「悪霊の惑わし。」ヨハネ福音書8章42~50節

日本人は、悪魔や悪霊を「触らぬ神に祟り無し」くらいの感じでしか捉えていないようです。「空中の経緯を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って歩んでいました。」(エペソ2・2)とあるので、信仰者になる前は、悪魔の影響下にあったというのに、その自覚なく、救われる前と同じような考え方をしている人がいます。「あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であった」(2・1)状態と変わらないのです。

私たちは、神を信じて救われる前のことや、その状態を肯定して話すということは、エジプトを出たイスラエルの民が、エジプトを懐かしんでいるのと同じなのです。「今日、もし御声を聞くならば荒野での試みの日に御怒りを引き起こした時のように、心を頑なにしてはならない。」(へブル3・7.8)。自分の生まれや育ちを力説するのは、救いよりもそれを価値あるものとしているということであり、或は救われていない証拠なのです。「誰でもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ。すべてが新しくなりました。」(Ⅱコリント5・17)。信仰者は、新しい生き方をいつも心掛ける必要があるのです。

天使たちも、肉体はないものの、人格のあるものとして創造され、選択の能力が与えられていました。「私は神だ。」(エゼキエル28・2)と高慢になった大天使がサタンになったのですが、そのサタンに与した天使たちがおりました。「神は、罪を犯した御使いたちを、容赦せず、地獄に引き渡し、裁きの時まで暗闇の穴の中に閉じ込めてしまわれました。」(Ⅱペテロ2・4)とあり、また、前述のように空中の権を握って暗躍しているのです。つまり、罪の中にある人は、サタンの惑わしの中にあり、そのようにして世は、欲望と陰謀の中に争いと混乱があるのです。

悪霊の影響下にある人の特徴は、人格的自主的な判断ができないことです。悪霊は、その為に、以下のことをします。

① 快楽の虜にします。

スマホのニュースにマンガの欄がありますが、エロとグロばかりで、これを若者達が読んでいたら、性風俗や性犯罪の虜になるだろうと思われます。週刊誌も、そのような破廉恥な写真や記事が多く、働き盛りの男女は、落ち着いた生活ができないような悪影響を受けるでしょう。

② 怒りの虜にします。

今日の聖句は、信仰の父アブラハムの子孫だから選民であり、神の国に行けるとうぬぼれる人々の怒りをイエス様が受けたところです。自尊心を傷つけられた人々はイエス様の「真理を話しているために、あなたがたは信じません。」という言葉に聞く耳を持たないのです。キリスト教国と言われた韓国の一方的な国を挙げての反日的な言動に心を痛めます。韓国では、異端と言われるキリスト教が勢力を上げています。聖書的な人格教育は教会でされてきたのでしょうか。

③ 権力や名誉や富を獲得しようとする虜になります。

人々の集まる所の会話は自慢話ばかりです。能力のない者や障碍者は軽んじられ、強者には媚びて、利益を得ようとひたすら励みます。それを諦めた人々は、①や②に走ります。

④ 自信を喪失し、自己管理。健康管理を放棄して、自暴自棄になります。

精神病患者の悲惨さは、自信喪失です。それなのに、精神神経科医は、安易に患者を向精神薬の虜にします。多くのうつ病患者は、この世の勝利優先の価値観の犠牲者です。

⑤ 不適切な宗教の虜になります。

以上の虜になった人々は、その欲望を全うしようとして、偶像崇拝的儀式や迷信、洗脳、マインドコントロールの虜になっていきます。それは、信仰者や救いを得たクリスチャンでも同様です。「汚れた霊が人から出て行って。」(マタイ12・43)とあるので、救いを得たのでしょう。ところが、「帰って見ると、家はあいていて」(44)、つまり、信仰から離れていて、「自分よりも悪い霊を七つ連れて来て、みな入り込んでそこに住み着くのです。そうなるとその人の後の状態は、初めよりもさらに悪くなります。」(45)。

 「御国のことばを聞いても悟らないと、悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪っていきます。」(マタイ13・19)。悪い者とは、悪霊のことです。

 生まれながらの在り方を変えようとせず、「自分は愚かだ、聖書を理解できない。」などと言い訳を言いながら、みことばに従おうとしない人は、堅い岩のようで、何かが起こると信仰に躓いてしまいます。欲望に打ち勝とうとしない人もまた、茨にふさがれて信仰が枯れてしまうのです。

 「悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。」(エペソ6・11-13)

ヨハネ福音書8章42~50節

  • 8:42 イエスは言われた。「神がもしあなたがたの父であるなら、あなたがたはわたしを愛するはずです。なぜなら、わたしは神から出て来てここにいるからです。わたしは自分で来たのではなく、神がわたしを遣わしたのです。
  • 8:43 あなたがたは、なぜわたしの話していることがわからないのでしょう。それは、あなたがたがわたしのことばに耳を傾けることができないからです。
  • 8:44 あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願っているのです。悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。彼のうちには真理がないからです。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父であるからです。
  • 8:45 しかし、このわたしは真理を話しているために、あなたがたはわたしを信じません。
  • 8:46 あなたがたのうちだれか、わたしに罪があると責める者がいますか。わたしが真理を話しているなら、なぜわたしを信じないのですか。
  • 8:47 神から出た者は、神のことばに聞き従います。ですから、あなたがたが聞き従わないのは、あなたがたが神から出た者でないからです。」
  • 8:48 ユダヤ人たちは答えて、イエスに言った。「私たちが、あなたはサマリヤ人で、悪霊につかれていると言うのは当然ではありませんか。」
  • 8:49 イエスは答えられた。「わたしは悪霊につかれてはいません。わたしは父を敬っています。しかしあなたがたは、わたしを卑しめています。
  • 8:50 しかし、わたしはわたしの栄誉を求めません。それをお求めになり、さばきをなさる方がおられます。