「神と人と戦って勝つヤコブ。」 創世記32章22~30節

ヤコブの性格は、「穏やかな人で、天幕に住んでいた。」(創世記25・27)。野に住むエサウに比べて、母親と共に住み、滑らかな肌(27・11)を持つ優しい男性でした。ところが、神の祝福を受け継ぐ者とされた後には激動の人生が始まり、性格も神の御手の中で変えられて行きます。

荒々しいエサウに殺されることを恐れて、両親に叔父のラバンの所に行って、その娘を嫁にするように指導されます。一人寂しく旅立ち、石を枕に眠ると夢を見ます。べテル(神の家)と名付けられたその地に、天から地に梯子が掛かっているのです。そして、「わたしはあなたと共にいて、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」(28・15)とお告げを受けます。ヤコブの心細さを知っておられる神は、そのような励ましをわざわざするのですが、ヤコブは生涯の什一献金を約束して、神の祝福を願うのです。

「十分の一をことごとく宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしを試してみよ。わたしがあなたがたのために天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうか。」(マラキ3・10)とあるように、什一献金とは、神の祝福を求める誓願です。何も持たずに一人旅立ったヤコブは、神にしか拠り所はなかったのです。

従妹のラケルに出会ったヤコブは、「口づけし、声をあげて泣いた。」(29・11)。心細かったのでしょう。叔父ラバンは、1か月、必死に働くヤコブを見て、報酬を尋ねます。ヤコブは、ラケルを妻とするためにと7年間のただ働きを申し出ます(18)。しかし、婚礼の夜に床にいたのは姉のレアでした。働き者であり、神の祝福のあるヤコブにもっと働いて欲しかったのです。愛するラケルと結婚する為に、更に7年のただ働きを強いられました。

兄エサウを騙したヤコブは、叔父ラバンに騙されることになったのです。そして、ヤコブの愛を求める姉と妹の争いにも巻き込まれることになります。人を騙した者は人に騙され、人を苦しめるのは愛欲の争いです。日々繰り返される姉妹の争いの中で、争いが嫌なヤコブは、さぞ苦しんだことでしょう。姉妹の争いだけでなく、それぞれの女奴隷をも妻として子を産むように強いられたのです。苦労知らずに育ったヤコブにとって、この14年間は忍耐の年月でした。ずる賢い叔父から離れたかったでしょうが、ヤコブには、妻子はいても、富も権力もありませんでした。

ラバンは「あなたのお陰で主が私を祝福して下さったことを、私は占いで知っている。」(30・27)とあるように、ラバンは神を知っていても、占いに頼る金銭欲の強いずる賢い人でした。しかし、ヤコブも次第に強さと知恵がついて来ました。下手な要求をして、ラバンに生涯使われてしまってはいけません。普通ならば、あまり生まれない「子羊の中で黒毛のものをすべて、やぎの中では斑毛とぶち毛のものを取り分けて、それらを私の報酬にしてください。」(32)と神の祝福による蓄財を願ったのです。

ずる賢いラバンは、それに適合する羊とやぎを取り分けて息子たちに預け、三日分の距離を置きました(35)。つまり、それに適合するものはなくなったのです。それに対抗するヤコブの策はたわいのないものでした。しかし、神は祝福され、「弱いものはラバンのものとなり、強いものはヤコブのものとなった。このようにして、この人は大いに富み、多くの群れと男女の奴隷、それにらくだとろばを持つようになった。」(42)。

以前、「信仰は合理的なものではない。」とお話ししましたが、論理で生きようとする者は、神に頼ることが少ないので、神も祝福しようがないのです。「求めなさい。そうすれば与えられます。」(マタイ7・7)。

たかが6年間でヤコブは大層豊かになったのです。そして、ヤコブは、「私は、あなたたちの父の態度が以前のようではないのに気付いている。しかし、私の父の神は私と共におられる。」(31・5O)とヤコブは、富と共に自信もついてきたのでした。「わたしは、あのべテルの神だ。あなたはそこで、石の柱に油注ぎをし、わたしに誓願を立てた。さあ立って、この土地を出て、あなたの生まれ故郷に帰りなさい。」(13)。誓願は信仰ある者の証拠であり、その人を誘惑や弱気から守ります。

しかし、幼い時から知っていた兄エサウの気性の粗さ、乱暴さ、強さには、「ヤコブは非常に恐れ、不安になった。」(32・7)。ヤコブは、人や家畜を二つに分け、「どうか、私の兄エサウの手から私を救い出してください。」(11)と神に縋り付きます。そして、さらに群れを分け、贈り物を届けます。一人だけ、残った夜、神の使いがヤコブに格闘を仕掛けてきました。ヤコブは、決して降参しませんでした。そして、「私はあなたをさらせません。私を祝福してくださらなければ。」(26)と願い、「あなたの名は、イスラエルだ。あなたが神と、また人と戦って、勝ったからだ。」(28)。と宣言します。大事なことは、決して降参しない根性です。

創世記32章22~30節

  • 32:22 その夜、彼は起き上がり、二人の妻と二人の女奴隷、そして十一人の子どもたちを連れ出し、ヤボクの渡し場を渡った。
  • 32:23 彼らを連れ出して川を渡らせ、また自分の所有するものも渡らせた。
  • 32:24 ヤコブが一人だけ後に残ると、ある人が夜明けまで彼と格闘した。
  • 32:25 その人はヤコブに勝てないのを見てとって、彼のももの関節を打った。ヤコブのももの関節は、その人と格闘しているうちに外れた。
  • 32:26 すると、その人は言った。「わたしを去らせよ。夜が明けるから。」ヤコブは言った。「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。」
  • 32:27 その人は言った。「あなたの名は何というのか。」彼は言った。「ヤコブです。」
  • 32:28 その人は言った。「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたが神と、また人と戦って、勝ったからだ。」
  • 32:29 ヤコブは願って言った。「どうか、あなたの名を教えてください。」すると、その人は「いったい、なぜ、わたしの名を尋ねるのか」と言って、その場で彼を祝福した。
  • 32:30 そこでヤコブは、その場所の名をペヌエルと呼んだ。「私は顔と顔を合わせて神を見たのに、私のいのちは救われた」という意味である。