「基督の審判に備えよ。」エゼキエル18章5~9節 櫻井圀郎師

直訳: 

⑤男が、もし正しいなら、権利と義務を実行する。

⑥然るべき山々にて食しない。目々をイスラエルの家の偶像に上げない。隣人の妻を汚さない。汚れの妻に近づかない。

⑦男は担保を追及しない(虐待しない)。負債を返し、略奪品を略奪しない。飢えにパンを与える。裸に着物を着せる。

⑧虐げる者に与えず、利息を取らない。不正から手を引く。男と男との間において真実の審判を為す。

⑨掟の中を歩み、真実を保つために私の裁きを守る。彼は正義であり、彼は生きて生きる。我が主ヤハウェの御告げ。

   Ⅰ 永遠に生きる

これは、「我が主ヤハウェの御告げ」(9)です。

「生きて生きる」者の条件を簡潔に告げられたものです。「生きて生きる」とは、「絶対に生きる」とも言えますし、「永遠に生きる」とも言えます。天国に入れられ、天国において生きる者の条件を述べたものです。

   Ⅱ 正しいなら

「正しいなら権利と義務を実行する」(5)はずです。

その権利と義務の内訳としては、第一に、偶像との関係です(6a)。「然るべき山々」とは、聖山として知られている山々のことであり、「食する」とは、神への献げ物または神からの賜り物として食事をすることが、すなわち礼拝です。「目々をイスラエルの家の偶像に上げる」とは、国家の偶像に目を向けることです。

今日的には、円ドルレートの山々、暗号資産の換価倍率の山々などが偶像であり、利益を食べることでしょう。国家の偶像とは、国家の権威や権力であり、それを利用して利益を得ること、国家を崇拝し、その言明に無条件で従うことでしょう。

第二に、性的な正義です。他人の女を汚したり、汚れの女に近づかないことです(6b)。文字通りには性的な道徳に見えますが、6節前段との関係で見れば、偶像崇拝でしょう。聖書では、信仰とは男と女の関係であるとしているからです。

第三に、経済的な正義です(7)。「担保を追求する」とは、単に担保を取るだけではなく、担保をネタに不当な請求をするなど「虐待」に当たる行為です。

自分の負債は返済し、他人の物は略奪しないことは当然のことで、自分の能力に応じて、他人の飢えを食品で満たし、他人の裸に着物を与えることも、要件です。

第四に、社会的な正義です(8)。「虐げる者に与えず」とは、暴力団や詐欺集団だけではなく、不正を行う企業や団体、労働者を不当に扱う事業主などに財源や機会を与えず、自らも参与しないことです。

「利息を取らず」とは、不当な利息、過大な利息、不正な利益などを得ないことです。「男と男との間における真実の審判」とは、人間と人間の間、人間社会における虚偽のことです。

   Ⅲ 求められるのは正義

求められるのは、何と言っても、「掟の中を歩む」「神の法の中を歩む」ことです(9)。

そして、「真実を保つために私の裁きを守る」、すなわち、真実を求め続け、神の声を聞きつつ、神の法を守ることです。ともすれば、日本人は、「法を守る」という意識に乏しく、「警察に捕まらなければ良い」という意識が強いのですが、それを正義とは言いません。

このような人は、神によって「正義である」と判断されるのです。そして、「彼は生きて生きる」「絶対に生きる」「永遠に生きる」と、神が保証しているのです。

世界の終末は必ず到来し、遅くなることはありません。もはや、すぐにでも到来すると考えなければなりません。

すぐであろうが、ずいぶん先のことであろうが、必ずこの世界は終末を迎え、その先に、基督による審判が待っています。この事実を軽く考えているととんでもありません。

基督の審判への備え、それを今の一日一日の歩みの原則としていきましょう。

エゼキエル18章5~9節

  • 18:5 人が正しい者であるなら、公正と義を行う。
  • 18:6 丘の上で食事をせず、イスラエルの家の偶像を仰ぎ見ず、隣人の妻を汚さず、月のさわりのある女に近寄らず、
  • 18:7 だれも虐げず、質物を返し、物をかすめ取らず、飢えている者に自分の食物を与え、裸の者に衣服を着せ、
  • 18:8 利息をつけて貸さず、高利を取らず、不正から手を引き、人と人との間を正しくさばき、
  • 18:9 わたしの掟に従って歩み、わたしの定めを守って真実を行う。このような人が正しい人であり、この人は必ず生きる──【神】である主のことば。