「私を祝福して下さらなければ」創世記32章21~30節

 イサクの子はエサウとヤコブですが、エサウの子孫はエドム人でヤコブの子孫はイスラエル人となり、「兄が弟に仕える。」(創世記25・23)の言葉はダビデ王の時に成就します。ヤコブという名は「押しのける者」という意味があり、「あいつの名がヤコブというのも、このためか。二度までも私を押しのけて、私の長子の権利を奪い取り、今また、私への祝福を奪い取った。」(27・36)とエサウが腹を立てています。

「エサウは巧みな狩人、野の人であったが、ヤコブは穏やかな人で天幕に住んでいた。」(25・27)。エサウが猟から帰ってきた時にヤコブはレンズ豆を煮ていて、お腹が減ったエサウが食べさせろと言うと、ヤコブは交換に「長子の権利を売ってください。」(25・31)と交渉します。「エサウは長子の権利を侮った。」(25・34)と乱暴な者らしい行動を取っています。

その後、イサクが老いて目が見えなくなり、エサウに代々の祝福を注ごうとした時には、リベカの導きでイサクを欺き、エサウを装って父の祝福を受けてしまいます。この時「弟ヤコブを殺してやろう。」(27・41)という殺意がエサウに湧き、リベカは子供同士の殺戮を避けて、故郷の兄ラバンのところにヤコブを送ります。

ヤコブは、一人旅をしますが、祝福を受け継いだ者として「見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」(28・15)という神の言葉を受けます。そして、ヤコブは「あなたが私に下さる物の十分の一を必ずあなたに献げます。」(28・22)という誓願を立て、祝福を祈願します。

ヤコブはまだ若いので、ずる賢い「ラバンに事の次第を全て話した。」(29・13)ので騙され、ラケルと結婚するために7年間ただ働きをすることになります。父と兄を騙したヤコブがラバンに騙され、好きではないレアとも結婚させられ、更に7年間ただ働きをし、姉妹の「姉と死に物繰りの争い」(30・8)という妻たちの無残な争いに巻き込まれます。

ラバンは、「あなたのお陰で主が私を祝福してくださったことを、私は占いで知っている。」(30・27)と更に働くよう要望します。そして、ヤコブは「大いに富み、多くの群れと、男女の奴隷、それにラクダとロバを持つようになった。」(30・43)のですが、祝福を見て、ラバンや息子は敵意を持ちます。神の祝福に気が付いても、不信仰者はその祝福を自分のものにできないので、腹を立てるのです。「しかし、私の父の神は私と共におられる。」(31・5)

逃げ出したヤコブとその家族、郎党を追ってくるラバンに対して、神は「あなたは気を付けて、ヤコブと事の善悪を論じないようにしなさい。」(31・24)と忠告します。神に祝福された人を責めると、神が罰を下します。

神の直言を聞いてラバンはヤコブを恐れ、石塚を建てて「敵意を持って、この石塚やこの石の柱を超えて私のところに来てはならない。」(31・52)と、ヤコブが復讐をしないように誓わせます。イサクに対するアビメレク王たちと同じです。「あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。」(創世記12・3)。忠実な信仰者を呪ったり、虐げたり、批判したりする者に対して、神が罰するのです。

さて、そのように神に祝福されてきたヤコブですが、エサウに対しては、自分が騙したという負い目があります。エサウの荒々しい気質と攻撃能力も知っています。これまでは神が守ってくださったけれども、同じイサクから生まれた兄に対しては不安があります。「私は、あなたがこのしもべに与えてくださった全ての恵みとまことを受けるに値しない者です。・・・兄が来て、私を、また子どもたちとともにその母親たちまでも打ちはしないかと、私は恐れています。」(32・10-11)。

祈ったもののヤコブは、また策略を回します。多くの家畜の贈答を先に進め、さらには家族までも先に行かせて自分だけは生き残ろうと図ります。その時に神の人が現われ、ヤコブと格闘します。肉体的にはヤコブはかなわず、腿の関節を外すのですが、ヤコブは決して負けたと言わないのです。

信仰とは、神への従順です。「信仰の従順をもたらすために知らされた奥義」(ローマ16・26)とあるように、自分の願いを達成するために信仰を持つのではありません。ヤコブは、それができない為に、この後も試練や裏切り、そして騙され続けます。そのことは、後日お話ししましょう。ともかく、ヤコブは、「私を祝福してくださらなければ、あなたを去らせません。」(32・26)というほど強情で、神に祝福を願ったのです。それがヤコブの特徴であり、関節が外れて足を引きずろうとも、自分の能力でなく、神の祝福を願ったこと、それが「あなたの名は、イスラエルだ。あなたは神と戦い、人と戦って、勝ったからだ。」(28)として、イスラエル民族の発祥となるのです。

福音に生きる極意として、「神の祝福を執拗に求める。」ということは必須条件です。信仰の従順に至るための予備段階として、神はヤコブのもものつがいを打ちましたが、それを身につけないが故に、ヤコブに試練は付きまとうのでした。

創世記32章21~30節

  • 32:21 それで贈り物は彼より先を通って行き、彼は宿営地でその夜を過ごした。
  • 32:22 しかし、彼はその夜のうちに起きて、ふたりの妻と、ふたりの女奴隷と、十一人の子どもたちを連れて、ヤボクの渡しを渡った。
  • 32:23 彼らを連れて流れを渡らせ、自分の持ち物も渡らせた。
  • 32:24 ヤコブはひとりだけ、あとに残った。すると、ある人が夜明けまで彼と格闘した。
  • 32:25 ところが、その人は、ヤコブに勝てないのを見てとって、ヤコブのもものつがいを打ったので、その人と格闘しているうちに、ヤコブのもものつがいがはずれた。
  • 32:26 するとその人は言った。「わたしを去らせよ。夜が明けるから。」しかし、ヤコブは答えた。「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。」
  • 32:27 その人は言った。「あなたの名は何というのか。」彼は答えた。「ヤコブです。」
  • 32:28 その人は言った。「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたは神と戦い、人と戦って、勝ったからだ。」
  • 32:29 ヤコブが、「どうかあなたの名を教えてください」と尋ねると、その人は、「いったい、なぜ、あなたはわたしの名を尋ねるのか」と言って、その場で彼を祝福した。
  • 32:30 そこでヤコブは、その所の名をペヌエルと呼んだ。「私は顔と顔とを合わせて神を見たのに、私のいのちは救われた」という意味である。