「神の創造を喜ぶ。」詩篇19篇1~14節

絶景に感動する人は多くおりますが、神の創造の業を讃美する人は日本人では少ないでしょう。現代科学は、神の創造ではなく、進化の産物として世界を教えます。科学者ドーキンスの『神は妄想である』という著書は100万部も売れ、ヒトゲノム計画を率いた一流の生命科学者、米国・国立衛生研究所所長のフランシス・コリンズは、無神論者の家庭に育ったが、後に敬虔なクリスチャンとなり、科学的真理と信仰的真理は矛盾しないと確信し、『ゲノムと聖書:科学者、〈神〉について考える』という本を執筆しました。ともかく、神や創造について、人の対応は、どんなに科学が進もうとも異なるのです。

人格ある神はそのような人間の心をじっと見つめているのです。私でさえ、人の心を動かし、思う通りにすることはできないことを知っています。ダビデは、「わが子ソロモンよ。あなたの父の神を知り、全き心と喜びの気持ちをもって神に仕えなさい。主はすべての心を探り、すべての思いの動機を読み取られるからである。もし、あなたが神を求めるなら、神はあなたにご自分を現される。もし、あなたが神を離れるなら、神はあなたをとこしえまでも退けられる。」(Ⅰ歴代誌28・9)。と息子を諭しました。どのように生きるかは、本人が決めることですが、その背後には欲望や罪が渦巻いています。悔い改めのない人に神の御霊は働きかけません。そういう面で、自然への感動が救われた者の特徴です。

さて、6節までは自然啓示といって、神の栄光と顕現を説明しているのですが、それだけでは殆どの人は悔い改めることも救われることもありません。7節から11節までが特別啓示として、「主の教え」、「主の証し」、「主の戒め」、「主の仰せ」、「主からの恐れ」、「主の裁き」を伝えています。

「主の教え」は律法によって示されますが、それで「魂を生き返らせ」る人は、確かに救われた人です。聖書を読んでも何の感動もない人もいるのです。「主の証し」は神がおられ働かれた証拠や奇跡を見るということでしょう。浅はかな者も、神を信じざるを得なくなります。「主の戒め」によって神の正義を知り、裁きの基準を身に着けるのです。信仰者は、その戒めによって喜び、罪人は悲嘆するのです。「主の仰せ」は、私たちが何をするべきかを語り、信仰者は生き甲斐を持つのです。「恐れ」こそ、神への畏敬の念を与え、私たちを聖くするのです。「主の裁き」は絶対であり、言い逃れは赦されません。「それらは、金よりも、多くの純金よりも好ましい。蜜よりも、蜜蜂の巣のしたたりよりも甘い。」ということは、ダビデが信仰者だからであり、不信仰者にとって、「何よりも嫌いで、苦くて嫌なもの」となるでしょう。

さてそのような教えを受けても、誠実な信仰者は「自分の過ちを悟ることが」できないこともありうると案じ、「隠れた罪」が自分の心を縛っているかもしれないことを懸念するのです。さらに、「傲慢」になりうることを恐れるのです。私自身、多くの信仰者を見守ってきましたが、信仰歴が古くなり、信仰生活に慣れてしまい、後輩や年下の者が増えてくると、謙遜を保てなくなることが多くあります。半面、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」というような謙遜の極みを身に着ける信仰者には感動します。長い信仰生活の末に傲慢になってしまうということは、私たちを愛し救ってくださった神への「大きな背き」なのです。

「私の口のことばと、私の心の思いとが御前に、受け入れられますように。」という切なる祈りは、「兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。」(ローマ12・1)という神への献身の祈りです。

信仰者の霊的成長は、神と神の働きへの感動に掛かっています。「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。」ことに感動し、空を見上げて生きることはなんと素晴らしいことでしょうか。

パウロは、ギリシャで奇跡を行うと寄ってきた人々に、神は「ご自身のことをあかししないでおられたのではありません。すなわち、恵みをもって、天から雨を降らせ、実りの季節を与え、食物と喜びとで、あなたがたの心を満たしてくださったのです。」(使徒14・17)と諭しています。晴れた日には、神を崇めながら散歩や草木の世話をし、雨の日には傘をさして歩き、景色や木々を眺めると、それだけで神に生かされている感動が心を占めてきます。食事のおいしさ、信仰者との交流、主に生かされていることは喜びに満ち溢れます。

小坂忠さんの「喜びの季節」という讃美が浮かんできます。「道端の花からも歌が聞こえるよ。木漏れ日も踊り出す喜びの季節。数えれば、数えれば、あなたの恵みを。数えれば、数えれば、夜も白むほど。愛されて、愛されて、ここに立っている。愛されて、愛されて、ここから旅立つ。」

神を讃美するということはなんと素晴らしいことでしょう。

詩篇19篇1~14節

  • 19:1 天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。
  • 19:2 昼は昼へ、話を伝え、夜は夜へ、知識を示す。
  • 19:3 話もなく、ことばもなく、その声も聞かれない。
  • 19:4 しかし、その呼び声は全地に響き渡り、そのことばは、地の果てまで届いた。神はそこに、太陽のために、幕屋を設けられた。
  • 19:5 太陽は、部屋から出て来る花婿のようだ。勇士のように、その走路を喜び走る。
  • 19:6 その上るのは、天の果てから、行き巡るのは、天の果て果てまで。その熱を、免れるものは何もない。
  • 19:7 【主】のみおしえは完全で、たましいを生き返らせ、【主】のあかしは確かで、わきまえのない者を賢くする。
  • 19:8 【主】の戒めは正しくて、人の心を喜ばせ、【主】の仰せはきよくて、人の目を明るくする。
  • 19:9 【主】への恐れはきよく、とこしえまでも変わらない。【主】のさばきはまことであり、ことごとく正しい。
  • 19:10 それらは、金よりも、多くの純金よりも好ましい。蜜よりも、蜜蜂の巣のしたたりよりも甘い。
  • 19:11 また、それによって、あなたのしもべは戒めを受ける。それを守れば、報いは大きい。
  • 19:12 だれが自分の数々のあやまちを悟ることができましょう。どうか、隠れている私の罪をお赦しください。
  • 19:13 あなたのしもべを、傲慢の罪から守ってください。それらが私を支配しませんように。そうすれば、私は全き者となり、大きな罪を、免れて、きよくなるでしょう。
  • 19:14 私の口のことばと、私の心の思いとが御前に、受け入れられますように。わが岩、わが贖い主、【主】よ。