「天国に入ろうとはしない人々。」マタイ22章1~14節 櫻井圀郎協力牧師

「天の御国は人なり」。「天国」は「人」「法人」です。意思決定機関(父なる神)があり、意思表示機関(基督)があり、意思実行機関(聖霊)を備える組織体です。社団法人ではなく、財団法人です。

天国に入るとは財団法人の職員になること。資格、経歴、学識、特技、能力などが必要です。誰でも入れるのではなく、限定者だけ。地上にある限り努力・労苦(=聖化)を尽くした者だけです。因みに、採用試験・面接は「最後の審判」です。

 この喩えでは、国王主催の王子の婚礼への招待客を問題としています。不思議なことに、招待者は何故か与りたくないのです。

 それが天国です。実は、誰も入りたいと思っていないのです。

   Ⅰ 生活で背一杯、招待さえキャンセル

 第一のケースはドタキャン組です。国王からの王子の婚礼への招待ですから、貧農や町の商店ではなく、豪農が大商人でしょう。

畑に行くと言っても、汗を流して畑を耕しに行くというのではなく、商売に行くと言っても、露店の市場や行商に行くという意味ではないのです。

 とはいえ、王の侍従が迎えの馬車で来ているのにドタキャンするとは考えられません。しかも2回も。王に対抗できる権威や勢力のある者でしょう。現代の無神論者のIT長者や金本位の投資家らでは。

   Ⅱ 社会の仕組み不理解、邪魔者は消せ

 その第二は、事もあろうに、王の侍従を捕えて縛りあげ、傲慢無礼にも辱めを与えて殺害してしまう人々です。

 この場面で殺害の必要はありませんから、単なる暇潰し、お遊び、余興、お慰めでしょう。極めて怖い考え方です。

「急用ができたので失礼させていただきます」とでも断れば済む話ではないでしょうか。

 もちろん、王が「俺の招待をドタキャンするとはけしからん。家族もろとも打首獄門、家財没収」と命令した可能性もあります。

そうすると言っていないのに、そうすると思い込んで、先手を打つつもりで過激な行動を取るのです。現代の国際社会のよう。

欠落しているのは、信頼であり、愛です。

 案の定、王は烈火の如くに怒り、親衛隊を出動させて惨殺・焼き討ちです。予想通り? 王に逆らう彼らも彼らなら、王も王です。

 イエス様ご自身のことを想起してのことかも。主は捕縛・鞭打ち・侮辱を受け、十字架を背負わされて市中引き回しされ、全裸で十字架に釘付けにされました。残虐刑です。

 ここでの喩えは残虐者側の問題なので、残虐行為に走る心理を考えます。神を信ぜず、五感のみに頼る無神論の唯物論者は常に極めて不安な人生です。

   Ⅲ 無理矢理招いても、礼儀を弁えない

 その第三は、町筋で手当たり次第に招かれた者たちです。飛び上がって喜び、急いで帰宅し、一番良い服で身を整え、婚礼に赴いたはずです。

 しかし、中には、礼儀を弁えず、礼儀を無視し、礼儀に逆らう者もいます。王は「両足両手を縛り上げ、外の放り出せ」と下命する次第です。地獄を意味しています。

 「多数招かるるも、少数選ばるるなり」と言います。

 第一の招待客は、「神より金」と断ずる金銭崇拝者らです。

 第二の招待客は、神に敵対し、神を打倒しようとする無神論のIT長者らとその手下らです。

 第三の者は、多くの現代人です。儀礼や服装や風俗が乱れています。服装次第で心も変わります。ここで喩えの言う服装とは、心の服装のことです。

この喩えの王子の結婚式……、これは基督の結婚式です。新天新地において催行されるものです。その花嫁は真の信者です。

 昨今、基督者も世情に流され乱れています。無神論の金銭崇拝者らの影響を受け、積極的に倣っています。せっかく招かれたのに、残念な結果に終わってしまいます。

この喩えの少数者とは、街角で誘われ、身なりを整えて、礼を尽くして、婚礼に参列した者です。

天国は多数決ではありません。社団法人ではなく、財団法人という意味です。

マタイ22章1~14節(櫻井圀郎師訳)

 天の御国は人なり。(即ち)我が子の婚礼を控えし王の如くなり。

1) 王は、(儀式に則り)婚礼の招待客らに出迎えの使者を遣わせりしが、(畏れ多くも、彼らは、王の招待を無視し)参席する事なし。

 王が第二の使者を送りたるところ、(彼らはそれに)頓着することなく、ある者は自分の畑に、ある者は自分の商売へと出かけたり。

2) また別の者らは(事もあろうに)王の使者を捕縛し、傲慢無礼に扱い、これを殺害せり。

 王は(烈火の如く)怒り、王の親衛隊を出動させ、殺人者らを惨殺し、彼らの町を焼き払いたり。

3) (次いで)王は(家来に)命令した、「道という道の辻に出向き、出会う人を、手当り次第、できるだけ多く、婚礼に招け」。・・・。

 王が(婚礼の宴席に)入り、横臥せる者らを見るに、婚礼の衣服を着用せざる人あり。・・・。

 王は家来に命ぜり。「奴の両足両手を縛り上げ、外の暗黒に放り出せ」。・・・。

 多数(の者)招かるるも、少数(の者のみ)選ばるる(なり)。

マタイ22章1~14節

  • 22:1 イエスは彼らに対し、再びたとえをもって話された。
  • 22:2 「天の御国は、自分の息子のために、結婚の披露宴を催した王にたとえることができます。
  • 22:3 王は披露宴に招待した客を呼びにしもべたちを遣わしたが、彼らは来ようとしなかった。
  • 22:4 それで再び、次のように言って別のしもべたちを遣わした。『招待した客にこう言いなさい。「私は食事を用意しました。私の雄牛や肥えた家畜を屠り、何もかも整いました。どうぞ披露宴においでください」と。』
  • 22:5 ところが彼らは気にもかけず、ある者は自分の畑に、別の者は自分の商売に出て行き、
  • 22:6 残りの者たちは、王のしもべたちを捕まえて侮辱し、殺してしまった。
  • 22:7 王は怒って軍隊を送り、その人殺しどもを滅ぼして、彼らの町を焼き払った。
  • 22:8 それから王はしもべたちに言った。『披露宴の用意はできているが、招待した人たちはふさわしくなかった。
  • 22:9 だから大通りに行って、出会った人をみな披露宴に招きなさい。』
  • 22:10 しもべたちは通りに出て行って、良い人でも悪い人でも出会った人をみな集めたので、披露宴は客でいっぱいになった。
  • 22:11 王が客たちを見ようとして入って来ると、そこに婚礼の礼服を着ていない人が一人いた。
  • 22:12 王はその人に言った。『友よ。どうして婚礼の礼服を着ないで、ここに入って来たのか。』しかし、彼は黙っていた。
  • 22:13 そこで、王は召使いたちに言った。『この男の手足を縛って、外の暗闇に放り出せ。この男はそこで泣いて歯ぎしりすることになる。』
  • 22:14 招かれる人は多いが、選ばれる人は少ないのです。」