「夫よ。互いに従い合いなさい。」 エペソ5章20~33節

 現代社会の価値観、考え方は、かなり聖書からずれています。先週お話ししたように、性道徳の退廃はひどいものです。少子化が問題になっていますが、その背景には性道徳の退廃もあり、家族の在り方も原因です。そして、教会を含めた、成功思考、エリート思考、模範的な問題なき人間になりたいという考えもあります。子どもを優秀にするために教育や家庭環境を良くしなければならず、お金を掛けなければならないと考えるのです。

 従って、父親も母親もお金を稼いで良い塾や学校に通わせようとするのです。そして、高級マンションに住み、高級ブランドのものを身に付け、学歴や社会的地位、職業を競うのです。そんなことを優先していたら、信仰を持つゆとりもありません。

 私自身は、子どもに英才教育をさせようと思ったことはありません。中学受験を上の二人にさせたのは、失敗経験をさせる為でした。この二人は頭が良かったので優秀な学校に行きましたが、3人目は中卒です。あとは、なるようになるという子育てです。海外にはなるべく連れて行きました。日本社会だけの価値観を身に付けていては人間としてダメになると考えたからです。

 先週は、健康指向が聖書的ではないと語りました。今日は、優秀な人間になろうとすることも人間をダメにすると語ります。一生懸命勉強して優秀な大学に入り、官僚や大企業入社、或は士業に就くというのが、日本の出世コースでしたが、それが日本社会をダメにしました。知恵がなく、心の通わない、人生の機微を知らない人が社会をリードすることになったからです。そして、それらエリート以外も、少しでもエリートに近づこうと努力を重ねた結果、人格は形成されず、家庭の温かさや交わりはなくなり、人の評価を能力で見るようになったのです。

 聖書は、「心を尽くして主に依り頼め。自分の悟りに頼るな。」(箴言3・5)と言います。この世の風潮とは、全く逆です。人生が、神の国に行くための試金石であるとしたら、自分の悟りや打算ではサタンの罠に陥るでしょう。多くの人が、道を踏み外し、愛し合うことや平安な道から逸れてしまったのは、自分の思惑で生きたからです。

 信仰者の家庭も、そのような打算の思惑で打撃を受けています。父親や夫の評価を、稼ぎや優しさ、職業や地位で査定してはいけません。

妻のことも、料理が上手い、優しい、よく働く、樹淳であるなどで、値踏みしてはいけません。そういうように、人の評価・査定するのが現代社会の悪なのです。お隣の国は、人の評価が好きで、上下関係を意識し、要求します。だから、女性は子どもを産む意欲もなくなってしまうのです。C国も、私が読んだ古書にみられる「大人」はいなくなったようです。稼ぐことに集中しているようです。これから予想される大不況に痛手を被るでしょうが、C国の歴史は元々混乱と争いなので、C国人はへこたれないでしょう。その信仰が実利的なことは心配です。

聖書は、「いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって、父である神に感謝しなさい。」(20)と命じます。多くのクリスチャンが、自分にとって良い時、都合の良い時だけに感謝するようになってしまいました。私自身、体調が悪くなった時に、「癒してください。」と祈るのは、いつも私を見守っておられる神に対して不遜であるということに気が付きました。

パウロは、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである。」(Ⅱコリント12・9)という奥義を体験し、「キリストの力が私を覆うために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」(同)と告白しました。

ですから、夫に力や優しさ、能力や才覚を求めるのは、不信仰者です。妻に、同様なことを求めるのも同じです。大事なことは「キリストを恐れて、互いに従い合いなさい。」(エペソ5・21)ということです。

「自分の妻を自分のからだのように愛さなければなりません。自分の妻を愛する人は自分自身を愛しているのです。」(28)。妻へも夫へも、思い通りのことを要求せず、優しく愛するならば、主の御心の中で、神の国への道を歩むことができるのです。

ただ、実際には、現実社会では、能力や才覚を評価し、或は、不器用に生きる人を見下げることは多くあります。教会がこの世に「血の塩」「世の光」(マタイ5・13.14)として存在する意義は、愛し合う神の家族として大きなものなのです。

エペソ5章20~33節

  • 5:20 イエス・キリストの名によって、父である神に感謝しなさい。
  • 5:21 キリストを恐れて、互いに従い合いなさい。
  • 5:22 妻たちよ。主に従うように、自分の夫に従いなさい。
  • 5:23 キリストが教会のかしらであり、ご自分がそのからだの救い主であるように、夫は妻のかしらなのです。
  • 5:24 教会がキリストに従うように、妻もすべてにおいて夫に従いなさい。
  • 5:25 夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自分を献げられたように、あなたがたも妻を愛しなさい。
  • 5:26 キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、
  • 5:27 ご自分で、しみや、しわや、そのようなものが何一つない、聖なるもの、傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。
  • 5:28 同様に夫たちも、自分の妻を自分のからだのように愛さなければなりません。自分の妻を愛する人は自分自身を愛しているのです。
  • 5:29 いまだかつて自分の身を憎んだ人はいません。むしろ、それを養い育てます。キリストも教会に対してそのようになさるのです。
  • 5:30 私たちはキリストのからだの部分だからです。
  • 5:31 「それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである。」
  • 5:32 この奥義は偉大です。私は、キリストと教会を指して言っているのです。
  • 5:33 それはそれとして、 あなたがたもそれぞれ、自分の妻を自分と同じように愛しなさい。妻もまた、自分の夫を敬いなさい。