「井戸の呼び水。」 詩篇84篇1~12節 

地下水が自然に湧き出て来るのが泉です。井戸は、地下水の水脈に人工的に掘り下げ、その穴が崩れないようにしたものです。泉でも、水脈が涸れたり、塞がったりすれば湧き出なくなります。井戸も同様です。

 イサクは、土地の人々に妬まれ、攻撃されて流れ歩きますが、争いを逃れて着いた所どこでも、井戸を探り当てました。周囲の人々は呆れて、イサクと争うと神と敵対することになると恐れました。泉が湧き出ることは、神の祝福を現わすからです。「私たちは、主があなたとともにおられることを確かに見ました。」(創世記26・28)。それらの時、イサクが「祭壇を築き、主の御名を呼び求めた。」(同25)ことを確認していなければなりません。

 「主があなたを良い地に導き入れようとしておられるからです。そこは、谷間と山に湧き出る水の流れや、泉と深い淵のある地、小麦、大麦、ぶどう、いちじく、ザクロのある地、オリーブと蜜のある地である。」(申命記8・7.8)と約束の地の祝福を語り掛けておられます。

 現在、イスラエルが非難されていますが、彼らが砂漠、荒地に水脈を通して干拓をし、肥沃な土地としたことは、周囲の国々の土地を見ればわかります。彼らは、命懸けで良い地を作り上げたのです。神の祝福は、マタイ13章にあるような良い地になることですが、それには、水脈を探し出し、自分の心にある堅い岩や茨を取り除くことが必要なのです。

先々週は「聖霊に満たされる」ことは、平凡かつ誠実な「みことばに従い、良き行いをする中で御霊の実を実らせていくことである」とお話ししました。先週は、満たされて、流れ出し、人々に感化を与えていくことは、「生ける水の川が流れ出る」ことであり、もっとダイナミックなことであると伝えました。ともかく、「絶えず祈りなさい。」(Ⅰテサロニケ5・17)ということができなくなっているのです。

休みが続くので、妻と一緒に時間ばかりです。そううつ気質なので、美味しい物や楽しいことがあると喜ぶのですが、物事に一喜一憂することが気になりました。「もっと異言で祈りなさい。」と言うと祈るのですが、それっきりです。すぐに、「自分はダメだ。」とか、人のことを気にします。「祈りなさい。」と言っても、祈っているうちに眠ってしまうようです。祈りが長続きしないのです。そして、感情や気分に左右されているのです。そこで、今日の聖句を探し出しました。まず、泉からあふれる水脈を確保しなければなりません。

「なんと幸いなことでしょう。その力があなたにあり心の中にシオンへの大路のある人は。」(5)。

結婚44年になりますが、妻は基本的に「注意欠陥多動性障害」であり、ミスは絶えません。私は、そういう妻の弱さや欠点を、神から私にあてがわれた必要な伴侶として受け入れています。そして、優秀かつ素晴らしい女医さん、牧師夫人、妻として評価されるように状況を整えています。しかし、妻は、そのような評価に相応しい人間になろうとして自己嫌悪に陥るようです。こんなように公にさらされるのですから、可哀相ですが。

私自身は、「心の中にシオンへの大路のある人は。」ということは身に付けており、うまく行こうと行かなかろうと、試練や攻撃があろうと、神への信頼は揺らぎません。つまり、水脈は神と繋がっているのです。

多くの人が、うまく行くことばかりを望んでおり、それが神と繋がっていると考えているようです。「絶えず祈る」ことが、いのちの水の井戸が枯れない条件です。自分の願いを叶えようとすること自体が、自己中心であり、神との水脈が塞がる理由となります。

「彼らは涙の谷を過ぎるときもそこを泉の湧く所とします。」(6)。

涙を流すような苦しい時、悲しい時も、決して、そこから逃げよう、勝利しようなどと考えてはいけません。神を信頼して、水脈を閉じないで祈り続けるのです。聖書を読めば、信仰者に試練や艱難は付き物であることがわかります。そして、「初めの雨もそこを大いなる祝福でおおいます。」(6)。ようやく雨が降り、閉じていたと思われる水脈も繋がるのです。

MYビルや教会堂に雨漏りがあります。弱い所、欠けた所は、年月の推移で必ず脆くなり、水が漏れます。神からの水脈も同じようで、その人が隠していた罪や弱点は、神に明け渡していないと漏れたり破断してしまいます。祈って神に繋がっていない人は、その隠していることがわからないようです。

「彼らは力から力へと進みシオンで神の御前に現れます。」(7)。大事なことは前進です。うまく行こうと行かなかろうと、神に委ねて進むばかりです。会堂建築も高騰しそうな時に、お金が掛かることが増え、会社やクリニックの収入も落ち込みつつあります。物事は、思い通りに行くものではないと覚悟していれば、大したことではありません。人の弱さも罪深さも、神の大能によれば大したことではないのです。信仰が祝福の呼び水なのです。

詩篇84篇1~12節

  • 84:1 万軍の【主】よあなたの住まいはなんと慕わしいことでしょう。
  • 84:2 私のたましいは【主】の大庭を恋い慕って絶え入るばかりです。私の心も身も生ける神に喜びの歌を歌います。
  • 84:3 雀さえも住みかを 燕もひなを入れる巣をあなたの祭壇のところに得ます。万軍の【主】私の王私の神よ。
  • 84:4 なんと幸いなことでしょう。あなたの家に住む人たちは。彼らはいつもあなたをほめたたえています。セラ
  • 84:5 なんと幸いなことでしょう。その力があなたにあり心の中にシオンへの大路のある人は。
  • 84:6 彼らは涙の谷を過ぎるときもそこを泉の湧く所とします。初めの雨もそこを大いなる祝福でおおいます。
  • 84:7 彼らは力から力へと進みシオンで神の御前に現れます。
  • 84:8 万軍の神【主】よ私の祈りを聞いてください。ヤコブの神よ耳を傾けてください。セラ
  • 84:9 神よわれらの盾をご覧ください。あなたに油注がれた者の顔に目を留めてください。
  • 84:10 まことにあなたの大庭にいる一日は千日にまさります。私は悪の天幕に住むよりは私の神の家の門口に立ちたいのです。
  • 84:11 まことに神である【主】は太陽また盾。【主】は恵みと栄光を与え誠実に歩む者に良いものを拒まれません。
  • 84:12 万軍の【主】よなんと幸いなことでしょう。あなたに信頼する人は。