、よく聞きなさい。
  • 27:9 さあ、群れのところに行って、そこから最上の子やぎを二匹取って私のところに来なさい。私はそれで、あなたの父上の好きな、おいしい料理を作りましょう。
  • 27:10 あなたが父上のところに持って行けば、食べて、死ぬ前にあなたを祝福してくださるでしょう。」
  • 27:11 ヤコブは母リベカに言った。「でも、兄さんのエサウは毛深い人なのに、私の肌は滑らかです。
  • 27:12 もしかすると父上は私にさわって、私にからかわれたと思うでしょう。私は祝福どころか、のろいをこの身に招くことになります。」
  • 27:13 母は彼に言った。「子よ、あなたへののろいは私の身にあるように。ただ私の言うことをよく聞いて、行って子やぎを取って来なさい。」