「岩の上に建つ。」 マタイ福音書16章15~20節

イエス様は、「この岩の上に、わたしの教会を建てます。よみの門もそれに打ち勝つことはできません。」(18)と宣言されました。その岩とは、「あなたは生ける神の子キリストです。」と告白する信仰です。

「わたしのこれらのことばを聞いて、それを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人にたとえることができます。」(マタイ7・24)とあるように、岩の上に家を建てるとは、神であるイエス様の信仰を基に人生を築き上げるということです。

良い大学に入り、良い仕事を持つということを小さい頃から目標として育てられた人は多いようです。私自身は中学入学と同時に、自分に恥じない人生を送ろうと決心して勉学や人格形成に励みました。前橋高校の受験に落ちた友人が拗ねてしまい、私との交流を断ったのには驚きました。勉学に励んだのに、大学受験の際に高熱が出て希望大学に入れなかったのですが、その時のことを思い出し、自分の置かれた環境と立場で努力していこうと覚悟しました。学生運動に夢中になり励んだのですが、その活動に大して意義がないことに気が付き、また自分が会社員には向いていないことを悟って、公認会計士への勉強に励みました。そんな中でキリスト信仰に入り、生涯を信仰生活で営むためには大学教員が良いと判断して大学院に入りました。

途方に暮れたのは、結婚相手が医学生で不器用な人だったことです。その家からの要求も強く、自分中心の人生設計ができないと判断しました。結婚というものが自らの人生をかなり拘束すると覚悟している中で牧師になるという召しが聞こえてきました。

岩の上に家を建てるということは、岩を削り土台をしっかりしなければ滑り落ちることになります。神は私を守り支えてくださると勝手に神任せの生活を送ることでは岩の上に家は建ちません。

牧師になるということで貧しさを覚悟しました。家族や友人知人からの非難も覚悟しました。十字架を負うということは、病気がちでノイローゼの妻を支えることでもあると理解しました。それまでの逆境に耐えて戦って来たこととは全く違う人生が始まりました。ともかく、私の苦手な忍耐と寛容が必要であり、そして報いと勝利のない生活でした。信者や求道者が好き勝手なことを私に要求する時、牧師でなかったならば、どんなに良かったかと思いましたが、「後ろの橋をば焼き捨てし今」(聖歌583)、もはや戻ることはできません。岩の上に土台を築くだけでも、何年掛かるかと途方に暮れたものです。

岩の上に教会が建っている写真を見て、修道士達が年月を掛け多くの苦労をして建てたのだろうけど、資金も献金され、同士もいたのだろうな、と一人で開拓教会を建て上げる苦労に音を上げたものです。教会に加わった人々も、苦労の中で離れていき、昭二・みせ夫妻くらいしか残りませんでした。「十字架を担いて進みに進まん。」(583)しかないのですが、次第に忠実かつ同労者としての教会員が現われ成長してきました。2003年に会堂を得た時は、やっと岩の上に家が建った、と喜んだものです。

それから19年が経ちました。どうにか主イエスの教会を建ててきたように思います。教会は会堂ではなく、信仰者によって築き上げられるキリストの身体です。振り返れば、私自身が誠実かつ純真な信仰が必要だったと悔い改めるものです。多くの失敗や罪を犯してきたと思います。千葉で伝道を開始したのが1982年2月1日、神学校2年の時でした。

数年前から、終末期のサタンの暗躍を感じます。新型コロナ、政治の腐敗、経済の停滞、医療の欺瞞、家庭の崩壊、地震、洪水、天候異変、中国の覇権、監視社会、食害、・・・もはや世界は、自然も国家も社会も持続不可能な状態になってきています。しかし、「 雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家を襲っても、家は倒れませんでした。岩の上に土台が据えられていたからです。」(マタイ7・25)とあるように、教会はそれらに打ち勝つのです。

気を付けなければならないことは、「 雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家を襲っ」た時に、教会から離れてしまうことです。なぜ離れてしまうのか、それは自分の人生の基盤を教会に置いていないからです。洪水の時に家が流されるのは、地盤が弱く、あるいは一部だけしか堅い地盤に基礎を置いていないからです。

長期間、教会に集わず、交流もない人は、既に生活の基盤を教会においていない人です。注意をしてください。その人は、自分はしっかりとしていると思い込んでいるかもしれないけれど、簡単な雨でも流されてしまうことがあるのです。岩という信仰の上に人生を築き上げる為には、年月と多くの労苦が必要です。しかし、そうしたら、どんなことがあっても倒れることはありません。神の御子キリスト・イエスが私たちの支えなのです。

マタイ福音書16章15~20節

  • 16:15 イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」
  • 16:16 シモン・ペテロが答えた。「あなたは生ける神の子キリストです。」
  • 16:17 すると、イエスは彼に答えられた。「バルヨナ・シモン、あなたは幸いです。このことをあなたに明らかにしたのは血肉ではなく、天におられるわたしの父です。
  • 16:18 そこで、わたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます。よみの門もそれに打ち勝つことはできません。
  • 16:19 わたしはあなたに天の御国の鍵を与えます。あなたが地上でつなぐことは天においてもつながれ、あなたが地上で解くことは天においても解かれます。」
  • 16:20 そのときイエスは弟子たちに、ご自分がキリストであることをだれにも言ってはならない、と命じられた。