「幸いなことよ、主の御教えに歩む人。」 詩篇119篇1~11節

私が初めて教会に行ったのは、1975年12月19日の学生伝道会の終わった後でした。21日の日曜学校クリスマス大会に誘われ、何か神に囲まれたような不思議なものを感じました。ただ、その伝道者の説教は、論理的に変だと思いました。次の日曜日の礼拝が最初でしたが、桜井剛先生のエペソ4章からの説教には引き込まれ、聖餐の招きに応じたいと思い、隣の福水さんから誘われた時に、神に受け入れられたことを感じました。

正月に前橋に返り、友人たちと麻雀をしても気が乗らず、却って役満を連発して大勝ちをしましたが、これを最後にやめようと感じたものです。お酒も不味く感じて飲むのを止めました。4日からの新年聖会に続けて参加し、3日目にはトランペットで讃美をしました。聖書も買って、3月までに読破しました。教会の変なおばさんが、3カ月で読めるはずがないと嫌味を言っていましたが、毎日読み続けたのです。タバコも辞めて、ライターを浅木君にあげたら、興味を持って教会に来ました。

2月末の学生会で、ヨセフの話をまとめて話していると、身体が熱くなり聖霊に満たされました。どうなったのか、自分でもわかりませんでした。自分が、宗教に傾倒していくのを覚え、将来が危ないと考えた私は、3月末の日曜学校教師会を最後に、教会生活をもっと簡単なものにしようと決心しました。ところが、その最後の集会で、内村サムエル師の説教の後、頭に手を置いて祈られる中で聖霊のバプテスマを受けたのです。

入学した後輩の藤田君が教会を紹介されたので、訪問し伝道して5月5日に一緒に洗礼を受けました。徹夜祈祷会で、彼の為に祈っていると聖霊に満たされ、彼は受霊しました。浅木君も一緒に洗礼を受けるはずでしたが、彼女の反対で困って牧師と二人で話していると彼女が怒って階段を駆け下りた時、私が「主よ。」と叫ぶと彼女が転げ落ち、そして悔い改めて救われ、7月に二人で一緒に洗礼を受けました。

信者の時代は、私自身、「全き道を行く」、「主の教えに歩む」人であったし、「主のさとしを守り、心を尽くして主を求める」ことをいつもしておりました。千葉で開拓伝道を始め、牧師になってから、教会に来る人々が簡単にイエス・キリストを信じないのに苦しみました。聖書もまともに読まずに、教会に来て形式的に読んでいるだけで、いつも悩みを背負っており、この世の考え方や習慣に囚われているようでした。そして、おかしな信者や牧師が教会をかき回していきました。

自分が真剣に神を信じ、祈っていることが愚かのように思えて来て、ノイローゼのようになりました。その頃、心身の病気が重なって、子育てや教会のことで15年くらい苦しみました。

心臓がおかしくなって動けなくなって祈っている時に、十字架に掛かったイエスに従うことを迫られました。「自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者はそれを見出すのです。」(マタイ16・24.25)。自分の生涯、教会の盛衰を信者に期待することをやめました。ただ、自らが神に従っていけば、それで良いのです。

「だれでも御国のことばを聞いて悟らないと、悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪います。①道端に蒔かれたものとは、このような人のことです。⓶また岩地に蒔かれたものとは、みことばを聞くと、すぐに喜んで受け入れる人のことです。しかし自分の中に根がなく、しばらく続くだけで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。③茨の中に蒔かれたものとは、みことばを聞くが、この世の思い煩いと富の誘惑がみことばをふさぐため、実を結ばない人のことです。」(マタイ13・19-22)。

残念ながら、道端のような悟らない心の人、岩地のような心の薄くて根が生えない人、茨のようなこの世の諸事に囚われている人、などがおります。しかし、神でも、そのような人々を変えることも救うこともできないのです。牧師でも、そんなことができるはずがありません。ただ、自らは、良い地となって、「みことばを聞いて悟り」(同23)、多くの実を結ぶことを心掛けるだけです。

牧師として、いつも信者の為に祈り、執り成していますが、やはり「自分の道を聖く保つことができ」(9)ない人、「迷い出る」人(10)、「罪ある者となる」(11)人はおり、神に「見捨て」(8)られる人はいるようです。彼らは、「あなたのおきてを守り」(詩篇119・8)、「心を尽くしてあなたを求め」(10)、「あなたのみことばを心に蓄え」ることをしていないのです。

みことば、聖書を日々読まない人は、自分の悟りや考えで信仰生活を保てると考えています。「悪魔の策略に対して堅く立つことができるように、神の全ての武具を身に付けなさい。」(エペソ6・11)

詩篇119篇1~11節

  • 119:1 幸いなことよ全き道を行く人々【主】のみおしえに歩む人々。
  • 119:2 幸いなことよ主のさとしを守り心を尽くして主を求める人々。
  • 119:3 まことに彼らは不正を行わず主の道を歩みます。
  • 119:4 あなたは戒めを仰せつけられました。それらを堅く守るように。
  • 119:5 どうか私の道が堅くされますように。あなたのおきてを守るために。
  • 119:6 そうすればあなたのすべての仰せを見て私は恥じることがありません。
  • 119:7 あなたの義のさばきを学ぶとき私は直ぐな心であなたに感謝します。
  • 119:8 私はあなたのおきてを守ります。どうか私を見捨てないでください。
  • 119:9 どのようにして若い人は自分の道を清く保つことができるでしょうか。あなたのみことばのとおりに道を守ることです。
  • 119:10 私は心を尽くしてあなたを求めています。どうかあなたの仰せから私が迷い出ないようにしてください。
  • 119:11 私はあなたのみことばを心に蓄えます。あなたの前に罪ある者とならないために。