「喜びの中に生きる。」 詩篇149篇

「まことに御怒りは束の間、いのちは恩寵のうちにある。夕暮れには涙が宿っても朝明けには喜びの叫びがある。」(詩篇30・5)の讃美が夕暮れに浮かんでくることがよくあります。私は愚痴を言いませんし、弱音も吐きません。でも、確かに苦しい時はしばしばあります。自らの弱さと咎を覚え、神の前に祈る時に、その回答かのように讃美が出てくるのです。

今日の説教題は「喜びの中に生きる。」。それは、無理して喜べ、ということではなく、神に喜びを与えられる、ということです。それは、祈りと御霊に満たされることを求めた信仰者にのみ与えられる特権です。生きる限り、問題や困難は次々に起こってきます。しかし、それに囚われたら、平安が無くなり、思い煩いばかりが頭に浮かんできます。私自身、昔はそういうものでした。父となり、牧師となり、事務長となり、社長となり、理事長となり、いろいろな責務を負い、人間問題、経済問題、指導者としての判断が組織を左右する、自分の力で解決しようとしてあがき苦しみ、悩みました。体調を崩し、問題は大きく増えるばかりでした。どうしようもなくなり、祈り、祈り疲れて、寝込むこともありました。そして、主からの平安と恵みが突然私を覆い、涙があふれてくるのでした。そんなことの繰り返しで、今は自分の力であがくことが殆どなくなりました。そして、讃美があるのです。

願いは俗世間を離れて、ガーデニングをしながら讃美と祈りと読書の日々が理想ですが、そのようなことが許されるはずがありません。私には、イエス様が十字架に掛かる為に「一行は、エルサレムに上る途中にあった。イエスは先頭に立って歩いて行かれた。弟子たちは驚き、また、あとについて行く者たちは恐れを覚えた。」という情景が頭に浮かびます。十字架に掛かる苦難の道を一心に歩き、弟子たちはどうしたものかと、驚き恐れたほどだったのです。楽をしてイエス様の一番弟子になろうと争う弟子たちですから、十字架の時に逃げ出してしまうのです。人間は、自分の思考レベルでしか、人を評価できません。ペテロでさえ、イエス様を諫めて怒られます。

パウロは弟子たちに「主にあって喜びなさい。」(ピリピ3・1)と信仰の奥義を教えました。それは、「犬ども。肉体だけの割礼の者」(3・2)が、信仰者を非難し、問題を投げかけてくるからです。問題を見たら、喜べず、信仰も不安定になります。だから、使徒パウロは教えるのだけど、簡単には喜びの奥義を身に着けられるはずがありません。

私の妻は、いつも何か食べておりますが、筋肉も付かず、体重も増えません。よほど燃費の悪い車みたいです。躁鬱気質で、コロナに感染して8日間私に会わず、礼拝に2回出ないと、すっかり鬱になっていました。ところが、隔離生活が解け、私と一日ゆっくり過ごすと、すっかり明るく喜んでいました。私はイエス様みたいです。どこへも、何でも私についてきます。捨ておくわけにはいきません。能力はあるけれど発達障害者です。

自らの弱さ、罪深さを覚えるから神を求め、慕い続けるのです。「敬虔な者達の集まりで」(2017年版)、「聖徒の集まりで」(新改訳第3版)、「主の慈しみに生きる人の集まりで」(新共同訳)、こそ、「主への讃美を」し、喜びを得るのです。

信仰者は、この世に付くか、神に付くかのどちらかを選ばなければなりません。その結果として、この世では試練や批判があるのです。この世の人々に喜ばれようとすれば、魂はそちらに向き、主を慕い求めることはしなくなります。そのようにして多くの人が信仰から離れるのです。

「国々に復讐しもろもろの国民を懲らしめるため、彼らの王たちを鎖に彼らの貴族たちを鉄のかせにつなぐため、また書き記されたさばきを彼らの間で行うため」(7-9)とは、虐げられてきた信仰者の正義のかたき討ちです。このような思いは、この世で享楽に酔いしれてきた人々に罰を与えなければということなのでしょうか。「書き記されたさばきを彼らの間で行うため。これは主にある敬虔な者すべての誉れである。ハレルヤ。」と神の裁きを期待するのは、この世でも正義が行われるという願いで、主にあって辛抱し、敬虔に歩んできた者の報いなのでしょうか。

自分たちの勝利に喜ぶというのは、人間の自然な思いでありますが、実際には神の国に迎えられるということと、裁きの座に司されるということで、現実の勝利が掲げられます。

詩篇149篇1-9節

  • 149:1 ハレルヤ。新しい歌を【主】に歌え。敬虔な者たちの集まりで主への賛美を。
  • 149:2 イスラエルは自らの造り主にあって喜べ。シオンの子らは自らの王にあって楽しめ。
  • 149:3 踊りをもって主の御名をほめたたえよ。タンバリンと竪琴に合わせて主にほめ歌を歌え。
  • 149:4 【主】はご自分の民を愛し貧しい者たちを救いをもって装われる。
  • 149:5 敬虔な者たちは栄光の中で喜び躍れ。自らの床の上で高らかに歌え。
  • 149:6 彼らの口には神への称賛があり彼らの手には両刃の剣があるように。
  • 149:7 それは国々に復讐しもろもろの国民を懲らしめるため
  • 149:8 彼らの王たちを鎖に彼らの貴族たちを鉄のかせにつなぐため
  • 149:9 また書き記されたさばきを彼らの間で行うため。これは主にある敬虔な者すべての誉れである。ハレルヤ。