「神に受け入れられた印。」使徒の働き10章34~47節
神の国に男女の違いはないということをお話ししました。当然ながら、地上の国籍も関係ありません。文化や風習も引きずりません。国家の違い、民族や人種の違いに拘泥する人は、神の国の基準を満たしていない証拠となります。
今日の聖句は9節から始まります。聖くない物、汚れた物を食べず、律法を守ることを重視してきたユダヤ人にとって、他民族との交流は忌みされることでした。そんな中でローマ軍の100人隊長が幻を見て、神からペテロを招いて福音を聞くように告げられます。
ペテロもまた幻によって神に諭されており、100人隊長コルネリオの招きを受け入れてヨッパからカイザリアに行き、彼の家に訪れました。
「お立ちなさい。私もひとりの人間です」と言った。それから、コルネリオとことばをかわしながら家に入り、多くの人が集まっているのを見て、彼らにこう言った。「ご承知のとおり、ユダヤ人が外国人の仲間に入ったり、訪問したりするのは、律法にかなわないことです。ところが、神は私に、どんな人のことでも、きよくないとか、汚れているとか言ってはならないことを示してくださいました。それで、お迎えを受けたとき、ためらわずに来たのです。そこで、お尋ねしますが、あなたがたは、いったいどういうわけで私をお招きになったのですか。」10・26-29
人は生まれ育った所の風俗・習慣・考え方に影響されています。私たちが、クリスチャンとして成熟するためには、当然と考えている詳細まで、聖書の言葉と教会生活で再形成されなければなりません。ところが、多くの方が、それを論理的理解の中で追加して考え方の中に取り入れようとするのです。聖書を理解し、クリスチャンとキリスト教のすばらしさを知って、教会に来て、洗礼を受けたとしても、「人は水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。」(ヨハネ3・5)とあるのに、神の国に土足で入ろうとするのです。
私自身は、聖書を3ヵ月で読破し、いろいろな奇跡や神の導きを体験しましたが、自分が他のクリスチャン達と違うことに気が付きました。そして、祈祷会で聖霊のバプテスマを受けて、確かに自分が生まれ変わったこと、人生観が変わったことに気が付きました。それは、考えを変えたとか、悟りを得たなどということとは全く違い、神の国の人になったことが分かったのです。そして、私の人生は確かに全く変わり、「神の国とその義を最優先するように生まれ変わったのです。」
むろん、信仰の当初は、「神はいるのかいないのか。」、「私はクリスチャンとしてどのように歩めば良いのか。」、「聖書は何を教えているのか。」などということも学ばなければなりません。しかし、それは神の子として生まれてからのことで、神の子として生まれていないのに、神の国の歩み方を教えられても全くわからないのです。
人々は、60キロも離れたヨッパから神のお告げ通りに訪れてきたペテロに驚きました。ユダヤ人が異邦人の家に入るだけでもかつてなかったことです。そのことが、神ご自身が示した幻によるということも奇跡でした。そして、「神はかたよったことをなさらず、どの国の人であっても、神を恐れかしこみ、正義を行う人なら、神に受け入れられるのです。」という言葉に、涙を流して感動したことでしょう。そして、「この方を信じる者はだれでも、その名によって罪の赦しが受けられる」(43)と聞いて、直ちに悔い改めたのです。聖霊のバプテスマは、罪を悔い改め、魂が救われて神の国の子となった者だけが与えられる聖霊の賜物なのです。
聖霊のバプテスマは、聖霊に満たされることを求める為に大事な局面です。ただ、異言の祈りを祈っているからといって、聖霊に満たされている保証にはなりません。真実なものには偽物が必然です。新興宗教には、異言と同じような現象が現れているという報告が出ています。聖霊のバプテスマの証明は、神を第一とした生活と、聖められた人格です。
むろん聖霊のバプテスマを受けていなくても魂の救われたクリスチャンは多くおります。しかし、だからといって、聖めと御霊による喜びと平安を受けていない人をクリスチャンとは、神は決してしません。ところが、魂の救われていないクリスチャンは、悔い改めることがなく、反省もすることがないので、変わることも成熟することもなく、自分をクリスチャンであると誤解しているのです。
現代社会では、「金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。」(Ⅰテモテ6・9.10)に注意しなければなりません。私は多くの教会員が、「人の益を計り、良い行いに富み、惜しまずに施し、喜んで分け与える」(Ⅰテモテ6・18)真の信仰者であることを喜んでいます。
牧師をして36年ですが、これらのことを当たり前にしないで、自分のことばかりを求め、教会員との交流や奉仕をしない人々が信仰から離れていくことを知っています。打算や利益を求める人々、自分が目立つことや思い通りに生きようとする人は、教会に来続けることはできないのです。彼らは、もっともな理屈を述べますが、実は神が偽信仰者を排除したのです。そして、多くの教会でこれらの偽信仰者が教会を混乱させているのを、皆さんも悟らなければなりません。
ペテロの同行者は、これまで軽蔑していた「異邦人にも聖霊の賜物が注がれたので驚いた。彼らが異言を話し、神を賛美するのを聞いたからである。」(45.46)。
使徒の働き10章34~47節
- 10:34 そこでペテロは、口を開いてこう言った。「これで私は、はっきりわかりました。神はかたよったことをなさらず、
- 10:35 どの国の人であっても、神を恐れかしこみ、正義を行う人なら、神に受け入れられるのです。
- 10:36 神はイエス・キリストによって、平和を宣べ伝え、イスラエルの子孫にみことばをお送りになりました。このイエス・キリストはすべての人の主です。
- 10:37 あなたがたは、ヨハネが宣べ伝えたバプテスマの後、ガリラヤから始まって、ユダヤ全土に起こった事がらを、よくご存じです。 10:38 それは、ナザレのイエスのことです。神はこの方に聖霊と力を注がれました。このイエスは、神がともにおられたので、巡り歩いて良いわざをなし、また悪魔に制せられているすべての者をいやされました。 10:39 私たちは、イエスがユダヤ人の地とエルサレムとで行われたすべてのことの証人です。人々はこの方を木にかけて殺しました。 10:40 しかし、神はこのイエスを三日目によみがえらせ、現れさせてくださいました。
- 10:41 しかし、それはすべての人々にではなく、神によって前もって選ばれた証人である私たちにです。私たちは、イエスが死者の中からよみがえられて後、ごいっしょに食事をしました。
- 10:42 イエスは私たちに命じて、このイエスこそ生きている者と死んだ者とのさばき主として、神によって定められた方であることを人々に宣べ伝え、そのあかしをするように、言われたのです。
- 10:43 イエスについては、預言者たちもみな、この方を信じる者はだれでも、その名によって罪の赦しが受けられる、とあかししています。」 10:44 ペテロがなおもこれらのことばを話し続けているとき、みことばに耳を傾けていたすべての人々に、聖霊がお下りになった。
- 10:45 割礼を受けている信者で、ペテロといっしょに来た人たちは、異邦人にも聖霊の賜物が注がれたので驚いた。
- 10:46 彼らが異言を話し、神を賛美するのを聞いたからである。そこでペテロはこう言った。
- 10:47 「この人たちは、私たちと同じように、聖霊を受けたのですから、いったいだれが、水をさし止めて、この人たちにバプテスマを受けさせないようにすることができましょうか。」
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