「神がイサクに定めた嫁リベカ。」 創世記24章12~21節

アブラハムは歳を重ねていたが、「主はあらゆる面でアブラハムを祝福しておられた。」(24・1)。残る懸念は、愛する息子イサクの嫁探しでした。異教を信じる俗悪なカナン人から嫁を得たら大変なことになると、長い人生の中で学んだアブラハムは、自分の親族、つまりアダムから流れる選びの系図から嫁を選んで来るようにしもべの長に告げます。彼は、子どもがいなければ相続人とされる「ダマスコのエリエゼル」(15・2)だと思われます。

10頭のラクダと部下を連れて旅をし、千キロほども離れたナホルの町に行き、夕暮れに井戸の傍で祈ります。エリエゼルは、主人の願いをよく知っています。それは、働き者で優しく配慮に満ちた乙女です。

そこに現れたのがアブラハムの兄ナホルの娘ミルカの娘リベカ、つまり従妹の娘です。旅人は、勝手に井戸の水を飲むわけにはいきません。暑い盛りですから、怠け者は涼しくなってからきます。最初に来たのがリベカで、14節に祈ったように水を求めると、自分が汲んだ水瓶から飲ませ、自らラクダにも飲ませましょうと働きます。ラクダは、一回に飲む水の量は100リットルにもなるそうです。10頭では1000リットルにもなり、水瓶10リットルとしても100回にもなります。しもべたちも手伝ったのかもしれませんが、勝手にすることはできないので、リベカが労を惜しまない働き者で優しい乙女であることは間違いありません。

彼は、重さ12gほどの金の飾り輪と114gの金の腕輪をリベカに与えて身元を尋ねます。合わせて金価格でも現在では100万円になります。リベカは当惑しますが、叔父アブラハムのしもべと知り、ともかく自分の家の客人として来るように招きます。エリエゼルは「ひざまずき、主を礼拝して、こう言った。『私の主人アブラハムの神、主がほめたたえられますように。主は、私の主人に対する恵みとまことをお捨てになりませんでした。主は道中、この私を導いてくださいました。主人の兄弟の家にまで。』」(27)。

信仰をもって歩む者には、神があらかじめ用意をしてくださいます。アブラハムがイサクを献げようとした時に、神が雄羊を用意していてくださったように「主の家には備えがある。」(アドナイ・イルエ)(創世記22・14)なのです。

リベカの兄ラバンは、後にヤコブが騙されるように富への欲望が強く、ずる賢い人間です。リベカへの金の贈り物を見て、すぐに泉の傍に来てエリエゼルを歓待します。ところが、多くの経験をし、人も見抜くエリエゼルは、簡単に心を赦ししません。食事を接待されると人は心が解けて、使命を全うできません。主人アブラハムからの要件を伝えます。

アブラハムは、人生を神に懸けた信仰の人です。「私は主の前に歩んできた。その主が御使いをあなたと一緒に遣わし、あなたの旅を成功させてくださる。あなたは、私の親族、私の父の家から、私の息子に妻を迎えなさい。次のようなときは、あなたは私との誓いから解かれる。あなたが私の親族のところに行ったときに、もし彼らがあなたに娘を与えないなら、そのとき、あなたは私との誓いから解かれる。」(40-41)。

父ベトエルと兄ラバンも、信仰の系図の人ですから、「主からこのことが出たのですから、私たちはあなたに良し悪しを言うことはできません。」(50)と言わざるを得ません。エリエゼルは、「彼らのことばを聞くやいなや、地にひれ伏して礼拝した。」(52)。私たちは、信仰者の前でも未信者の前でも自らの信仰とその行為を隠したりせずに大胆に振る舞うべきです。食事の祈りも、感謝は表に出した方が人にも自分にも良いものです。

泊まってすぐの朝、エリエゼルはリベカを連れて帰ると言いますが、母も兄も十日ほどゆっくり過ごして、娘との別れを惜しませてくれといいます。こう言われると多くの人は、妥協をしてしまいます。後にリベカの息子のヤコブは、20年間騙されてきました(31・41)。しかし、老練なしもべエリエゼルは、人情や妥協に流されずに使命に生きます。日本の信仰者が信仰の勝利を得られないのは、このように信仰を優先することがないからです。リベカも「はい、行きます。」(58)と即断します。この後、リベカは故郷に帰ることがありません。妻たちが実家に帰って甘え、楽にすると、親たちは甘やかします。それで夫婦の健全な関係が損なわれることは多くあります。夫婦は一体であり、親兄弟を離れた意識を持つことが大事です(創世記2・24)。娘の決心を見て、彼らも信仰を覚醒して祈ります。「あなたの子孫は、敵の門を勝ち取るように。」(60)。

「イサクは夕暮れ近く、野に散歩に出かけた。彼が目を上げて見ると、ちょうど、らくだが近づいて来ていた。リベカも目を上げ、イサクを見ると、らくだから降り、しもべに尋ねた。『野を歩いて私たちを迎えに来る、あの方はどなたですか。』しもべは答えた。『あの方が私の主人です。』そこで、リベカはベールを手に取って、身をおおった。」(63-65)。聖書で最もロマン的なシーンです。

創世記24章12~21節

  • 24:12 そうして言った。「私の主人アブラハムの神、【主】よ。どうか今日、私のために取り計らい、私の主人アブラハムに恵みを施してください。
  • 24:13 ご覧ください。私は泉のそばに立っています。この町の人々の娘たちが、水を汲みに出て来るでしょう。
  • 24:14 私が娘に、『どうか、あなたの水がめを傾けて、私に飲ませてください』と言い、その娘が、『お飲みください。あなたのらくだにも水を飲ませましょう』と言ったなら、その娘こそ、あなたが、あなたのしもべイサクのために定めておられた人です。このことで、あなたが私の主人に恵みを施されたことを、私が知ることができますように。」
  • 24:15 しもべがまだ言い終わらないうちに、見よ、リベカが水がめを肩に載せて出て来た。リベカはミルカの子ベトエルの娘で、ミルカはアブラハムの兄弟ナホルの妻であった。
  • 24:16 この娘は非常に美しく、処女で、男が触れたことがなかった。彼女は泉に下りて行き、水がめを満たして上がって来た。
  • 24:17 しもべは彼女の方に走って行って、言った。「どうか、あなたの水がめから、水を少し飲ませてください。」
  • 24:18 すると彼女は、「どうぞ、お飲みください。ご主人様」と言って、すばやくその手に水がめを取り降ろし、彼に飲ませた。
  • 24:19 水を飲ませ終わると、彼女は、「あなたのらくだにも、飲み終わるまで、水を汲みましょう」と言った。
  • 24:20 彼女は急いで水がめの水を水ぶねにあけ、水を汲みに、再び井戸まで走って行き、すべてのらくだのために水を汲んだ。
  • 24:21 この人は、【主】が自分の旅を成功させてくださったかどうかを知ろうと、黙って彼女を見つめていた。