「タマルの執念が祝福を勝ち取る。」 創世記38章6~16節

兄弟たちがヨセフを奴隷として売り渡した後、「ユダは兄弟たちから離れて下って行き、名をヒラというアドラム人の近くで天幕を張った。」(創世記38・1)。兄弟の乱暴に嫌気がさして一緒に住むのが嫌になったのでしょうが、そこで住んだのが堕落したカナン人の近くでした。そこで、カナン人の娘を見染めて妻にしたのですが、名前は記されていません。妻として母として問題のある人だったと思われます。

「ユダの長子エルは主の目に悪しき者であったので、主は彼を殺された。」(7)。ユダの家系を守るために、次男のオナンは兄嫁に子を産ませて相続させなければならなかったのですが、オナンは性行為をしても子供を産ませないように精液を地に流していました。「彼のしたことは主の前に悪しきことであったので、主は彼も殺された。」(10)。長男も次男も性的に放埓であったようです。

ユダは、嫁のタマルが不吉な女であると感じて、三男には近づけないようにしました。ここまでは、世の中にありがちなことです。私が、わざわざ、このような不幸で性的な堕落の話をするのは、タマルの信仰と執念がすごいからです。マタイの福音書にあるイエス様の祖先には、3人の異邦人の女性が掲げられていますが、それは「ユダが(息子の嫁)タマルによってペレツとゼラフを生み」(マタイ1・3)、「サルマが(遊女)ラハブによってボアズを生み、ボアズが(寡婦)ルツによってオベデを生み」(1・5)、と異邦人であり、不幸でありながら、執念と信仰によって勝利を勝ち取り、イエス様の系図に載った女性たちなのです。

この箇所を説教する牧師はあまりいないと思いますが、「福音に生きる」という主題で連続して説教する時に、虐げられ差別され不幸であった女性たちが、その環境の中で不屈の精神で勝利を勝ち取ったことを話さないわけにはいかないと考えました。「あなたがたの名が天に書きしるされていることを喜びなさい。」(ルカ10・20)とありますが、ユダの妻は聖書に名前が記されず、タマルが記されていることは大きなことです。

タマルは実家に帰されました。そのまま不遇を嘆いて人生を過ごすこともできたでしょう。いつの時代でも女性は、男性の支配下にあり、自分の意思で生きることが難しいものでした。タマルの里帰りに至るまでの生活も、不遇なものだったことがわかります。夫エルも弟のオナンも、神に罰せられるほど俗悪な者だったのです。女性として慰み者とされ、虐げられていたことは明らかです。多くの女性が、現代でさえ同じような生き方をしているのにも関わらず、それを嘆いているだけなのです。聖書は従順を教えますが、それは人格に基づいたものであり、不幸を甘んじろとは教えません。

タマルは、「このまま死にたくない。子供を産みたい。ユダの家系を残す義務がある。」と考えました。ユダは、前に述べたように、ベニヤミンの保証人となり、自らを奴隷となることを決心した親思いであり、アブラハム、イサク、ヤコブの家系を継いで、「王権はユダを離れず、王笏はその足の間を離れない。」(創世記49・10)と預言される義人です。ユダ部族の祖先としてダビデ、ソロモン、そしてイエス様に繋がり、現在のユダヤ人となるのです。しかし、長男、次男が死んでも、為すがままに3男のシェラが相続すると考えている男子でした。

信仰者と不信仰者の違いは、希望を持つか否かに区別されます。「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。」(へブル11・6)。義父ユダによってタマルが子供を得たことは道徳的には褒められたものではありません。ただ、タマルは自分が罰せられないように「あなたの印章とひもと、あなたが手にしている杖を」(38・18)と保証を確保しています。そして、神がその時に子を宿らせています。そして、ユダに「あの女は私よりも正しい。」(38・26)と告白させています。子供を産む権利を主張したのです。むろん、ユダもタマルもその後「二度と彼女を知ろうとはしなかった。」(26)のは当然なことです。義人ユダを動かしたのはタマルです。

日本人は「清く、正しく、争うことなく、怒ることもなく、平安で過ごす」ことを理想としています。しかし、聖書を読めば、正しい人の正しさも悪人とさほど違いはなく、悪人が攻めてきて争いなく済まそうと思えば略奪されるだけであり、平安で過ごそうとしてこの世から離れても、自己中心という人間性の罪は変わることはありません。神にとっては、神を信じ従うということが、信仰の基準となるのです。「天の御国は激しく攻められています。そして、激しく攻める者たちがそれを奪い取っています。」(マタイ11・12)。穏やかに暮らしたいという願いは、自己保全の願いであり、神の国に入ろうと願うならば、熱心にならなければならないのです。

私たちは、体裁を装い、人の目を気にします。ともかく、異常な行動をしたタマルは神の目に留まり、その信仰を褒められたことは確かです。私は自らを価値ある人間だとは思っていませんでしたが、結婚前に妻に人目もはばからずに求愛行動をされて、これほど愛されるならば、この人に自分の人生を献げても良いかと思い結婚を決心しました。その後も、妻の熱心さに動かされて伝道をし、牧会をしています。女性の熱心さは男性を動かすと思います。男性が従順を女性に要求するのは自分勝手だからです。日本の男尊女卑の生活は、罪性を許容するものだと思います。

創世記38章6~16節

  • 38:7 しかしユダの長子エルは【主】を怒らせていたので、【主】は彼を殺した。
  • 38:8 それでユダはオナンに言った。「あなたは兄嫁のところに入り、義弟としての務めを果たしなさい。そしてあなたの兄のために子孫を起こすようにしなさい。」
  • 38:9 しかしオナンは、その生まれる子が自分のものとならないのを知っていたので、兄に子孫を与えないために、兄嫁のところに入ると、地に流していた。
  • 38:10 彼のしたことは【主】を怒らせたので、主は彼をも殺した。
  • 38:11 そこでユダは、嫁のタマルに、「わが子シェラが成人するまで、あなたの父の家でやもめのままでいなさい」と言った。それはシェラもまた、兄たちのように死ぬといけないと思ったからである。タマルは父の家に行き、そこに住むようになった。
  • 38:12 かなり日がたって、シュアの娘であったユダの妻が死んだ。その喪が明けたとき、ユダは、羊の群れの毛を切るために、その友人でアドラム人のヒラといっしょに、ティムナへ上って行った。
  • 38:13 そのとき、タマルに、「ご覧。あなたのしゅうとが羊の毛を切るためにティムナに上って来ていますよ」と告げる者があった。
  • 38:14 それでタマルは、やもめの服を脱ぎ、ベールをかぶり、着替えをして、ティムナへの道にあるエナイムの入口にすわっていた。それはシェラが成人したのに、自分がその妻にされないのを知っていたからである。
  • 38:15 ユダは、彼女を見たとき、彼女が顔をおおっていたので遊女だと思い、
  • 38:16 道ばたの彼女のところに行き、「さあ、あなたのところに入ろう」と言った。彼はその女が自分の嫁だとは知らなかったからである。彼女は、「私のところにお入りになれば、何を私に下さいますか」と言った。