「十字架を負って従う。」マタイ16章18~27節 

ウクライナでは、国を守るため、家族を守るために、人々が命懸けで戦っています。女性も兵隊になっていますが、それは女性が守られる社会になったからであり、また女性さえも戦わなければならない状況だからです。

日本で、国の存亡の危機に、どれだけの人が戦う覚悟を持っているか疑います。非戦を唱える人もいますが、それは自らが殺されても良いという覚悟を持たなければ言ってはいけないものです。歴史的に、戦争は殺戮であり、先の第二次世界大戦でも、東京大空襲や原爆など大人も子供も皆殺されています。

男とは、敵が攻撃してきた時に、命がけで家族を、属する手段を守る責任を負わなければなりません。人生もまた、戦いであり、その気概の無い人は、女性に結婚相手と見なされないものです。

「強くあれ、雄々しくあれ、恐れてはならない。おののいてはならない。」(ヨシュア1・9)と神はモーセの後継者ヨシュアに命じ、人々はヨシュアに「あなたが私たちに命じたことはなんでも行います。あなたが遣わすところには、どこでも参ります。私たちは、あらゆる点でモーセに聞き従ったように、あなたに聞き従います。」(同1・16.17)と応じました。

男性の特性は組織や命令に忠実であるということです。さらに目的や使命に命懸けになるということがあります。私は、日本の沈滞は、この使命や課題に命懸けに取り組む人々がなくなったことが原因であると思います。泣き言や言い訳は決して言わずに戦う気概がなければ、どのような状況でも社会でも負けることは必定です。

女性にそれを期待したら、男性の命がけの気概はなくなります。女性子供を守るためという意識こそが、男性を強くするのです。上京した時に、チャンチャラした若い人が多く、情けなくて、大学の職員らと交流したことを覚えています。私の周りに人が集まってきましたが、それらの人と親しくしたところで、自分が呆けてしまうような気がしました。父の影響でしょうか、茶飲み話はお茶を飲み終わったら止めるべきで、それ以上はダメな人間になると戒めて来ました。

クリスチャンになって、この「十字架を負って神に従う。」という使命感が、私の生き甲斐になり、神の国に行く条件として、自分を戒めるものになっています。いつの時代も人生は戦いです。ところが、日本では高度成長期以後、豊かになってこの意識が男性の中から消えてしまったのです。

歴史は繰り返します。国が栄え豊かになると、人々は堕落して戦う気概を無くして退廃し、敵国に収奪されます。神の国も同様です。「裕福な者が神の国に入ることは、何とむずかしいことでしょう。」(マルコ10・23)。「天の御国は激しく攻められています。そして、激しく攻める者たちがそれを奪い取っています。」(マタイ11・12)。

私には、キリスト教の牧師たちと信者たちの緊張感のなさが心配です。初代教会の信者たちに比べて現代の信仰生活は、かなり生ぬるいものです。これで天国に行けると説くのは、詐欺師のようなものです。「主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言し、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの奇跡を行ったではありませんか。』しかし、わたしはそのとき、彼らにはっきりと言います。『わたしはおまえたちを全く知らない。不法を行う者たち、わたしから離れて行け。』」(マタイ7・22.23)。

神が祝してくださった。守ってくださった。恵まれた。などと信仰の恵みを語り分かち合うことも大事です。しかし、もっと必要なことは、どんな時でも、みことばに従い、神の御旨を求め、愚痴や批判を言わず、神に従って、十字架の道を歩むことです。

「良い実を結ばない木はみな切り倒されて、火に投げ込まれます。」(マタイ19)。なんとしても、良い実を実らせようと努力をしなければならないのです。農夫が努力して世話をしなければ良い実は実りません。努力しても、気候や病虫害、動物によって実りが得られないこともあります。それで諦めたら、挫折したら、来年の実りはないのです。

父親は、子供たちに働くこと、親に従うことを身に付けさせなければなりません。それをしなければ、子供たちを露頭に迷わせ、神の国の道から逸脱させてしまうからです。「わが子よ。主の懲らしめを拒むな。その叱責を嫌うな。父がいとしい子を叱るように、主は愛する者を叱る。」(箴言3・11.12)。うまく行かない時に、困難な時に、神に愚痴を言うのでは、信仰者とは言えません。「子たちよ。父の訓戒に聞き従え。耳を傾けよ。悟りを得よ。」(箴言4・1)。最近は、子供を叱ったり、訓戒をする父親が少なくなりました。親の責任放棄では、十字架を負っていないことは間違いありません。

マタイ16章18~27節

  • 16:18 そこで、わたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます。よみの門もそれに打ち勝つことはできません。
  • 16:19 わたしはあなたに天の御国の鍵を与えます。あなたが地上でつなぐことは天においてもつながれ、あなたが地上で解くことは天においても解かれます。」
  • 16:20 そのときイエスは弟子たちに、ご自分がキリストであることをだれにも言ってはならない、と命じられた。
  • 16:21 そのときからイエスは、ご自分がエルサレムに行って、長老たち、祭司長たち、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、三日目によみがえらなければならないことを、弟子たちに示し始められた。
  • 16:22 すると、ペテロはイエスをわきにお連れして、いさめ始めた。「主よ、とんでもないことです。そんなことがあなたに起こるはずがありません。」
  • 16:23 しかし、イエスは振り向いてペテロに言われた。「下がれ、サタン。あなたは、わたしをつまずかせるものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」
  • 16:24 それからイエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。
  • 16:25 自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者はそれを見出すのです。
  • 16:26 人は、たとえ全世界を手に入れても、自分のいのちを失ったら何の益があるでしょうか。そのいのちを買い戻すのに、人は何を差し出せばよいのでしょうか。
  • 16:27 人の子は、やがて父の栄光を帯びて御使いたちとともに来ます。そしてそのときには、それぞれその行いに応じて報います。