「埋葬の備えの香油を注ぐ女性。」 マタイ26章2~13節

批判を覚悟して言うと、私はSDGsがあまり好きではありません。「持続可能な開発目標」として17の目標が挙げられています。貧困をなくし、飢餓をゼロに、全ての人に健康と福祉、質の高い教育、性の平等、安全な水とトイレ、エネルギーを十分かつクリーンに、働き甲斐も、経済成長も、産業と技術革新、不平等をなくす、住み続けられる良い街づくり、作る責任・使う責任、気候変動対策、海の豊かさを守る、陸の豊かさを守る、平和と公正を全ての人に、パートナーシップで目標達成、とあります。理想的ですがどれも達成は非常に難しく、世界は逆の方向に進んでいます。

 環境保全や自然保護と言っても、どの時点の自然なのでしょうか。地球には氷河期もあり、火山噴火や地震は環境破壊の最たるものですが、それを収めようとするのでしょうか。人類の歴史は殺戮や暴力、そして戦争であり、現在も多くの戦争や殺戮が行われています。それを収めようとするのは、神に代わる権力者になろうとする人間です。

 SDGsなどに協賛しているのが、ユニセフをはじめとした慈善団体です。善意の人々の浄財を集め、活動を拡大しています。むろん、私自身、多くの慈善団体に寄付をしていますが、気を付けないと、そういう活動によって莫大な所得を持つ個人がいることです。

 宗教についても同様で、教祖は御利益を説いて、自分が膨大な利益を得ています。信者は篤信な人々ですが、その人々を欺いているのです。公明正大で全知全能の神の前では、手練手管は無駄です。人格的な神を信じ認めていないから、胡散臭い宗教勧誘をするのです。

 宗教深い人や善意な人々は、貧しい人々や苦しんでいる人々を助けなければいけないという敬愛の精神を持ち、豊かになれば、密かに感じる罪責感を逃れようと、寄付や慈善事業に応じます。

 わたしからすれば、その程度の寄付や慈善行為で神の国に入れたら、大儲けであり、調子の良い考え方だと思います。つまり、品性と人格の無さが現れているのです。神を軽んじているのです。言い換えれば、神を真剣に信じていないから、打算的なのです。

イエス様は金持ちで善良な青年に言いました。「あなたの財産を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を持つことになります。そのうえで、わたしに従って来なさい。」(マタイ19・21)。彼は、適当な善行では神の国に行けないことを感じていたのです。

この女性は、ヨハネによれば兄ラザロをよみがえらせていただいたマリヤです。ナルドの香油は、ヒマラヤの高山に生える草から取れる精油で、死体に塗る為に用いられる高価なもので、1リトラ(328g)では300デナリ(300万円)以上するものでした。イスカリオテのユダは「この香油を三百デナリで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」(ヨハネ12・5)と非難しますが、彼は「盗人で金入れを預かりながら、そこに入っているものを盗んでいた。」(同6)。

 「誰も二人の主人に仕えることはできません。…神と富とに仕えることはできません。」(マタイ6・24)。「この世の思い煩いや、富の惑わし、その他いろいろな欲望が入り込んでみことばを塞ぐので、実を結ぶことができません。」(マルコ4・19)。

結局のところ、殆どの人はユダのように金に惑わされているのです。ひるがえって、マリヤは何故、自分の結婚資金である香油をイエス様に注いでしまったのでしょうか。

この前の2節に「二日経つと過越しの祭りになります。そして、人の子は十字架につけられるために引き渡されます。」とイエス様は言われました。弟子たちは、このイエス様の言葉をまともに受け取っていなかったのです。マリヤは真剣に受け留めたのです。

その前の25章には、「最も小さな者達の一人にしなかったのは、私にしなかったのだ。こうして、この者たちは永遠の刑罰に入り、正しい人たちは、永遠のいのちに入るのです。」(45.46)と警告しておられます。

私は何かを成し遂げようとする時には、必ず試練があります。多くの人は試練があると、願いを捨てて逃げています。都合の良いように願い、決して都合の悪いことはしようとしないのです。むろん、信仰のない人は顕著ですが、自称信仰者もそういう傾向が多いのです。自分によって支障のない行動を取るのです。

マリヤにとって「イエスの頭に香油を注いだ。」ことは、自分の人生を捨て、イエス様に感謝を献げたことなのです。イエス様の十字架を真に受け留め、「香油をわたしのからだに注いで、わたしを埋葬する備えをしてくれたのです。」(12)。

28年に新会堂を建て上げようとしていますが、その前に多くの出費を余儀なくさせられています。祈りながら、『わたしは人の手で造られたこの神殿を壊し、人の手で造られたのではない別の神殿を三日で建てる』(マルコ14・58)を思いました。せっかく建てた会堂も、地震で壊れるかもしれない。しかし、真の信仰者によって教会を築き上げるならば、倒れることはないと示されました。

マタイ26章2~13節

  • 26:2 「あなたがたも知っているとおり、二日たつと過越の祭りになります。そして、人の子は十字架につけられるために引き渡されます。」
  • 26:3 そのころ、祭司長たちや民の長老たちはカヤパという大祭司の邸宅に集まり、
  • 26:4 イエスをだまして捕らえ、殺そうと相談した。
  • 26:5 彼らは、「祭りの間はやめておこう。民の間に騒ぎが起こるといけない」と話していた。
  • 26:6 さて、イエスがベタニアで、ツァラアトに冒された人シモンの家におられると、
  • 26:7 ある女の人が、非常に高価な香油の入った小さな壺を持って、みもとにやって来た。そして、食卓に着いておられたイエスの頭に香油を注いだ。
  • 26:8 弟子たちはこれを見て、憤慨して言った。「何のために、こんな無駄なことをするのか。
  • 26:9 この香油なら高く売れて、貧しい人たちに施しができたのに。」
  • 26:10 イエスはこれを知って彼らに言われた。「なぜこの人を困らせるのですか。わたしに良いことをしてくれました。
  • 26:11 貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいます。しかし、わたしはいつも一緒にいるわけではありません。
  • 26:12 この人はこの香油をわたしのからだに注いで、わたしを埋葬する備えをしてくれたのです。
  • 26:13 まことに、あなたがたに言います。世界中どこでも、この福音が宣べ伝えられるところでは、この人がしたことも、この人の記念として語られます。」