「終わりの日に神の霊が注がれる。」 使徒の働き2章14~24節

先週のユダに代わる使徒の選出は、実は弟子たちの当惑を現わしているように思われます。イエス様が何度も語っておられたのに、信じなかった十字架の処刑、そして、復活、さらに、昇天と矢継ぎ早に起こり、そして、いなくなってしまいました。

「エルサレムを離れないで、私から聞いた父の約束を待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けましたが、あなたがたは間もなく、聖霊によるバプテスマを授けられるからです。」(使徒1・4.5)。と教えられましたが、弟子たちは、陳腐な質問で返しています。彼らは、現実生活のことしか考えられなかったのです。

更に、二人の天使が、イエス様の再臨について伝えます。一般の人がたとえ信仰について教えられていても、このような超自然的な出来事を把握し理解することはできるものではありません。

「弟子たちには、これらのことが何一つ分からなかった。彼らにはこのことばが隠されていて、話されたことが理解できなかった。」(ルカ18・34)。「あなたがたには天の御国の奥義を知ることが許されていますが、あの人たちには許されていません。」(マタイ13・11)。

信仰を理解しない人、信仰が身に付かない人は、物事を自分流に、人間的に理解し、把握します。「こうしたら良かったのに。」「あんなことをして愚かだ。」岡目八目と言いますが、いろいろな出来事を自分はわかっていると思うのです。そして、物事を批判的、客観的に把握しようとします。

先週、「ご自分を裏切る者がだれか、イエスは初めから知っておられたのである。」(ヨハネ6・64)と話しました。ご自身が十字架に掛かる為には、弟子たちの中で裏切る者が必要であるという計画の一環であるということは、私たちには決して予想、また理解できないことです。イエス様が、ユダを様子は見られず、丁寧に教えられていても、裏切る人は裏切ったのです。

このユダのことは、私の信仰でも長い間引っかかっていたことですが、人間的な努力や理解が却って、神の御心の執行に邪魔になることがある、躓いてしまうことがあるとわかってきました。

昔のドラマや映画は勧善懲悪で、最初から筋立てはわかっており、安心して観ておられました。最近は、筋立てを予測できなくなっています。人生は、そのようなもので、人に対する助言や憶測もするべきでないとされるようになってきました。固定観念に縛られる人は、信仰も神の御心を求めるよりも、むしろ儀式的なものになってしまいます。

今日は、私たち夫婦の誕生日を祝ってくださるようですが、振り返れば、信仰をもってからは常識や風習、伝統的価値観からはかなり離れた生き方をしてきました。善意や固定観念から、多くの助言をいただきました。批判や攻撃も受けてきました。しかし、神の導きによって生きることを優先すると決めた「神の国とその義とをまず第一にする。」(マタイ6・33)ので、そうはいきませんでした。弁解や言い訳は信仰者として神を裏切る行為なので、批判は一身に受け入れることにしたのです。

今日は、聖霊降臨の日です。常識や固定観念によって生きる人は祈りません。聖霊のバプテスマも、そのような人は、体験しづらいようです。彼らは、イエス様の十字架、復活、宣教命令、昇天、などが短期間に続いて、どうしようもなくなり祈りに専念したのです。

私自身は、理性的な人間だと思いますが、信仰の初期に理解把握しようがないことが連続しました。奇跡が続き、聖書の解説をすると聖霊に満たされて全身が熱くなりました。他の人の為に祈ると、聖霊が望んでしまい、全身全霊をもって信仰に生きるべきことが示されました。そして、自己中心性が強いことを示され、悔い改めてきました。

当初から、自分の体験が普通ではないことに気が付いていました。「終わりの日に、わたしはすべての人にわたしの霊を注ぐ。」(2・17)。という言葉は、神を真摯に求める「全ての人」であることも悟ってきました。それでは、このペンテコステからの使徒の働きにある激しい聖霊の働きが、なぜ現代でも起こらないのかと、問うてきました。それは、信仰者が賢くなり、世的になり、激しく祈らなくなってきたからであるようです。

そして、確かに今は終末であると思われます。「わたしは上は天に不思議を、下は地にしるしを現れさせる。それは血と火と立ち上る煙。主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽は闇に、月は血に変わる。」(19.20)。人がどのように生きようと、神の御ことばは遂行されて行きます。これほど終末の様相が呈されても、人々も信仰者も、それほど真剣に祈らず、普通の生活を続けています。

不信仰者には、「天の御国の奥義を知ることが許されていません。」。それは、それほど驚くことではないのです。私も、悔い改めて御国を目指さなければなりません。

使徒の働き2章14~24節

  • 2:14 ペテロは十一人とともに立って、声を張り上げ、人々に語りかけた。「ユダヤの皆さん、ならびにエルサレムに住むすべての皆さん、あなたがたにこのことを知っていただきたい。私のことばに耳を傾けていただきたい。
  • 2:15 今は朝の九時ですから、この人たちは、あなたがたが思っているように酔っているのではありません。
  • 2:16 これは、預言者ヨエルによって語られたことです。
  • 2:17 『神は言われる。終わりの日に、わたしはすべての人にわたしの霊を注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。
  • 2:18 その日わたしは、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると彼らは預言する。
  • 2:19 また、わたしは上は天に不思議を、下は地にしるしを現れさせる。それは血と火と立ち上る煙。
  • 2:20 主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽は闇に、月は血に変わる。
  • 2:21 しかし、主の御名を呼び求める者はみな救われる。』
  • 2:22 イスラエルの皆さん、これらのことばを聞いてください。神はナザレ人イエスによって、あなたがたの間で力あるわざと不思議としるしを行い、それによって、あなたがたにこの方を証しされました。それは、あなたがた自身がご承知のことです。
  • 2:23 神が定めた計画と神の予知によって引き渡されたこのイエスを、あなたがたは律法を持たない人々の手によって十字架につけて殺したのです。
  • 2:24 しかし神は、イエスを死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。この方が死につながれていることなど、あり得なかったからです。