「子を産まない女よ。喜び歌え。」イザヤ54章1~10節
動物では性は、子孫を残すためのものです。日本では進化論しかありませんから、人間でも同じものとなります。結婚というものも家の存続の為にあったので、子どもの生まれない妻は離縁されることが多くありました。そして、女性たちは男性中心社会の中で、子どもを産み、育て、そして夫に仕え、家事を果たすものとされてきたのです。いくら文化が進み、女性の権利が向上したとしても、聖書の価値観のない社会では、やはり女性蔑視であり、性というものも、生殖のためとなってしまいます。そして、適者生存や優性の法則(優秀の法則ではない。)などという論理が、今なお幅を利かせているのです。
聖書なき社会では、女性の権利も立場も、効率や機能的に捉えて向上しているだけで、実際にはないがしろにされています。ボコハラムによって拉致された女学生のことを今でも執り成しの祈りをしています。
夫婦別姓でも構いませんが、中国や韓国の別姓は、古来儒教思想によって、女性の地位が非常に低く、結婚しても家というものに入れず、ただ子を成す為の存在としてしか見なされていなかったことに起因しています。同様に、服従という言葉が、キリスト教においても、そういう社会では過度に絶対視されて、信仰の健全性を阻害しているように思われます。
聖書では、「神は人をご自身のかたちとして、創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女に彼らを創造された。」(創世記1・27)とあり、人は動物ではなく、「すべての生き物を支配せよ。」(1・28)という神の似姿に造られ、男女は同権であることが語られています。
聖書では、カレブの娘たちのように女性でも土地の相続が認められ、ルツのように異邦の女性でも権利が認められています。子供のいない夫婦でも、親類がその土地を守るようになっています。ルツ記は、ベツレヘムに土地を持っていた夫婦が飢饉のためにモアブの地に行き、そこで夫も二人の息子も死んでしまったけれど、残されたナオミとモアブ人の嫁ルツが故郷に帰ってくる記録です。異邦人でありながら信仰に篤く、優しさと思いやりに満ちたルツが、ナオミの親戚の有力者ボアズに見染められて結婚し、そのひ孫がダビデ王となるのです。
このイザヤ54章の不妊の女とは、廃墟となったエルサレムのことと解釈されていますが、聖書は、そのまま読んでも文字通りでは問題ありません。この1節は、ルツのことそのままです。なんの財産もなくなったナオミは、その名前の意味「快い」に相応しくないので、「マラ(苦しみ)と呼んでください。」(ルツ1・20)と嘆くほどでした。「主は私を卑しくし、全能者が私を辛い目に遭わせられました。」(1・21)と、神を批判しています。しかし、実際には、飢饉だからといって、先祖の土地を捨てて逃げたのは、彼らでした。しかし、ルツは違います。夫が死んでしまったけれども、ルツは真摯な信仰の結果、真実の愛と結婚を獲得して、多くの子孫に恵まれます。
ナオミの夫エリメレクも二人の息子も試練に耐えるような人ではなく、神の約束を信じて歩むような人ではありませんでした。ナオミは、真面目な信仰者でしきたりも知っていましたが、神の祝福を信じて歩むような人ではありません。しかし、ルツは「あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。」(1・16)とベツレヘムまで同行し、その誠意はベツレヘムの人々にも知られ、「主があなたのしたことに報いてくださるように。また、あなたがその翼の下に避け所を求めてきたイスラエルの神、主から、豊かな報いがあるように。」(2・12)とボアズに言わせているのです。
次に新約の教えに入ります。「おのおの自分の妻を自分と同様に愛しなさい。妻もまた、自分の夫を敬いなさい。」(エペソ5・23)とあり、冒頭に述べた男尊女卑とは全く異なります。更に、アジアでは子供を大事にするあまりに、「子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。・・・『あなたの父と母を敬え。』」(エペソ6・1-2)を破る人が多いのです。母の日だけに、母を尊重するというものではないのです。
夫婦の間でも、親子の間でも、罪びとは主導権を取ろうとします。男性は、自分の劣等感を埋め合わせるために、妻や子供に主導権を握ろうとし、制度的にそういう社会にしてしまいました。女性は、子どもが産まれると、主導権を握ろうとします。聖書的信仰者であるならば、人を支配しようとする罪の誘惑を拒むべきです。勝ち負けや強弱の関係は、罪びとの論理なのです。そして、夫婦における力関係が、子どもに関わってきたので、子どもも罪の虜として成長するのです。
Ⅱコリント書は、パウロが終末に際して、信者に対して述べています。「結婚したのなら別れてはいけない。信者でない相手が別れたいなら別れても良い。」などと「現在の危急の時」(7・26)は、結婚生活が聖書的でないなら、相手に拘束されて信仰をないがしろにしてはいけない、というような意味合いで諭しています。さらに、独身の人は、結婚しようとしないで、信仰をしっかり保持するように勧めています。どういうことでしょうか。
歴史があり、社会がある時には、結婚をして子供をもって相続していくことが大事だけれども、神の国という基準とは全く別であるということです。人は成人し、働いて社会に貢献し、結婚して家を守っていく、そういう歩みの中で、その人の真実が現れ、神の国の基準に適うかどうか吟味されるのです。そして、不信仰者の中でルツのような真摯な信仰者が異邦人から見いだされ、やはり誠実な信仰者ボアズと結ばれて、神の働きを為すのです。
ところが、歴史の終わりとパウロが信じる時に至っては、そのような社会形成や家族形成はもはや将来につながるものではないので、自分の信仰を確立しなさいというのです。「たとい山々が移り、丘が動いても、わたしの変わらぬ愛はあなたから移らず、わたしの平和の契約は動かない」(10)
イザヤ54章1~10節
- 54:1 「子を産まない不妊の女よ。喜び歌え。産みの苦しみを知らない女よ。喜びの歌声をあげて叫べ。夫に捨てられた女の子どもは、夫のある女の子どもよりも多いからだ」と【主】は仰せられる。
- 54:2 「あなたの天幕の場所を広げ、あなたの住まいの幕を惜しみなく張り伸ばし、綱を長くし、鉄のくいを強固にせよ。
- 54:3 あなたは右と左にふえ広がり、あなたの子孫は、国々を所有し、荒れ果てた町々を人の住む所とするからだ。
- 54:4 恐れるな。あなたは恥を見ない。恥じるな。あなたははずかしめを受けないから。あなたは自分の若かったころの恥を忘れ、やもめ時代のそしりを、もう思い出さない。
- 54:5 あなたの夫はあなたを造った者、その名は万軍の【主】。あなたの贖い主は、イスラエルの聖なる方で、全地の神と呼ばれている。
- 54:6 【主】は、あなたを、夫に捨てられた、心に悲しみのある女と呼んだが、若い時の妻をどうして見捨てられようか」とあなたの神は仰せられる。
- 54:7 「わたしはほんのしばらくの間、あなたを見捨てたが、大きなあわれみをもって、あなたを集める。
- 54:8 怒りがあふれて、ほんのしばらく、わたしの顔をあなたから隠したが、永遠に変わらぬ愛をもって、あなたをあわれむ」とあなたを贖う【主】は仰せられる。
- 54:9 「このことは、わたしにとっては、ノアの日のようだ。わたしは、ノアの洪水をもう地上に送らないと誓ったが、そのように、あなたを怒らず、あなたを責めないとわたしは誓う。
- 54:10 たとい山々が移り、丘が動いても、わたしの変わらぬ愛はあなたから移らず、わたしの平和の契約は動かない」とあなたをあわれむ【主】は仰せられる。
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