「キリストの誕生預言。」 イザヤ11章1~5節

創世記に最初の福音と言われている言葉があります。「わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」(3・15)。人がサタンの誘惑の中で罪を犯してしまった後、神は「女の子孫」、つまり処女によって生まれた神の子がサタンの頭を踏み砕くことを預言するのです。「かかとにかみつく」とは十字架に掛けたことをなりますが、それは後に続くサタンの敗北で終わるのです。

人類の歴史は、このようにサタンの誘惑の結果である敵対と欲望に囚われることで終始します。しかし、だからこそ、信仰者は神を待ち望み、誘惑に陥らずに誠実に歩むことを選ぶのです。それは、信仰の子孫、イスラエル民族にとって希望であり、「わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させる。彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしはその王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。」(
Ⅱサムエル7・12.13.)として、神の国の樹立を預言します。

現代でも、多くの人が欲望や競争心をもって生活に明け暮れ、弱肉強食の様相は変わりません。紀元前の中東や地中海では殺戮と略奪が激しく、生きていくことは現代とは比べ物にならないくらい非常に難しかったのです。世界中の人が日本に来て、その平和と安定ぶり、生活の繊細さに驚きます。島国で極東地域だからこそ、他国の軍隊の攻撃は殆どなかったのです。しかし、それでも内的な争いというのはいつの時代、どこの国でもあります。

「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。」(イザヤ9・6)とは、なんという喜ばしい預言でしょうか。

「不思議な助言者」として、私たちはダニエルのことを学びました。ダニエルの助言がイスラエルを救い、神殿を復興させ、信仰者を鼓舞したのです。一人の人が、信仰をもって歩むことは、多くの人々を励まし、助け、希望を与えるのです。

「力ある神」という尊称を、偶像礼拝をしないイスラエルの人が人間に対して用いることはありません。つまり、「ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり」とは、神が人として生まれるという預言以外にはないのです。

「永遠の父」、家族は父によって守られています。その父が死んだら、経済的にも攻撃にも脆くなります。力強い父が永遠におられるならば、なんという励ましになるでしょうか。

「平和の君」、人々が願うのは平和です。聖研で学んだようにソロモン王の時は平和でしたが、王自身が堕落して国が崩壊していったのです。イスラエルの民が願うのは永遠の国を平和に治める君主なのです。

「主の霊がとどまる。それは知恵と悟りの霊、はかりごとと能力の霊、主を知る知識と主を恐れる霊である。」。人の霊性こそが、その人の実態です。主の霊がとどまらなければ罪によって、その人は誘惑に負け、感情的になり、人を攻撃し、崩壊していきます。主の霊は、ソロモンにはとどまらなかったのです。しかし、主の霊に満たされれば、知恵や能力に溢れ、その為すことは皆、祝されるのです。

「エッサイの根株から新芽が生え」、エッサイとはダビデの父です。マタイ1・6は、この預言の成就です。ダビデの子ソロモン王の時のイスラエルの繁栄は人々にとって夢のようでした。しかし、ソロモンは繁栄の中で高慢になり、欲望に負け、謙遜を失い、国を滅ぼしていったのです。

「この方は主を恐れることを喜び、その目の見るところによってさばかず、その耳の聞くところによって判決を下さず、正義をもって寄るべのない者をさばき、公正をもって国の貧しい者のために判決を下」す王なのです。私は、神を捨て聖霊が去った人々が、自らは幸せだ、繁栄している、と言うのを見てきました。しかし、その偽りは、謙遜を無くしていることによってわかります。ところが、そのような人々は、自らの正しさを証明しようとして、同調者を探し、罠に掛けようとします。祈り、みことばに教えられていない人は、騙されることがあります。

神を敬い、主として従う人々がいることは、どの時代にも稀有なことです。イスラエルという国が存続し、預言者がいて、聖書が語られたことが、霊の戦いの勝利の原動力です。

ベツレヘムは、ヨセフの母ラケルの墓があり、ルツがボアズと結婚した地であり、エッサイが住んでいた場所であり、預言者サムエルがダビデに油を注ぎ、ダビデの3勇士がダビデの為にペリシテ人の陣営のあったベツレヘムの井戸から水を汲んだ地です。エルサレムから10キロほどです。現在はパレスチナ自治政府が治めています。

イザヤ11章1~5節

  • 7:14それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。
  • 9:6ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。
  • 11:1 エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。
  • 11:2 その上に、【主】の霊がとどまる。それは知恵と悟りの霊、はかりごとと能力の霊、主を知る知識と【主】を恐れる霊である。
  • 11:3 この方は【主】を恐れることを喜び、その目の見るところによってさばかず、その耳の聞くところによって判決を下さず、
  • 11:4 正義をもって寄るべのない者をさばき、公正をもって国の貧しい者のために判決を下し、口のむちで国を打ち、くちびるの息で悪者を殺す。
  • 11:5 正義はその腰の帯となり、真実はその胴の帯となる。

ミカ5:2 ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。