「教会は神の大能が満ちておられる。」 エペソ1章17~23節 

災害や災害の予測が多くありながらも、政府や政治は不祥事が続発し、社会も犯罪が頻発し、さらにSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)による偽情報や個人攻撃もあり、将来予測は酷くなる一方です。「電話で詐欺」も頻発し、教会員にも「オレオレ詐欺」が掛かって来たそうです。すべてに共通することは、「金第一!」でしょうか。

 それでは経済予測はどうでしょうか。ヨーロッパでは、けん引役だったドイツが没落し、イギリスも不振です。凄まじい数の難民の流入に加えて、ロシアの戦争の影響もあります。アメリカもバイデン大統領の下で政府支出が莫大なものとなり、トランプが大統領となればアメリカ中心主義となって他国には関知しなくなり、ロシアや中国の攻勢が増大します。日本は、労働力不足と賃金値上げによって中小企業が倒産し、大企業も世界への対応力を欠いて潰れていくでしょう。バブル期に育った世代は、危機管理能力や総合力が十分でなく、経済の衰退に対応できず、また相次ぐ災害に日本社会は崩壊していき、犯罪や暴力がはびこるでしょう。

 終末とは、「今は恵みの時、今は救いの日です。」(Ⅱコリ6・2)が終わる時であり、「世が終わる時のしるし」(マタイ24・3)が続く時です。つまり、「戦争」(6)、「民族紛争」(7)、「飢饉と地震」(7)、これらは既に起こっています。注意しなければならないことは、恵みの時代と艱難時代の在り方・生き方は全く異なるということです。

 艱難時代においては、「人々はあなたがたを苦しみにあわせ、殺します。…人々に憎まれます。多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合います。また、偽預言者が大勢現われて、多くの人を惑わします。不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えます。」(マタイ24・9-12)と言うようになるのです。もはや恵みの時代ではありません。これを理解していないと、クリスチャンは大変な被害に遭い、苦しむことになります。信仰の友を確認し、なんとしても互いに助け合うことが必要なのです。だから、私たちは準会員制度を設けました。既に教会成長時代ではなく、教会が吟味され、試練を受け、世の嵐を乗り越えなければならないのです。これを悟っていない教会や信仰者は罠に陥るでしょう。

 さて、クリスチャンにとって最大の敵は進化論でしょう。進化論に立てば、神の創造は否定され、人間も動物も一緒になり、男女の区別もなくなり、同性愛も同性婚も認められ、生命の尊厳もなくなります。ナチスの時のように、人種や能力による判別が為され、能力のない人は捨て置かれるようになります。AIが人間にとって代わられ、少数の優秀な人間だけが優先される社会が形成されるでしょう。実際、世界はそのように動いています。

 それらを知って、神はおられるのか、と疑問を持つ人もいるでしょう。私には、そのようにして、さらに艱難辛苦を通して、神は人を峻別しているように思います。既に、「恵みの日」は過ぎ去り、裁きの日になっているのです。もはや、神は人間社会を平和に保とうと考えておられないのです。それは預言通りです。人間は、自己中心という罪人なので、自分たちに都合の良い神を期待するのです。まるでわがままな子供のように、神に叫んでも無駄です。そもそも、口先で信仰を告白しても、誠実に信仰生活を過ごしていない人が神の国に相応しくないのは当然です。

 パウロは、仮死の状態で神の国を体験し(Ⅱコリ12・4)、「私は、キリストのゆえに、弱さ、侮辱、苦悩、迫害、困難を喜んでいます。」(同10)と告白しています。私自身も、神体験を多く積んでいるので、人々の批判や攻撃、そして無理解も気にしていません。むしろ、人々は、このようにして自分の不信仰や無信仰を正当化し、神の前に罪を積み上げているとしか考えていません。神は、ご自分の国に入ることを簡単には認めないのです。

 要は、確かに救われた者は、何があっても躓かず、試練を耐え抜くのです。そして、「あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しにより与えられる望みがどのようなものか、聖徒たちが受け継ぐものがどれほど栄光に富んだものか」(18)を悟っているのです。

 教会とは、形式的に地上の教会をそのまま意味するものではありません。しかし、その教会でどのように生きるかが、信仰の尺度なのです。地上の教会でおざなりの信仰生活を生きる者が、真の教会に属しているとは思えません。教会には多種多様な人々が集っています。ある時は、ある人に躓き批判をすることもあるかもしれません。しかし、それはその人が裁かれるのです。「人は、口にするあらゆる無益なことばについて、裁きの日に申し開きをしなければなりません。」(マタイ12・36)。

「見よ、わたしはシオンに、つまずきの石、妨げの岩を置く。この方に信頼する者は失望させられることがない」(ロマ9・33)。躓きを乗り越えて教会に仕える者は、「教会はキリストのからだであり、すべてのものをすべてのもので満たす方が満ちておられるところです。」(23)を体験するのです。

エペソ1章17~23節

  • 1:17 どうか、私たちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。
  • 1:18 また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しにより与えられる望みがどのようなものか、聖徒たちが受け継ぐものがどれほど栄光に富んだものか、
  • 1:19 また、神の大能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力が、どれほど偉大なものであるかを、知ることができますように。
  • 1:20 この大能の力を神はキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上でご自分の右の座に着かせて、
  • 1:21 すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世だけでなく、次に来る世においても、となえられるすべての名の上に置かれました。
  • 1:22 また、神はすべてのものをキリストの足の下に従わせ、キリストを、すべてのものの上に立つかしらとして教会に与えられました。
  • 1:23 教会はキリストのからだであり、すべてのものをすべてのもので満たす方が満ちておられるところです。