「神の家族としての助け合い。」 使徒2章40~47節
この聖書の箇所では、共産主義のような組織が造られています。「一切の物を共有し、財産や所有物を売っては、それぞれの必要に応じて、皆に分配していた。」(44.45)。理想的と思われることが、歴史的には決してうまく行ったことはありません。
武者小路実篤の「新しき村」運動は、社会階級や貧富の格差や過重労働を排し、農業(養鶏のほか稲作や椎茸栽培など)を主とした自給自足に近い暮らしを行いました。労働は「1日6時間、週休1日」を目安とし、余暇は「自己を生かす」活動が奨励され、三食と住居は無料でした。私有財産を全否定しているわけではなく、毎月3万5千円が支給されました。1970年代が最多で60人でしたが、2023年には3人となっています。現在は村外会員によって公益法人化されて維持されています。
私は高校生時代に、武者小路に傾倒したのですが、この運動は、人間を理想化しており、経済的に成り立たないので無理だと思ったものです。それでも現在まで続いているのは、村長は置かず、貧富の差もなく、「人に言う前に自分でやる。」という意識が根付いていたからだそうです。高齢化と男女の問題で離村する人が続き、経済的にも人口を増やすと暮らしていけなかったようです。
現実化したのが修道院でしょうか。修道士がイエス・キリストの精神に倣って祈りと労働のうちに共同生活(修道生活)をするための組織です。問題を起こさないために男女別で独身制を貫き、世間との交流は制限されていました。労働が重視され、自給自足だけでなく、医薬、イコン、食品などが外部で販売されて収入源となっていました。修道院は、現在でも活動は続き、日本でも敬虔なカトリック信者の避けどころとなっています。
ペテロの説教によって悔い改め、「この曲がった時代から救われなさい。」との勧めに応じて「バプテスマを受けた。」人々は三千人と多かったのです。「すべての人に恐れが生じ、使徒たちによって多くの不思議としるしが行われていた。」ことは、本当に素晴らしいことです。リバイバルとはそのようなものです。その結果として、少しずつ共同生活が始まったのでしょう。信者は、この世の人々と一緒に住みづらくなり、信者同士の新しい交流に感激しているのです。
更に、3章には生まれつき足の不自由な物乞いが癒されるという奇跡が起こり、人々の注目を集めると、「祭司たち、宮の守衛長、サドカイ人たちが…二人に手を掛けて捕らえた。」(使徒4・1.3.)。ペテロとヨハネ
は彼らに答えます。「神に聞き従うよりも、あなたがたに聞き従うほうが、神の御前に正しいかどうか、判断してください。」(同19)。そして、「信じた大勢の人々は、心と思いを一つにして、だれ一人自分が所有しているものを自分のものと言わず、すべてを共有していた。」という信者には理想的な共同社会が成立します。
しかし、その後、「エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外はみな、ユダヤとサマリアの諸地方に散らされた。」となって、共同生活の維持は無理なものとなっていきます。
ルターが修道院制を否定したのは、修道院では、階級や序列が設けられるからです。もう一つは、宗教的な誓願に価値を与えることは、神の恵みの福音によって解放された良心を閉じ込め、信者を「善行」の中に幽閉することになるからです。
「神の家族」として教会を考える時に注意しなければならないことは、慈善行為や善行が中心になってはいけないことです。聖書の教えは自助努力(Ⅰテサロニケ4・11、Ⅱテサロニケ3・12))であり、教会は信仰共同体であって、慈善団体ではないからです。制度的に介護や保険というものがあるので、教会員でも基本的にはそれらを利用して自らの生活の維持を図るべきです。教会員同士でそれを行うと、助ける人の生活や仕事に支障が出てくるからです。むろん、個人的には、賜物として「分け与える人」、「慈善を行う人」(ローマ12・8)がおります。
これからの時代にクリスチャンはどのように生きれば良いのでしょうか。「キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。」(Ⅱテモテ3・12)。「あなたがたはあらゆる迫害と苦難に耐えながら、忍耐と信仰を保っています。」(Ⅱテサロニケ1・4)。「神の家族」は信仰を守り、伝道をするという教会の目的に立った信仰共同体です。内部互助組織になると、本来の宣教命令が損なわれてしまいます。
日本の教会では、牧師や信者のリーダーが教会員や求道者の世話に多忙となり、霊的な交流が損なわれてきました。「家々でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし」は、家庭集会のためです。奉仕とは、神に仕えるものであり、教会が伝道活動にあたるためのものです。本来の伝道活動に熱心となりながら、予想される困難に耐える霊的な結び付きを強くしていかなければなりません。
使徒2章40~47節
- 2:40 ペテロは、ほかにも多くのことばをもって証しをし、「この曲がった時代から救われなさい」と言って、彼らに勧めた。
- 2:41 彼のことばを受け入れた人々はバプテスマを受けた。その日、三千人ほどが仲間に加えられた。
- 2:42 彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。
- 2:43 すべての人に恐れが生じ、使徒たちによって多くの不思議としるしが行われていた。
- 2:44 信者となった人々はみな一つになって、一切の物を共有し、
- 2:45 財産や所有物を売っては、それぞれの必要に応じて、皆に分配していた。
- 2:46 そして、毎日心を一つにして宮に集まり、家々でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、
- 2:47 神を賛美し、民全体から好意を持たれていた。主は毎日、救われる人々を加えて一つにしてくださった。
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