「自分の言葉が審判の証拠。」マタイ12章32~37節
日本では、男女とも親しい者同士、夫婦同士の言葉が悪いですが、これは家庭教育に原因があるのではないかと思っています。家族同士の言葉が汚く、子供が乱暴な言葉を使うのを大人が面白がっていますが、わざわざ子供に不適切なことを教え込んでいるようなものです。そういう言葉を聞いたら親がすぐに丁寧に訂正しなければなりません。
柔らかな答えは憤りを静める。しかし激しいことばは怒りを引き起こす。(箴言15・)
自分の口を見張る者は魂を守る。(13・3)。
愚か者の口は愚かさを吐き出す。(15・2)。
部下や他の人を呼び捨てにする人がいますが、謙遜と配慮の欠如であり、その地位を降りた後は、人に相手にされないでしょう。妻を呼び捨てる人がいますが、退職後は離婚と慰謝料、財産分与で何もできなくなり、人に呼び捨てられることになるでしょう。
また他人の評価や噂を口に出すことも失礼にあたり、個人情報の保護から裁判問題になることもあります。悪口や陰口が悪いのは当然ですが、褒めることも噂話であり、また自分以外のことを公には言わないことが社会的マナーです。
自分の口と舌を守る者は、自分自身を守って苦難にあわない。(21・23)。
対人関係では、このように人を侮辱したり見下げたりしない配慮が必要ですが、自らへの評価も注意をしなければなりません。自己卑下は日本人特有ですが、世界的にはかなり異常です。自分の子供や嫁を低く言う風潮は、他人の批判や陰口を避ける習いだったのかもしれませんが、ろくなものではありません。
愚かな者の口は愚かさを吐き出す。(15・2)
知恵ある者の心はその口を賢くし、その唇に洞察を深める。(16・23)。
信仰を保持して真実に生きていなければ内容のある会話をすることはできないものです。私は、単なる時間つぶしの会話に加わることはできません。自分の霊性が濁って来るからです。内容のない会話を続ける人に付き合う必要はありません。
人はその口にするあらゆるむだなことばについて、さばきの日には言い開きをしなければなりません。12・36
悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。(エペソ4・29)
人は、口のことばによって良いものに満ち足りる。(箴言12・14)。
私たちの生きる基準が地上にあるか、神の国にあるかが日常の生活と語る言葉に現れるのです。「地上では旅人であり寄留者である」(へブル11・13)ことを強く感じ、この俗なる世界に生きることに違和感を覚えるのです。ですから、無理に俗的な人々と交流すると、「天の故郷」(11・14)を忘れて堕落してしまうのです。
信仰者にとって、この世での日常生活は、確かに誘惑と罪に満ちており、それらに惑わされ流され苦しめられ、ある場合には失敗をしてしまう嫌なものです。しかし、魂の救われている人は、そのような時に聖霊によって悔い改めを促され、聖めへと自らを戒めるのです。だからこそ、他の人を責めることのできない認罪感を常に持ち、神への祈りと願いを持たざるを得ないのです。そして、自らの罪深さを悟るほどに救いの偉大さを覚えて伝道を熱心にするのです。
ところが、そういう神の国に行くことを願い、私たちの生活を模倣しようとする人々がおります。そして、教会に通い、洗礼を受け、私たちの生活を真似します。救われている人には、聖霊が為すべきことと、汚れを私たちに示されます。救われていない人はマネするしかないのです。しかし、その魂が救われているか否かは、その言葉によって確認できるのです。そして、救いというものがわかっていないので、伝道もできず、一般的な善行で済ませるのです。
まむしのすえたち。おまえたち悪い者に、どうして良いことが言えましょう。心に満ちていることを口が話すのです。(マタイ12・34)
木が良ければ、その実も良いとし、木が悪ければその実も悪いとしなさい。木のよしあしはその実によって知られるからです。(12・33)
試練の時、誘惑の時、失敗や罪を犯した時、私たちの真実が現れます。「あなたが正しいとされるのは、あなたのことばによるのであり、罪に定められるのも、あなたのことばによるのです。」(12・37)。罪びとは悔い改めることはできません。反省をしても、償いの行動をしようとしても、悔い改めるということができないのです。「聖霊に逆らうことを言う者は、だれであっても、この世であろうと次に来る世であろうと、赦されません。」(12・32)とありますが、聖霊だけが私たちを悔い改めに導くことができるのです。ですから、聖霊の導きに従えない者は救われることも赦されることもないのです。
私の口のことばと、私の心の思いとが御前に、受け入れられますように。わが岩、わが贖い主、主よ。(詩篇19・14)
マタイ12章32~37節
- 12:32 また、人の子に逆らうことばを口にする者でも、赦されます。しかし、聖霊に逆らうことを言う者は、だれであっても、この世であろうと次に来る世であろうと、赦されません。
- 12:33 木が良ければ、その実も良いとし、木が悪ければその実も悪いとしなさい。木のよしあしはその実によって知られるからです。
- 12:34 まむしのすえたち。おまえたち悪い者に、どうして良いことが言えましょう。心に満ちていることを口が話すのです。
- 12:35 良い人は、良い倉から良い物を取り出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を取り出すものです。
- 12:36 わたしはあなたがたに、こう言いましょう。人はその口にするあらゆるむだなことばについて、さばきの日には言い開きをしなければなりません。
- 12:37 あなたが正しいとされるのは、あなたのことばによるのであり、罪に定められるのも、あなたのことばによるのです。」
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