「不正な富に忠実であれ。」 ルカ16章1~13節
元首相への狙撃事件で、統一教会が問題となり、宗教への献金そして、宗教活動への傾倒が問題になってきています。しかし、私たちが注意するべきは、コロナを含めたマスコミのセンセーショナルな報道姿勢です。彼らは恐怖や敵、異常なものを取り上げて視聴率を上げる為の話題にしています。間接的ではありますが、富を求める為に、報道を操作しているのです。それは、コロナワクチンを接種しない人をやり玉にあげ、新興宗教の犠牲になった人を話題にして、作り上げられた通常の生活を過ごすように洗脳する罠でもあります。
今日の聖句は、ケチな人、頭の固い人、富に固執する人には、決してわからない奥義をイエス様ご自身が語ったところです。
ここで、「管理人」とは、私たちのことです。「主人の財産」とは、私たちが持っている財産や能力のことです。それらは、神から私たちに預けられたので私たちは管理をしているだけなのです。
人生は神の目的を果たす為にあるので、私たちが預けられたものをどのように管理するかが最後に問われるのです。管理人は、「主人の財産を無駄遣いしている」と訴えられたのです。おそらく、これは「訴える者」サタンの仕業でしょう。先ほどの報道もそうですが、日本社会はこの「訴える者」に対して非常に臆病です。覚えておくべきは、悪人はこれらの評判について気にしません。却って、評判を利用して私たちを脅そうとするのです。
この管理人は、特異な行動を取ります。自分の権限で主人への負債を軽減するのです。管理人が権限を用いて債務証書を書き直したら、それが正当なものとなってしまいます。彼は、債務者が自ら返せる程度の額に軽減したのです。主人とは神様ですから大金持ちです。マタイ25章には、主人がしもべたちの能力に応じて5タラント、2タラント、1タラントを預けたとあります。1タラントとは現在の価値で約一億円です。この話では、その預けられたお金を用いようとしなかったしもべが罰せられています。
レビ記には、ヨベルの年、つまり50年毎に負債が帳消しになり、奴隷は解放され、土地は元の所有者に返ることが決められています。これは、人が債務や過去の失敗に拘束されずに、新しく生きることができるという約束です。そういう面では、この聖句にある債務免除は聖書的なのです。
最も関心を引くのは、この世の富を「不正な富」と呼ぶことです。そして、「不正の富で、自分のために友をつくりなさい。」と教えています。
「あなたがたが不正の富に忠実でなければ、だれがあなたがたに、まことの富を任せるでしょうか。」。この世の富は不正な富であるけれども、その使い方が、自分を富まそうとするものであるならば、「忠実」ではないのです。この世の富は、たかが「不正の富」なのだ、とわきまえなければ、サタンの罠に陥るのです。確かに、金銭問題で破綻する人は多いのです。
「与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。」(ルカ6・38)が奥義です。貧しい時、若い時には人に与えることもあるけれども、自分の限界と年齢に気が付いてから気前が良い人は少ないものです。「金持ちが天の御国に入るのは難しいことです。」(マタイ19・23)とは、「金に執着する人が」ということです。
統一教会に限らず、カルト宗教の特徴は献金をさせることに執着することです。キリスト教会でもそのような教会はあります。牧師でも、成功者になりたい、金持ちになりたい、という人が多いものです。それもしょうがない、と思う人は、ご自身もその誘惑の中にあるのです。
「一方を憎んで他方を愛することになるか、一方を重んじて他方を軽んじることになります。」という人も多いものです。清貧を重視し過ぎて、富の使い方をわきまえず、嫌って偏屈になるのです。そういう人は、富が無くなった時に、その意地の代償を払うことになります。つまり、窮するのです。この箇所を説教した人はあまりいないように思われます。引用したとしても、「この世の富は不正の富なのだから、精一杯献金しなさい。」などという偏ったものになっています。つまり、使い方をわきまえていないのです。
「あなたがたが不正の富に忠実でなければ、だれがあなたがたに、まことの富を任せるでしょうか。」。これは、この世の富を神の国の為に賢く用い、神の富の管理人として忠実に用いるということです。「不正な管理人が賢く行動したのをほめた。」(8)とは、神に対する負債を軽くしたことを褒めたのであって、この管理人の不正が許されたわけではありません。
牧師という職業は、忠実であれば、最も「不正な富」を稼ぐには向いていないものです。しかし、この「不正な富」をないがしろにすると、この「不正な富」に支配されると思い、賢く行動することにしました。そして、この「不正な富」を忠実に用いることができる人が少ないことにも気が付いています。貧しさを覚悟しないと、「不正な富」に支配されます。
ルカ16章1~13節
- 16:1 イエスは弟子たちに対しても、次のように語られた。「ある金持ちに一人の管理人がいた。この管理人が主人の財産を無駄遣いしている、という訴えが主人にあった。
- 16:2 主人は彼を呼んで言った。『おまえについて聞いたこの話は何なのか。会計の報告を出しなさい。もうおまえに、管理を任せておくわけにはいかない。』
- 16:3 管理人は心の中で考えた。『どうしよう。主人は私から管理の仕事を取り上げようとしている。土を掘る力はないし、物乞いをするのは恥ずかしい。
- 16:4 分かった、こうしよう。管理の仕事をやめさせられても、人々が私を家に迎えてくれるようにすればよいのだ。』
- 16:5 そこで彼は、主人の債務者たちを一人ひとり呼んで、最初の人に、『私の主人に、いくら借りがありますか』と言った。
- 16:6 その人は『油百バテ』と答えた。すると彼は、『あなたの証文を受け取り、座ってすぐに五十と書きなさい』と言った。
- 16:7 それから別の人に、『あなたは、いくら借りがありますか』と言うと、その人は『小麦百コル』と答えた。彼は、『あなたの証文を受け取り、八十と書きなさい』と言った。
- 16:8 主人は、不正な管理人が賢く行動したのをほめた。この世の子らは、自分と同じ時代の人々の扱いについては、光の子らよりも賢いのである。
- 16:9 わたしはあなたがたに言います。不正の富で、自分のために友をつくりなさい。そうすれば、富がなくなったとき、彼らがあなたがたを永遠の住まいに迎えてくれます。
- 16:10 最も小さなことに忠実な人は、大きなことにも忠実であり、最も小さなことに不忠実な人は、大きなことにも不忠実です。
- 16:11 ですから、あなたがたが不正の富に忠実でなければ、だれがあなたがたに、まことの富を任せるでしょうか。
- 16:12 また、他人のものに忠実でなければ、だれがあなたがたに、あなたがた自身のものを持たせるでしょうか。
- 16:13 どんなしもべも二人の主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛することになるか、一方を重んじて他方を軽んじることになります。あなたがたは、神と富とに仕えることはできません。」
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