「無学なただ人の救い。」使徒の働き4章8~11節

今回の旅行の目的は、キリシタンの人々の信仰が本物かどうか確認したいというものでした。信仰の本質と真贋について非常に興味深く、今後の研究課題にして長崎なども視察に行きたいと考えています。

1554年生のアダム荒川は人を殺して手打ちになるところをイエズス会のモーラ神父に助けられ、謙虚で誠実な奉仕生活をして1590年頃に志岐の教会に派遣させられます。1614年に主任司祭ガルセス神父が捕えられ、アダムに後を託しました。

最初の殉教は豊臣秀吉の命による1597年2月の26人の処刑です。24人が京都で左耳たぶを切り落とされ、大阪から長崎まで歩かされたが、途中で世話をしていた2人も信仰を表明して追加されました。その中には12歳のルドビコ茨木がいたが、棄教の勧めに対して「この世の束の間の命と、永遠のいのちを取り換えることはできない。」と断りました。指導者パウロ三木は十字架の上で群衆に信仰を伝え、槍で刺されて絶命しました。

禁令の成果が出ないのはアダムの存在の故と知った藩は、アダムを裸にして引き回し、横木に縛り、9日間寒さの中を責めます。訪ねて来る信者には「私の希望はやがて消え去るこの世の安泰や地位や名誉にあるのではなく、御慈愛深い神の恵みと永遠の約束にあるのです。」と励まし続け、死ぬ間際まで死刑執行人に教えを説きました。

キリシタン大名の有馬晴信は1612年に斬首され、その子有馬直純は棄教し迫害者になり、家臣に「一日だけでも」と棄教を迫ります。しかし3人の家臣はそれを拒み、妻子合わせて8人が火刑になります。2万人の群衆は、それを見て却って信仰を強くします。

1637年10月、北有馬村の庄屋宅でミサをしている村民のところに押し入った代官がキリストの聖画を引きちぎり踏みにじったのに怒った村民が代官を撲殺します。丁度、キリシタン迫害に苦しんで天草の人々は、富岡城を攻めたが難攻不落の富岡城攻めを諦めて、対岸の原城へ立て籠盛る為、1万3千人が海を渡ります。島原の信仰者2万4千人と合わせて3万7千人のうち、婦女子が2万人いたとのことです。幕府は12万5千人の兵で攻撃し、3か月の兵糧責めの後、不信者は赦すとの誘いに乗らずに、全員が玉砕しました。

島原一揆から165年後の1803年、天草の今富村でキリシタンがいるという噂が流れ調査すると4つの村で半数以上の5205名の隠れ信者がいました。幕府は、島原の乱に懲りて、罰しても抑えられないことを悟り、これらの信者を「心得違い」と断定して表向きには改宗させたことにして何の罰も与えずに解放しました。

これらの信者を現在、「潜伏キリシタン」と呼び、実際には全国に存在したことがわかっています。開国後1865年に長崎の天主堂に信者が訪ねて、「信徒発見」として世界的に驚かれましたが、未だ禁教下であったために、多くの信者が投獄弾圧されました。1873年の太政官令によってようやく禁教令が廃止され、一部はカトリックに入り、残りはそのまま「かくれキリシタン」として信仰を保ち、昭和30年頃にも3万人弱の信者がいたと推計されています。

これらの信者の信仰の強さに驚いています。生死の狭間に生きていた人々には、真実を求める思いが強かったのでしょう。農民など学の無い人々に、キリスト教の教理や信仰がわかるのかと疑う、その後の学者も多いようです。

今日の聖句は「無学なただ人」と言われますが、牧師によっては、彼らは無学ではなかったと論調する人もおります。私には、「天地の主であられる父よ。あなたをほめたたえます。これらのことを、賢い者や知恵のある者には隠して、幼子たちに現してくださいました。そうです、父よ。これがみこころにかなったことでした。」(ルカ10・21)のように、知恵や悟りによって信仰を持つ人々の弱さを思います。棄教する人は、説得や利害によって惑わされてしまうのです。

イエス様が使徒として召したのは、決して律法学者や優秀な人ではなく、漁師や取税人、普通の人、つまり、「ただ人」でした。現代社会は、「命に勝るものはない」と言います。しかし、信仰者は「あなたの恵みはいのちにもまさるゆえ私の唇はあなたを賛美します。」(詩篇63・3)と讃美するのです。

イエス様は「自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。」(ヨハネ12・35)と言われました。ペテロとヨハネも「神に聞き従うよりも、あなたがたに聞き従うほうが、神の御前に正しいかどうか、判断してください。」(19)と、指導者たちに答えました。この世の教えや考え方に身を任すならば、滅びの道にはいるのです。

使徒の働き4章8~11節

  • 4:8 そのとき、ペテロは聖霊に満たされて、彼らに言った。「民の指導者たち、ならびに長老の方々。
  • 4:9 私たちが今日取り調べを受けているのが、一人の病人に対する良いわざと、その人が何によって癒やされたのかということのためなら、
  • 4:10 皆さんも、またイスラエルのすべての民も、知っていただきたい。この人が治ってあなたがたの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの名によることです。
  • 4:11 『あなたがた家を建てる者たちに捨てられた石、それが要の石となった』というのは、この方のことです。
  • 4:12 この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人間に与えられていないからです。」
  • 4:13 彼らはペテロとヨハネの大胆さを見、また二人が無学な普通の人であるのを知って驚いた。また、二人がイエスとともにいたのだということも分かってきた。
  • 4:14 そして、癒やされた人が二人と一緒に立っているのを見ては、返すことばもなかった。
  • 4:15 彼らは二人に議場の外に出るように命じ、協議して言った。
  • 4:16 「あの者たちをどうしようか。あの者たちによって著しいしるしが行われたことは、エルサレムのすべての住民に知れ渡っていて、われわれはそれを否定しようもない。
  • 4:17 しかし、これ以上民の間に広まらないように、今後だれにもこの名によって語ってはならない、と彼らを脅しておこう。」
  • 4:18 そこで、彼らは二人を呼んで、イエスの名によって語ることも教えることも、いっさいしてはならないと命じた。
  • 4:19 しかし、ペテロとヨハネは彼らに答えた。「神に聞き従うよりも、あなたがたに聞き従うほうが、神の御前に正しいかどうか、判断してください。
  • 4:20 私たちは、自分たちが見たことや聞いたことを話さないわけにはいきません。」