「主は十字架に掛かるために生まれた。」マタイ2章4~13節

天地創造の神の遍在性、同時性ということは、アダムを造られた時と、イエス様が十字架に付けられた時と、現在もが神にとっては同時であり、支配、統御されておられるということです。

 だからこそ、預言という神の言葉を預かるということは、私たちにとっては予言でありながらも、神にとっては今、なのです。ということは、主イエスの十字架の贖い、私たちを罪から救うために代価として死なれたということは、私たちにとって現在であり、また、時間的には十字架の前の時代の人にも有効となるのです。そして、創造から神の国と到来までの全時間が2000年前の主イエスの十字架に関わっていて、全ての人の救いか罰かに有効なものになるのです。

 以前は、十字架の前の人は、どうなるのだろうと考えていましたが、神の現在性、つまり、神にとってはいつの時代も現在であるということがわかり、十字架の救いは、その前の時代の人々にも有効であることに気が付いたのです。そして、イエス様の十字架は、私にとっても、今、のことであり、主イエスは、私に対しても名指しで救おうとされているのです。

 聖誕について、「キリストはどこで生まれるのか」(4)との預言について、「ベツレヘム」(6)と紀元前8世紀のミカ書(5・2)に記されているのも、神の同時性による語り掛けが預言となるのです。

 東方の博士たちが、わざわざ長い旅をして「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」(2・2)を拝みに来たのは何故でしょうか。紀元前5世紀の古代ギリシャの歴史家ヘロドトスによれば、メディアにマギと呼ばれる王族であり、祭司である人々がいたそうです。このマギたちは、哲学、薬学、自然科学に秀でており、占星術や占いもしていたようです。彼らは、ペルシャの王族の教師あるいは導師となり、高貴で高潔な、真理を追究する人々でした。

 西暦100年頃の歴史家タキトゥスは、「人々が固く信じていたことは、・・・その頃、東の国が強力になり、ユダヤからでた支配者が全世界を包括する帝国を築くということである。」と「歴史」(5・13)に語っています。また、66年頃、ユダヤ人の指導者でローマ軍に投降したヨセフスが書いた「ユダヤ戦史」にもユダヤ人の信仰は「彼らの国から出たものが人間の住む大地を統治する」というものであったと記しているそうです。

 その高貴なマギたちが宝の箱をもって探し回ったという真摯な生き方に感動します。さらに、みすぼらしい所に住んでいたヨセフとマリヤそして赤子のイエス様に「ひれ伏して拝んだ。」(2・11)ということは、彼ら自身が誠実で謙遜であり、開かれた霊の目をもっていたと言えるのです。

 捧げたのは、まず黄金、それは王に対して献げる物であり、ひ弱な幼子を偉大な王として認め、従う表明でした。さらに、乳香は、神に対して献げる物であり、この幼子が神の子であることを信じ受け入れた印です。最後に、没薬を捧げました。没という言葉は苦いという意味であり、鎮静剤、鎮痛剤、防腐剤、さらに香としても焚いていました。ミイラの防腐処理にも用いられていました。イエス様の埋葬の時に「ニコデモも、没薬とアロエを混ぜ合わせたものをおよそ30キログラムばかり持って、やってきた。そこで、彼らはイエスの身体を取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従って、それを香料と一緒に亜麻布で巻いた。」(ヨハネ19・39.40)。つまり、このマギたちは、幼子が王であり、神であると共に、救い主として犠牲になって十字架で死ぬことを示していたのです。

 知識と知恵が偏重の現代です。アメリカからのクリスマスカードは、宗教色を出すことが禁じられて「ハッピーホリデー」と書いてあります。聖書で禁じるLGBTを認めなければ牧師も逮捕される時代となりました。逮捕されるだけならともかく、教会が潰れてしまったらしょうがないので、牧師たちも知恵を絞り、違反にならないように聖書を語らなければなりません。

 中国では聖書のネット販売ができなくなり、非公認教会が潰され、公認の三自愛国教会でさえ、十字架が撤去され、子どもの参加が認められなくなりました。スマホ決済アプリにより全ての人の購入履歴が管理され、街頭カメラにより行動も監視されるようになりました。日本では、聖書やキリスト教の教えが、ヒューマニズムに捉えるものだという考え方が強くなり、人間の知恵や道理の下で信仰が教えられるようになっています。

 人が人を裁き、道理があったら許そうというものになっています。しかし、実際には、罪を許すことができるものは、救い主の十字架の代価による以外にはないのです。論理を突き詰めても、人を愛することも、幸せになることもできないのに、人々は自分の正当性を上げて、人を非難し、説得し、皆が裁判官になっています。

 救いは、キリストによる以外にはないのです。「この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。」(使徒4・12)

マタイ2章4~13節

  • 2:4 そこで、王は、民の祭司長たち、学者たちをみな集めて、キリストはどこで生まれるのかと問いただした。
  • 2:5 彼らは王に言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者によってこう書かれているからです。
  • 2:6 『ユダの地、ベツレヘム。あなたはユダを治める者たちの中で、決して一番小さくはない。わたしの民イスラエルを治める支配者が、あなたから出るのだから。』」
  • 2:7 そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、彼らから星の出現の時間を突き止めた。
  • 2:8 そして、こう言って彼らをベツレヘムに送った。「行って幼子のことを詳しく調べ、わかったら知らせてもらいたい。私も行って拝むから。」
  • 2:9 彼らは王の言ったことを聞いて出かけた。すると、見よ、東方で見た星が彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、その上にとどまった。
  • 2:10 その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。
  • 2:11 そしてその家に入って、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。
  • 2:12 それから、夢でヘロデのところへ戻るなという戒めを受けたので、別の道から自分の国へ帰って行った。
  • 2:13 彼らが帰って行ったとき、見よ、主の使いが夢でヨセフに現れて言った。「立って、幼子とその母を連れ、エジプトへ逃げなさい。そして、私が知らせるまで、そこにいなさい。ヘロデがこの幼子を捜し出して殺そうとしています。」