「感動して奉仕を願う者たち。」出エジプト35章30~36章3節
私が最初にこの箇所を読んだとき、ベツァルエルのようになりたいと感動したことを忘れることはできません。仕事をするのには知恵が必要ですが、「心に知恵のある者」(36・1)という言葉に打たれました。幼い時から人を観察して育ち、どうしてある人は知恵があり、ある人は知恵がないのかを不思議に思っていました。悟ったことは、自己中心で我の強い人は、知恵を使ってうまく算段することを面倒くさがるという様子でした。
「愚か者は知恵と訓戒を蔑む」(箴言1・7)は直ぐに腑に落ちました。私は知恵を求めていたのです。そして、知恵を働かせるべき生き方を求めていました。「聖所の奉仕のあらゆる仕事をする」ために、「知恵と英知」(36・1)が必要であることは当然なことです。さらに、「神の霊を満たされた。」(35・31)ということは、なんと感動するべきことでしょう。
私は生き甲斐を求めていました。神に仕えるということは、人生の目的としては究極的にはこれ以外にない、というほど完ぺきなことです。それでは、「金や銀や青銅の細工を巧みに設計し、はめ込みの宝石を彫刻し、木を彫刻し、あらゆる設計的な仕事をさせる」(35・32.33)とはどういうことでしょう。聖所の仕様は全て意味があることがわかりました。ですから、「心に知恵のある者」でなければ、神の喜ばれるものを作れないことは当然です。
この会堂の雨漏りの補修工事を何度繰り返したことでしょう。手抜き工事が続き、費用を掛けても解決せず、未だ少しずつ修繕しています。「心に知恵のある者」でなければ、神の宮を建て上げるのに相応しくありません。
教会形成とは、「聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストの身体を建て上げる」(エペソ4・12)ことです。そして、その奉仕において、「わたしたちはみな、神の御子に対する信仰と知識において一つとなり、一人の成熟した大人」(4・13)となるのです。
ですから、教会の奉仕というものは、「進んで献げる心のある人」(出35・5)によるものでなければなりません。奉仕をしなければ、信者が「成長して愛のうちに建てられること」(エペソ4・16)はありません。奉仕者に必要なことは、「感動して、進み出てその仕事をしたいと思う」(2)ことです。神の働きには、遠慮する者、やる気のない者、心から仕事をすることができない者は加わることはできません。教会形成を破壊するのは、そのような奉仕の心のない人々です。
「感動して、進み出てその仕事をしたいと思う」けれども、能力も知恵もないと思う人がいるかもしれません。でも、だからこそ「彼の心に人を教える力を授けられた。」(34)のです。母教会で牧師からブラスバンドを作り、東日本聖会で演奏するように頼まれました。経験者は私の他に3名だけでしたが、演奏者を募りました。15名ほどが申し出て、猛練習をしました。楽器ですから上手下手はわかります。私は全ての楽器を指導し、また其々の技能に応じて譜面を書き、指揮をしました。それに専念していたので、大学院の入試の時にはすっかり解答を忘れていて、不合格となりました。でも、その時の充実感は忘れることはできません。一年留年したことはみっともなかったのですが、それを恥じないで勉強したので、力を付けました。
「私たちのうちに働く御力によって、私たちが願うところ、思うところのすべてをはるかに超えて行うことのできる方」(エペソ3・20)が、献身的な願いを持った人々を励まし力づけ、「あらゆる点において、かしらであるキリストに向かって成長」(エペソ4・15)させてくださるのです。音痴の劣等感を持っていたのが、その指揮指導をするうちにすっかり音感が身に付きました。大学院の不合格というみっともなさを、神がかりの知恵をもって優秀な成績を与えてくださいました。
神学校に入ってからは全く勉強の時間がなく、疲れ果て成績が落ちる一方であり、校則も守れない私を弓山校長が守ってくださいました。私にとって、神学校の成績や人の評価よりも、神に献身しているかどうかが、自分の基準でありました。病弱な妻の世話と子育てで、牧師としての成功も諦め、ただ神に仕える人生を使命としました。その間、都合の良いように教会生活を送ろうとする人々に教会をかき回され、批判を受け、苦しみ抜きました。しかし、神はご存知です。私は、その人々を憎むことも攻撃することもしませんでした。それは、彼らには、神がおられないし、神が守ることもないことを感じていたからです。
自己都合で生きる人々に神が共におられることはありません。しかし、私は、「願うところ、思うところのすべてをはるかに超えて行うことのできる方」(3・20)の祝福を得ています。「進んで献げる心の」ない人に献金を頼んだことはありません。それに代わって、欠けた分を補って献げた私を神は十分に満たしてくださいました。私自身は、「感動して、進み出て(牧師としての)仕事をしたいと思」ったのですが、今でも、この働きに感動しております。
出エジプト35章30~36章3節
- 35:30「見よ。【主】はユダ部族のフルの子であるウリの子ベツァルエルを名ざして召し出し、
- 35:31 彼に、知恵と英知と知識とあらゆる仕事において、神の霊を満たされた。
- 35:32 それは彼が金や銀や青銅の細工を巧みに設計し、
- 35:33 はめ込みの宝石を彫刻し、木を彫刻し、あらゆる設計的な仕事をさせるためである。
- 35:34 また、彼の心に人を教える力を授けられた。彼とダン部族のアヒサマクの子オホリアブとに、そうされた。
- 35:35 主は彼らをすぐれた知恵で満たされた。それは彼らが、あらゆる仕事と巧みな設計をなす者として、彫刻する者、設計する者、および、青色、紫色、緋色の撚り糸や亜麻布で刺繍する者、また機織りする者の仕事を成し遂げるためである。
- 36:1 ベツァルエルとオホリアブ、および、聖所の奉仕のすべての仕事をすることのできる知恵と英知を【主】に与えられた、心に知恵のある者はみな、【主】が命じられたすべてのことを成し遂げなければならない。」
- 36:2 モーセは、ベツァルエルとオホリアブ、および、【主】が知恵を授けられた、心に知恵のある者すべて、すなわち感動して、進み出てその仕事をしたいと思う者すべてを、呼び寄せた。
- 36:3 彼らは、聖所の奉仕の仕事をするためにイスラエル人が持って来たすべての奉納物をモーセから受け取った。しかしイスラエル人は、なおも朝ごとに、進んでささげるささげ物を彼のところに持って来た。
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