「いのちの道を知る。」詩篇16編1~11節
水曜と木曜に藤巻師の母上の葬儀がありました。仲の良い91歳と88歳の両親を中心に性格の良い、教養もある家族を形成していて感心しました。残された父上は、愛し合っていました、と涙ながらに告白していましたが、神の国の説教を良く聴いてくださり、その後は火葬場でも涙を流していませんでした。母上は死ぬ直前に罪を悔い改めて、信仰を告白されたそうで、その足跡から察するとありうると判断しました。
「聖徒のは威厳があり」(3)とあるように、信仰者は確信をもって生きることが大事です。偉ぶるのではなく、自分の業績を誇るのでもなく、「威厳」とは、その人の信念を持った歩みから形成されます。
自分の栄達や成功を求めた偶像の「神に走った者」(4)は、軽薄です。同様に、クリスチャンといえども、栄達や欲望を神に求める信仰者は軽薄です。聖書の教えは、如何に生きるべきかの「助言」が詳細に記されており、その「助言をくださった主をほめたたえる。」(7)のです。
「福音を説き聞かされていることは、私たちも彼らと同じなのです。ところが、その聞いたみことばも、彼らには益になりませんでした。みことばが、それを聞いた人たちに、信仰によって、結びつけられなかったからです。」(へブル4・2)とあるように、いくら説明され、教えられ、救いや奇跡を体験しても、自己中心な人々は、真実な悔い改めができないので、救われないのです。
「信じた私たちは安息に入るのです。『わたしは、怒りをもって誓ったように、決して彼らをわたしの安息に入らせない。』」(へブル4・3)とあるのは、例えば聖書を良く知っているパリサイ人や律法学者に対する怒りでした。同様に、聖書を読んでも自己中心な人々は、自分をみことばによってチェックし、悔い改めて自らを聖霊の導きに委ねるということができないので、関心は自分の内面ではなく、外面的なものや人の評価などになってしまい、深みのある自己形成ができないのです。
神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。造られたもので、神の前で隠れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。私たちはこの神に対して弁明をするのです。(へブル4・12.13)
ところが、不思議なことに、罪びとは、このような聖句を読むと、神の前に恐れおののくだけで、悔い改めるということができないので、「いのちの道を知る」ことができず、神に近づくこともできないので、「あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。」とは言えないのです。
木曜の朝、CTスキャンで検査すると身体の状態がよくわかりました。体調が悪くなった5年前から「悪化はしていない。」ということでしたが、「それほど良くもなっていない。」とのことでした。肝臓に液体が溜まった肝嚢胞が幾つかあり、腎臓や血管にも小さな石灰化が見られ、前立腺も少し肥大、心配した胆石は腫瘍を起こしていない、などで、尿酸値を高くしないようにとのことでした。妻の方は、順調と言われ、喜んでいます。
まるで、裁きの座に着いたようでした。悔い改めて節制し、健康管理をしていたのですが、まだ悔い改めが足らないようです。妻の方は、相変わらずよく食べ、節制している私を誘惑するのですが、少し差別も感じます。しかし、この節制の習慣は、心身共に私を健全にしていることは事実なので、やはり、妻の誘惑には乗らないようにしようと思っています。
罪というのも、おなじようなものです。CTが私の身体をスキャンするように、聖書のことばは、私たちの「たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。」。金属があるとスキャンできないのですが、どうも罪びとは、神のスキャンを信じていないように思われます。誤魔化せるはずもないのに、誤魔化し、言い逃れもできないのに、弁解を繰り返します。
みことばのスキャンを受けて、しっかりと自分の罪や弱点を確認したら、治そうと決心することが大事です。治療方法を教わり、毎日こつこつと薬を飲み(聖書をしっかりと読み続け)、運動を続け(伝道や証しをし、人を助ける)、健康な食生活(信仰者としての健全な生き方)を保つのです。
子供たちは、お父さんがいなかったら、お母さんは生きていけないだろう、と皆が言います。確かに、世間知らずで注意欠陥障害、人が良くて騙されやすく、大食いで節制が苦手な妻は、私がいなかったら破綻するでしょう。私が「いのちの道」を教え導いているようです。
教会とは、そのようなものです。「あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。」(11)。共に歩み、手を取り、導き、教え、守り、そして、信仰の先輩が、「いのちの道を」教えていくのです。
たとえ、悲嘆するようなことがあり、暗黒な人生を過ごしてきたとしても、神を信じ、教会に加わるならば、「あなたは、私のたましいをよみに捨ておかず、あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。」。見せかけの偽りの人生をかなぐり捨て、真実なる神に委ねて生きていこうではありませんか。
詩篇16編1~11節
- 16:1 神よ。私をお守りください。私は、あなたに身を避けます。
- 16:2 私は、【主】に申し上げました。「あなたこそ、私の主。私の幸いは、あなたのほかにはありません。」
- 16:3 地にある聖徒たちには威厳があり、私の喜びはすべて、彼らの中にあります。
- 16:4 ほかの神へ走った者の痛みは増し加わりましょう。私は、彼らの注ぐ血の酒を注がず、その名を口に唱えません。
- 16:5 【主】は、私へのゆずりの地所、また私への杯です。あなたは、私の受ける分を、堅く保っていてくださいます。
- 16:6 測り綱は、私の好む所に落ちた。まことに、私への、すばらしいゆずりの地だ。
- 16:7 私は助言を下さった【主】をほめたたえる。まことに、夜になると、私の心が私に教える。
- 16:8 私はいつも、私の前に【主】を置いた。【主】が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。
- 16:9 それゆえ、私の心は喜び、私のたましいは楽しんでいる。私の身もまた安らかに住まおう。
- 16:10 まことに、あなたは、私のたましいをよみに捨ておかず、あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。
- 16:11 あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。
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