「共有して生きることは可能か。」 使徒の働き2章40~47節

今日の聖句のような共同生活が果たして可能なのでしょうか。残念ながら殆ど無理でしょう。それは、「神の教えに従って、夫としての分を果たし、常に妻を愛し、敬い、慰め、助けて変わることなく、その健康の時も、病の時も、富める時も、貧しき時も、いのちの日の限りあなたの妻に対して堅く節操を守ることを誓います。」という神の前の誓いを、夫婦共に守って過ごしていることは殆どないことによって明らかです。

それは人間生活の理想であり、憧れであり、そういう教会があったら「民全体から好意を持たれていた。主は毎日、救われる人々を加えて一つにしてくださった。」(47)となるでしょう。

なぜ、それが実現しないのでしょう。それは、そのように生きる姿を知らないし、術を知らないからです。聖書に従わないからです。

私は、貧しい草履商の9人目に生まれ、理想の家庭も人間関係も、学問も芸術も文化も、全くわかりませんでした。小学2年くらいの時に、医者の息子の田中君の家に行って、ピアノがあり、優しいご両親と可愛い妹さんがいる豪華な家に驚きました。お父さんに車でどこかへ連れて行ってもらった時は、こういう生活があるのかと感心したものです。クリスチャン一家だそうで、本や映画に出てくる理想的な生活で、優しく美しい夫人と紳士の父親にも驚きました。私は、将来このような生活がしたいと心から願ったものでした。多くの本や映画も私の心に理想を植え付けました。

音痴と教養を身に着けようと努力し、吹奏楽部にも入り、映画も絵画もよく観ました。スポーツとは縁のない家でしたが、水泳、スキー、スケート、卓球など努力しましたが、運動神経の悪さに落胆しました。前橋高校は文武両道の男子校なので、優秀な友人たちばかりでした。

そのように努力を積み重ねたので、大学に入るとリーダーになっていました。しかし、友人や社会人との交友の中で、自分がつまらない人間に堕していくような気がいつもしていました。

そして、信仰の道に入ったのです。クリスチャンになってわかったことは、「御霊に属する人、肉に属する人、キリストにある幼子」(Ⅰコリント3・1)がいることでした。謙遜で祈り深く聖書もよく読み、奉仕も真摯にする信者の存在は、私にはこれまでにない衝撃でした。年下の私にも敬語で話し、自分勝手ではなく、人を配慮した行動を取る人々がいるということは、感動でした。このような人と一緒に教会生活を営むほどに、自らの罪性や傲慢さを感じて、謙遜になるように心がけたものでした。この人々は、肉に属する人々に躓くこともなく、普通に交流していました。そして、私のような信仰の初心者を助け仕えるようにしてくださったのでした。明らかに魂の救われた人々は、未熟な人や罪人に躓くことなく、喜びの内に教会生活を営んでいたのです。

印象的だったのは、敬虔なご主人の妻が、ちゃらんぽらんできちんとしていなかった場合でした。でも、その方は妻のため、教会のため、仕事のため、いつもすごく祈っていました。そのご生涯は、私に強い感化を与えました。その方は、今は天に凱旋し、名誉を受けているでしょう。その方の敬虔さに依存し、助けられた人々や家族もまた、敬虔で平穏な信仰生活を過ごしておられるようです。

 多くの人々が集い、「肉に属する人、信仰の幼子」も多くいる教会で、今日の聖句が可能なためには、少なくとも3割の献身者が必要です。夫婦喧嘩をし、あからさまに伴侶の悪口を言う人は論外です。怖いことに、老化は聖化を明らかにしていくようです。

 自助努力のできない人が、高齢者だけでなく、子供や青年、そして、成人にも多くなっています。夫婦だけでなく、依存関係が強すぎるので、一人では生きていけないのです。言い訳ばかりです。

 祈祷会では、「邪悪な日に際して、‥一切を成し遂げて堅く立つことができるように」(エペソ6・13)と語りました。これからは、とても一人では生きていけないでしょう。そして、人の心の邪悪さが表に出てくるようになるでしょう。

 終わりの邪悪な時代に、教会が強く聖くなければ、教会員は耐えていけないでしょう。私自身は、「心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。隣人を自分自身のように愛しなさい。」(ルカ10・27)を実践して生きるだけです。

 残念ながら、自分のことばかり考え、人にも教会にも仕えていない人は、神から与えられた賜物を隠していた怠け者として、「外の暗闇に追い出せ、そこで泣いて歯ぎしりするのだ。」(マタイ25・30)の通りになるでしょう。全てをご存知な神に言い訳は通じません。

 コロナを怖がった教会は、勢いをなくしています。信者のご機嫌を取った教会は、奉仕する者がいなくなり、崩壊しています。努力を怠った人々も、生活を破綻させています。終末とは、誘惑や惑わしに左右された自己破壊の時代なのです。

使徒の働き2章40~47節

  • 2:40 ペテロは、ほかにも多くのことばをもって証しをし、「この曲がった時代から救われなさい」と言って、彼らに勧めた。
  • 2:41 彼のことばを受け入れた人々はバプテスマを受けた。その日、三千人ほどが仲間に加えられた。
  • 2:42 彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。
  • 2:43 すべての人に恐れが生じ、使徒たちによって多くの不思議としるしが行われていた。
  • 2:44 信者となった人々はみな一つになって、一切の物を共有し、
  • 2:45 財産や所有物を売っては、それぞれの必要に応じて、皆に分配していた。
  • 2:46 そして、毎日心を一つにして宮に集まり、家々でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、
  • 2:47 神を賛美し、民全体から好意を持たれていた。主は毎日、救われる人々を加えて一つにしてくださった。