「人生100年時代?」 イザヤ書65章16~25節

年賀状で105歳になられた大島教授から返信がありました。バプテストの信仰を持ち、多くの著作をなされ、未だ研究中とのことでした。内田良子が親の反対で信仰を離れた時に、船津牧師の依頼で鹿島迄同行して、話をしてくださった恩人です。節制と健康管理にも務めておられるのでしょう。

 私には、牧師さんたちの健康管理が心配です。多くの牧師が、顔も身体も浮腫んでいて、更に甘いものをよく食べ、運動もしていないからです。宣教師は、身体を壊す人が多く、帰国しても自己管理には慣れていないようです。 牧師さんたちは週一回の安息を守っていない人も多く、ストレスを抱えているように見えます。

 神は、この世界を法則によって治めています。水の上を歩くことは出来ず、高い所から飛び降りれば死にます。食事を摂らなければ、飢えて不健康になります。悪魔は、イエス様に「神の子ならば」(マタイ4・6)と、それらの法則を超えて、超自然に生きるように誘惑しました。しかし、イエス様は、「あなたの神である主を試みてはならない。」(同7)と退けました。更に、悪魔はこの世の栄華を与えようと誘惑しました。イエス様は、栄華・栄光を求めるよりもむしろ、「主にのみ仕えなさい。」(10)と答えました。

 牧師さんたちは、確かに神に献身し、教会を成長させようと努力をしていますが、どうも神の治めた法則を、信仰によって乗り越えようとしているように思えます。イエス様でさえ、なさらなかったのに、多くの人間がなりがちな考え方を悪魔は用いたのです。牧師だけでなく、信者もまた「悪魔の試み」(同1)を受けるのです。

 断食を、健康に良い、などと考えてはいけません。断食は、命がけの神への誓願です。信仰に一生懸命ならば、神の祝福を得る、と考えるのも自己中心です。私は徳であれ、損であれ、神に仕え、神のみ旨を果たすことが大事であって、願いは天の御国に迎えられることです。

 弟子たちは、命がけで伝道し、それでもうまく行かないことは多く、殉教していったのでした。信仰あれば、神に祈れば、うまく行くと考えるのは、いつの間にか浸透した可能性志向の神学であって異端に近いものです。信仰の道とは、十字架の道です(マタイ16・24)。

 「できるなら、と言うのですか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」(マルコ9・23)は、悪霊との戦いであり、勝たなければならない状況です。「わたしを信じる者は、わたしが行うわざを行い、さらに大きなわざを行います。わたしが父のもとに行くからです。」(ヨハネ14・12)は、自分の為ではなくて、信仰の戦いの勝利の為です。病の癒しも、一度は聞かれますが、その後は自己管理に任されます。神は、ご自分の定めた法則を、覆されることは安易にはしません。

 「あなたがたのからだは、あなたがたのうちにおられる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたはもはや自分自身のものではありません。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから、自分のからだをもって神の栄光を現しなさい。」(Ⅰコリント6・20.21)とあるように、

 妻は5年前に大腸がんの切除手術を受けました。それまでは、私の見るところ、少し不摂生で、自分に甘く、情動に左右されるところがありました。確かに、手術は、神様に守られ、助けられ癒されたと思います。そのがん治療の詳細は、雑誌にも取り上げられ、多くの反響を及ぼしました。「災い転じて益となる。」ということでしょう。

命の掛かった手術後の妻の自己管理は、大したものだと感心しています。朝の体操、毎日の散歩、十分なサプリメント摂取、健康に留意した食事作りなどです。血液検査もCTも内視鏡も全て、完全緩解を示していました。最近は、私の方が健康管理に十分でなく、少し衰えを感じています。胆嚢切除手術の影響で、タンパク質が十分でなく、身体を早く動かすことを怠っているようです。妻は、85歳まで医師を続けると告白しており、私もそのくらいまではと願い、再臨や終末の備えはしながらも、100歳までは主と共にこの地上を過ごしたいと願っています。

 アジア諸国では、人口が多いために定年制度を設け、早期に引退を促して、労働力の補充をしてきました。中国や韓国では、50歳くらいです。アメリカでは、年齢を理由に差別することを禁止しているので、定年制はありません。世界の定年制度を調べると、労働者の供給の調整の為であるようです。つまり、労働力が不足すれば、定年を遅くし、足りていれば定年を早くするのです。

 多くの人は、仕事をせずに楽な生活をしたいという願望があります。それで、経済さえ許せば、なるべく早く引退をしたがるのです。ところが、生きる活力がないと、努力を怠り、心身ともに健康でなくなり、老化が始まって長くは生きられなくなるのです。

 「自分のからだをもって神の栄光を現しなさい。」自分の生き方をよく管理して、日々、神を讃美し、人と交わり、喜び、感謝をしていたら、それが神の栄光でしょう。歳をとり、若い時にはなかなか得られなかった充実感と喜びを感じるようになってきました。終末の危機の中で、人生を味わえたら幸いです。

イザヤ書65章16~25節

  • 65:16 この地で祝福される者はまことの神によって祝福され、この地で誓う者はまことの神によって誓う。かつての苦難は忘れられ、わたしの目から隠されるからだ。
  • 65:17 見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。先のことは思い出されず、心に上ることもない。
  • 65:18 だから、わたしが創造するものを、いついつまでも楽しみ喜べ。見よ。わたしはエルサレムを創造して喜びとし、その民を楽しみとする。
  • 65:19 わたしはエルサレムを喜び、わたしの民を楽しむ。そこではもう、泣き声も叫び声も聞かれない。
  • 65:20 そこにはもう、数日しか生きない乳飲み子も、寿命を全うしない老人もいない。百歳で死ぬ者は若かったとされ、百歳にならないで死ぬ者は、のろわれた者とされる。
  • 65:21 彼らは家を建てて住み、ぶどう畑を作って、その実を食べる。
  • 65:22 彼らが建てて他人が住むことはなく、彼らが植えて他人が食べることはない。わたしの民の寿命は、木の寿命に等しく、わたしの選んだ者たちは、自分の手で作った物を存分に用いることができるからだ。
  • 65:23 彼らは無駄に労することもなく、子を産んで、突然その子が死ぬこともない。彼らは【主】に祝福された者の末裔であり、その子孫たちは彼らとともにいるからだ。
  • 65:24 彼らが呼ばないうちに、わたしは答え、彼らがまだ語っているうちに、わたしは聞く。
  • 65:25 狼と子羊はともに草をはみ、獅子は牛のように藁を食べ、蛇はちりを食べ物とし、わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、滅ぼすこともない。──【主】は言われる。」