「神に委ねた者同士の交流。」 ルカ1章39~56節

エリサベツが住んでいた「山地にあるユダの町」(39)は、ヘブロン近くの町かと思われます。ナザレからは直線距離で160キロ、その行程は山また山の大変険しい道です。エリサベツは妊娠6ヵ月(36)であり、3ヵ月一緒に住んでいて、出産前に帰ったので、マリヤは天使に受胎を知らされて直ぐにエリサベツのもとに旅立ったのでしょう。女性の足で4,5日以上は掛かると思われます。当時のユダヤの治安は良かったのでしょうが、「あなたの親類のエリサベツ、あの人もあの年になって男の子を宿しています。」(36)という天使の言葉によって、同心の友を求めて必死に旅立ったマリヤの健気さ、不安を読み取ることができます。

乙女マリヤの気持ちは決して平穏ではありません。ともかくエリサベツに会いたい、エリサベツならば、私の気持ちを分かってくれるかもしれない、と必死に旅をしたのでしょう。私は、この時、マリヤの家族のことを思います。聖書には書いてありませんが、両親はいなかったのではないでしょうか。兄弟もおらず親戚に預けられて育っていたのかもしれません。

エリサベツに声を掛けると、「あなたは女の中で最も祝福された方。あなたの胎の実も祝福されています。私の主の母が私のところに来られるとは、どうしたことでしょう。」(42.43)と大声でエリサベツが叫び、抱きしめられました。マリヤは、それを聞いて、緊張が解け、泣き崩れたのかもしれません。

エリサベツが、突然訪れてきたマリヤを、「私の主の母」と呼ぶのは、あらかじめ神に示されていたからと思われます。エリサベツは妊娠後に、神に祈り、自分の妊娠の意味と神の御計画を求める祈りをしていたのでしょう。それにしても、エリサベツの霊性の高さと敏感さに驚かされます。

「ザカリヤという名の祭司がいた。彼の妻はアロンの子孫で、名をエリサベツといった。二人とも神の前に正しい人で、主のすべての命令と掟を落度なく行っていた。」(ルカ1・5.6)。歳を取っていたと、その後にありますが、民数記4・3からみると、祭司でいられるのは30歳から50歳なので、ザカリヤは40歳代後半、エリサベツも45歳位ではないかと思われます。「私はそのようなことを、何によって知ることができるでしょうか。この私は年寄りですし、妻ももう年をとっています。」(同1・18)とあるように、正しくまじめな人ですが、忠実さのゆえに頭が固くもなっているようです。突然の天使の来訪に「取り乱し、恐怖に襲われた。」(12)のです。

この夫が神のことばを信じなかった罰としてしばらくの間、口が聞けなくなったことは夫婦にとっては青天のへきれきでした。妊娠をしたエリサベツの「主は今このようにして私に目を留め、人々の間から私の恥を取り除いてくださいました」(1・24.25)は、神が自分に関わってくださっているという生ける信仰の覚醒です。

多くの人の日常は、罪によって支配された感動も希望もないものになっています。信仰が形骸化していては、人との間に心のこもった交流はできるものではありません。マリヤも、自分が男性との性交渉がないのに身ごもったことは感じていました。妊娠後期と妊娠前期の女性二人の心豊かな慈しみあいの生活は、その人生において幸福のひと時であったでしょう。

エリサベツは、「主によって語られたことは必ず実現すると信じた人は、幸いです。」(45)とマリヤを称賛し、それに答えてマリヤは、マリヤ賛歌と言われる感動的な言葉をあげます。マリヤもまた、「この卑しいはしために目を留めてくださった」と言います。「主はその御目をもって全地を隅々まで見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力を現してくださるのです。」(Ⅱ歴代誌16・9)神を信じて誠実に生きている人に神は目を留められ、そういう人間同士が誠実な交流ができるのです。

マリヤの賛歌は、「心の思いの高ぶる者」、「権力のある者」、「富む者」への批判があり、「主を恐れる者」、「低い者」、「飢えた者」、「アブラハムとその子孫」への深い同情と愛情があります。この若さで、か弱い女性が、しっかりと社会正義に目を向け、神に訴えているのです。誠実な信仰者は、自分の幸せだけに目を向けることはありません。弱者・貧しい者・信仰者への執り成しをしているのです。そして、「主はその御腕で力強いわざを行い、心の思いの高ぶる者を追い散らされました。」(51)。

信仰深く、誠実に生きている者にとって、この世は俗悪であり、人々は欲望に目をくらませて、人を陥れ自分を成功させようと企んでいます。マリヤは、そういう社会を体験してきたのです。マリヤ自身が、貧しく、飢えて暮らし、虐げられ、孤独に生きてきたのだと思います。誠実な人ほど、俗悪で攻撃的な人々とは、共に生きられないものです。

教会もまた、誠実な人の集まりとして、神ご自身が俗悪で攻撃的な人々を排除してきました。小さな世の光として、誠実に愛し合い、支え合っていきましょう。神が目を留めてくださいます。

ルカ1章39~56節

  • 1:39 それから、マリアは立って、山地にあるユダの町に急いで行った。
  • 1:40 そしてザカリヤの家に行って、エリサベツにあいさつした。
  • 1:41 エリサベツがマリアのあいさつを聞いたとき、子が胎内で躍り、エリサベツは聖霊に満たされた。
  • 1:42 そして大声で叫んだ。「あなたは女の中で最も祝福された方。あなたの胎の実も祝福されています。
  • 1:43 私の主の母が私のところに来られるとは、どうしたことでしょう。
  • 1:44 あなたのあいさつの声が私の耳に入った、ちょうどそのとき、私の胎内で子どもが喜んで躍りました。
  • 1:45 主によって語られたことは必ず実現すると信じた人は、幸いです。」
  • 1:46 マリアは言った。「私のたましいは主をあがめ、
  • 1:47 私の霊は私の救い主である神をたたえます。
  • 1:48 この卑しいはしために目を留めてくださったからです。ご覧ください。今から後、どの時代の人々も私を幸いな者と呼ぶでしょう。
  • 1:49 力ある方が、私に大きなことをしてくださったからです。その御名は聖なるもの、
  • 1:50 主のあわれみは、代々にわたって主を恐れる者に及びます。
  • 1:51 主はその御腕で力強いわざを行い、心の思いの高ぶる者を追い散らされました。
  • 1:52 権力のある者を王位から引き降ろし、低い者を高く引き上げられました。
  • 1:53 飢えた者を良いもので満ち足らせ、富む者を何も持たせずに追い返されました。
  • 1:54 主はあわれみを忘れずに、そのしもべイスラエルを助けてくださいました。
  • 1:55 私たちの父祖たちに語られたとおり、アブラハムとその子孫に対するあわれみをいつまでも忘れずに。」
  • 1:56 マリアは、三か月ほどエリサベツのもとにとどまって、家に帰った。