「闇の力に負ける人々。」ルカ福音書22章52~62節

先週「サタンがふるいにかける。」ということを語りましたが、あまりわかっていないようです。人間の理性や意志などは簡単に騙されます。ロシアの人々は、ウクライナへの侵攻が正当なものだと信じているからプーチンの人気が高いのでしょう。また、ロシアだけを悪者としている欧米の情報も、真実はわかりません。ともかく、数十兆円のお金が動き、何万人もの人々が死んでいることは事実です。第二次世界大戦の時に日本中が報道を信じ、鬼畜米英と思いました。福島の放射能汚染も真実が隠されていたのは事実です。新型コロナも多くの偽情報があります。ニュース報道をそのまま信じて不安になっているのは、恐怖映画にはまる愚かな人々のようです。彼らは観た後は、何気なく普通に暮らしているのです。祈らなければ、神と繋がらず、この世の霊に惑わされるのです。

シュロの主日と言われる大歓迎(マタイ21・9)の4日後に、「群衆がやってきた。」(ルカ22・47)。イエス様の弟子が大祭司のしもべの右の耳を切り落とすという殺気だった中でも、主は「耳に触って彼を癒された。」(51)。ところが、「押しかけて来た祭司長達、宮の守衛長達、長老たち」はそれに気付かずに、「強盗にでも向かうように、剣や棒を持って出てきた」のです。それは、「暗闇の力」(53)に惑わされているからです。

先週、長らく教会に来ていない人と連絡を取ったら、他の幾つかの教会のオンラインサイトと連絡を取っており、そちらに献金をしているとのことでした。過去にいろいろと世話をしてきましたが、実利的な傾向のある人でした。それらの教会の牧師は問題を起こしており、一人は教会籍をはく奪された人でした。災害の時に、当教会は教会員をなんとしても助け護るという方針を取っており、そのような利益を求めて教会を掛け持ちする人まで護る必要はないとして、確認の上、教会籍を除く同意を得ました。この世の誘惑や利益に惑わされるとサタンのふるいに落とされ、「闇の力」に負けます。

ウクライナでも、油断して国外避難が遅れた人々や、家が心配だとして戻った人々が殺害され、被害を受けています。残念ながら、戦時下でも緊張感が欠けているのです。災害の時に、悲惨な目に遭うのは、甘い考えの人々です。確かに、死ねば天国です。しかし、「サタンがふるいにかける」ということは、悲惨な苦しみの中で信仰を捨てさせ、敵意や恨みに心を占めさせるということなのです。終末とは、サタンの敵である信仰者が信仰から落とさせる罠に遭う時ということなのです。

ペテロは、「主よ。あなたとご一緒なら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」(22・33)とまで言ってのけたのですが、実際には「ペテロ、あなたに言っておきます。今日、鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言います。」(34)という恥ずべきことになりました。

一人で信仰を保てる人などはおりません。主は「あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(32)と信仰者は支え合い、祈り合わなければならないのです。それを悟らない人は、先ほどの人のように利益を求めてさまよい、祈られ助けられる神の家族を確保できないのです。

確かに、ペテロは自らが捕まることを恐れ、イエス様の弟子であることを3度否定します。そして、イエス様の預言の通りに「鶏が鳴いた。」「主は振り向いてペテロを見つめられた。」(61)。人は、罪びとであり、自己中心なので、「義人はいない。悟る者はいない。神を求める者はいない。善を行う者はいない。」(ローマ3・10-12.)とあるように、その人の能力や品性で神を求めることはないのです。ただ、後悔することはあり、罪を認めることはあります。イエス様は、ペテロがご自分を否定することによって自らの罪深さに気が付くようにされたのです。

先ほどの人も、利益を求めて教会をさまよい歩き、自分が失敗したり、試練に遭ったりした時に誰も助けてくれないことを体験するでしょう。そんな挫折の時に、悔い改めれば主の恵みを受けます。自分に都合の良い生き方をすれば、神も人も助けてはくれません。

私自身も、自分の子どもたちが、神に従う人生を身に着けてほしいと願っています。しかし、個性があり、能力があると、どうしても自分の力で生きようとします。人には、必ず神が試練と挫折の時を用意しておられます。そんな時、悔い改めて神に従う選択ができるかどうかが、いのちと死の分かれ目です。ですから、自己中心に生きて、世の中で成功しようとも、それなりの幸せをつかもうとも、決してそれを承認しません。自らの罪を認めて、悔い改めなければ、神の国には入れないのです。「暗闇の力」は私たちが、自己中心に生きるように引き入れているのです。

ルカ福音書22章52~62節

  • 22:52 それからイエスは、押しかけて来た祭司長たち、宮の守衛長たち、長老たちに言われた。「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持って出て来たのですか。
  • 22:53 わたしが毎日、宮で一緒にいる間、あなたがたはわたしに手をかけませんでした。しかし、今はあなたがたの時、暗闇の力です。」
  • 22:54 彼らはイエスを捕らえ、引いて行き、大祭司の家に連れて入った。ペテロは遠く離れてついて行った。
  • 22:55 人々が中庭の真ん中に火をたいて、座り込んでいたので、ペテロも中に交じって腰を下ろした。
  • 22:56 すると、ある召使いの女が、明かりの近くに座っているペテロを目にし、じっと見つめて言った。「この人も、イエスと一緒にいました。」
  • 22:57 しかし、ペテロはそれを否定して、「いや、私はその人を知らない」と言った。
  • 22:58 しばらくして、ほかの男が彼を見て言った。「あなたも彼らの仲間だ。」しかし、ペテロは「いや、違う」と言った。
  • 22:59 それから一時間ほどたつと、また別の男が強く主張した。「確かにこの人も彼と一緒だった。ガリラヤ人だから。」
  • 22:60 しかしペテロは、「あなたの言っていることは分からない」と言った。するとすぐ、彼がまだ話しているうちに、鶏が鳴いた。
  • 22:61 主は振り向いてペテロを見つめられた。ペテロは、「今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言います」と言われた主のことばを思い出した。
  • 22:62 そして、外に出て行って、激しく泣いた。