「人に従うより神に従うべきです。」 使徒5章27~39節

兵庫県知事のパワハラ、鹿児島県警の疑惑、政治家の汚職、いつの時代にも不正はあります。権力を握ると、その権力を強引に行使したくなるのが人間の罪性でしょう。自分の権益が損なわれそうな場合には、強引に権力を用いて利益を守ろうとします。

 「マウント取り」とは、「相手よりも優位な立場に立とうとすること」とネットにありました。「マウンティング」とは、そもそも動物が他の動物の上に乗って、上下関係を示す行動のことを指します。同じ動物同士、集団行動をとるサルなどの動物は、喧嘩や縄張り争いをして勝ち負けを競います。その結果、ボスとその下につくものという上下関係が生まれ、各々の役割が決まるのです。マウントを取りたがる人は、①自分に自信がない、②承認欲求が強い、③自己中心な性格、だそうです。

 しかし、多くの人は、理性と社会性によって、そのような傾向を自制しています。認知症について調べていますが、高齢者が認知症になる割合は5人に1人だそうです。記憶力、判断力、理解力、仕事力、健康などが衰えることによって、自尊心が傷つき、劣等感も感じて、認知症特有の性格に陥ってしまうようです。暴言や暴力、うつ、不安、意欲低下、自発性低下、情緒不安定、無関心などになっていきます。

 思う通りにならない時に、それを受け容れることは難しいことです。高齢者が、そのようになった時に、私たちもそれを許容し寛容でありたいと願うものです。「若い人たちよ、長老たちに従いなさい。みな互いに謙遜を身に着けなさい。『神は高ぶる者には敵対し、へりくだった者には恵みを与えられる』のです。」(Ⅰペテロ5・5)

 また、高齢者も思うようにならないご自分の「思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」(同7)というみことばに委ねましょう。

生きているならば、信仰者でなくても、干渉や押しつけ、暴力、干渉、権力の横暴はあるものです。それに対してどのように対したら良いのでしょう。イエス様が「仕えられるためではなく仕えるために」(マタイ20・28)来られたことは異なり、「偉い人たちは人々の上に権力をふるっています。」(同25)、しかし、「あなたがたの間では、そうであってはなりません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になりなさい。」(同26)。

使徒たちは、多くのしるしと不思議を行い、「エルサレム付近の町々から大勢の人が、病人や、汚れた霊に苦しめられている人々を連れて集まって来た。その人々はみな癒された。」(使徒5・・16)という状況を見て、権力者たちは「妬みに燃えて立ち上がり、使徒たちに手を掛けて捕らえ、彼らを公の留置場に入れた。」(17.18)。「ところが、夜、主の使いが牢の戸を開け、彼らを連れ出し、『行って宮の中に立ち、人々にこのいのちのことばを全て語りなさい。』と言った。」(19.20)

使徒たちが天使によって牢から解放されたことを知っても、大祭司たちは、権威を傘に、使徒たちを責めます。イエス様の十字架の死が自分たちの策力によるにも関わらず、「あの人の血の責任を我々に負わせようとしている。」(28)と言い逃れるのです。

① 私たちの父祖の神は、あなたがたが木にかけて殺したイエスを、よみがえらせました。

② 神は、イスラエルを悔い改めさせ、罪の赦しを与えるために、このイエスを導き手、また救い主として、ご自分の右に上げられました。

③ 私たちはこれらのことの証人です。神がご自分に従う者たちにお与えになった聖霊も証人です。

無学なペテロたちが堂々と、最高法院に反論しました。

多くの人が、問題や難関に出会った時に、それを避けようとし、対面しようとしません。私自身は、その理由と原因を深く追求し祈ります。

2月から兄夫婦の介護について取り組み、具体的な対応を14頁1万3千字でまとめました。教会でも同じようなことが次々に起こると思ったからです。本人たちの老後対策が不十分でした。だからと言って、自己責任として放置はできません。民法には夫婦間、及び直系血族及び兄弟姉妹は介護義務があり、それは放棄できません。多くの場合、放棄できないので、いやいや介護しているようです。

祈りながら、「人に従うより(論理的、状況的判断よりも)、神に従うべきです。」(29)と覚悟を決めました。私自身も歳を取ってきており、仕事も忙しい毎日で、会堂建築にも資金が必要です。そういうことで、なるべく負担を避けようとしたり、逃げようとしたら、神の前に申し訳が立たないと覚悟しました。

困難や難関が、私たちを試すために「神から出たものなら」判断を誤ると「神に敵対する者になってしまいます。」(39)。「神は不公平な方ではありませんから、あなたがたの働きや愛を忘れたりなさいません。あなたがたは、これまで聖徒たちに仕え、今も仕えることによって、神の御名のために愛を示しました。」へブル6・10)

使徒5章27~39節

  • 5:27 彼らが使徒たちを連れて来て最高法院の中に立たせると、大祭司は使徒たちを尋問した。
  • 5:28 「あの名によって教えてはならないと厳しく命じておいたではないか。それなのに、何ということだ。おまえたちはエルサレム中に自分たちの教えを広めてしまった。そして、あの人の血の責任をわれわれに負わせようとしている。」
  • 5:29 しかし、ペテロと使徒たちは答えた。「人に従うより、神に従うべきです。
  • 5:30 私たちの父祖の神は、あなたがたが木にかけて殺したイエスを、よみがえらせました。
  • 5:31 神は、イスラエルを悔い改めさせ、罪の赦しを与えるために、このイエスを導き手、また救い主として、ご自分の右に上げられました。
  • 5:32 私たちはこれらのことの証人です。神がご自分に従う者たちにお与えになった聖霊も証人です。」
  • 5:33 これを聞いて、彼らは怒り狂い、使徒たちを殺そうと考えた。
  • 5:34 ところが、民全体に尊敬されている律法の教師で、ガマリエルというパリサイ人が議場に立ち、使徒たちをしばらく外に出すように命じ、
  • 5:38 そこで今、私はあなたがたに申し上げたい。この者たちから手を引き、放っておきなさい。もしその計画や行動が人間から出たものなら、自滅するでしょう。
  • 5:39 しかし、もしそれが神から出たものなら、彼らを滅ぼすことはできないでしょう。もしかすると、あなたがたは神に敵対する者になってしまいます。」