「キリストは教会を愛された。」 エペソ5章23~33節

未だに男尊女卑の国々が多く、社会や会社、組織でも女性の立場は低く、社会的活躍が制限されるだけではなく、差別や迫害が女性に対してなされていることは多くあります。聖書は、「ユダヤ人もギリシャ人もなく、奴隷も自由人もなく、男と女もありません。」(ガラテヤ3・28)と偏見や差別を否定しています。

差別や偏見、更には競争心や比較は、その人の劣等感の現れであって、自分の存在を他人との比較において優位に置くことによって自尊心を満たそうとするからです。女性に対する差別、学歴の差別、貧富の差別、民族の差別、などをする人は、人格が疑われます。人格を形成するということは、そういう比較をせず、自らの基準によって生きることを求めることによってできるものです。

 私自身は、貧しく教養もない家から育ちましたから、向上心だけでなく、競争心も、自慢もありました。しかし、クリスチャンになり、聖書に教えられ、キリストの人格に触れて、毎日の祈りの中で自らを悔い改め、差別や比較の考えからの聖めを求めています。

 それでも、嫌なことや関わりたくない人はおります。悪人、自分勝手で自己主張の強い人(傲慢)、愚かな人(恥を知らない人)、愛するということを知らない人、言い訳ばかりで努力をしない人、とは関わりたくありません。

 悪くなっているのに、改善の努力をしようとしない組織とも関わりたくありません。お金を無駄に使う組織や人も好きではありません。神を信ぜず誠実さのない人とも関わりたくありません。終末が予想される現代では、誰とでも親しくなろうとすると危険です。

 さて、今日は、夫婦の関係とキリストと教会の関係についてお話しします。まず、結婚しようとする時、差別をする人や誠実でない人は避けるべきです。学歴や能力、貧富、などは関係ありません。昔は、「三高」と言って、高学歴、高収入、高身長の男性が求められました。最近は、「3K」と言われ、「価値観の一致」、「金銭感覚の一致」、「雇用形態の安定」が求められています。

 教会では、結婚の時、「この結婚が神の御旨によるものであることを確認しますか。」ということだけが条件です。後は、「神の教えに従って、夫としての分を果たし、常に妻を愛し、敬い、慰め、助けて変わることなく、その健康の時も、病の時も、富める時も、貧しき時も、いのちの日の限り、あなたの妻(夫)に対して堅く節操を守ることを約束する。」という誓いが必要です。この誓いを必ず守ることが大事で、言い訳は通用しません。

試練というものは誰にもあり、苦しくてどうしようもないこともあるものですが、そんな時に伴侶を否定したり、攻撃したりしてはなりません。それを二人で乗り越えることが大事なのです。まして、不倫は、生涯に亘ってその人を不幸に追いやります。それは、協力して生きることを阻害してしまうからです。

「妻もすべてにおいて夫に従いなさい。」(24)とありますが、コロサイ書には「主ある者にふさわしく、夫に従いなさい。」(3・18)とあります。つまり、夫が十全であるとは限らなくても、神を信じる者ならば従うことができるということです。

 「夫たちも、自分の妻を自分のからだのように愛さなければなりません。自分の妻を愛する人は自分自身を愛しているのです。」誰しも、攻撃されたり、事故に遭いそうな時は、自分の身を守ります。瞬間的な対応として、妻も守る行動が取れるかどうかが、大事です。疲れていても、私たち夫婦はおお互いを思い遣る行動を普通に取ります。むしろ、自分のことは二の次にして伴侶を助けます。それは自分のことはわかるけれども、伴侶のことは自分ではわからないからこそ、自分よりも大事にするのです。

 さて、それはキリストと教会の関係であると聖書は語ります。「この奥義は偉大です。私は、キリストと教会を指して言っているのです。」(32)。

 教会とは原典ではエクレシア「召し出された者の集まり」という意味ですが、イエス・キリストが十字架で私たちの罪の代価として死んでくださったことによって、私たちは救われました。つまり、いのちを懸けて私たちを救ってくださった故に、教会があるのです。「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自分を献げられたように、あなたがたも妻を愛しなさい。」(25)。妻を愛することが命懸けであるからこそ、夫婦が真に愛し合うことができるのです。自分中心に生きる人が人を愛するのは、自分の都合に合わせてであって、状況が悪くなれば、愛さずに打ち捨ててしまうのです。

 そういう面で、結婚するということは、その人の真実が現れる恐ろしいことです。「金銭感覚の一致」などは、夫婦の利害と状況によって直ぐに崩壊します。「価値観の一致」も、裕福で都合よくいっている時は一致していても、夫が仕事で忙しくなる、妻は子育てや生活においまくられる、などの状況では直ぐに崩壊するのです。「雇用形態の安定」などは、今後起こる不況や社会崩壊では殆ど難しくなります。

 「神の御旨」によって結婚することになったことを信じれば、どんな状況でも乗り越えるべき試練であり、ハイキングのようなものです。結婚の誓約を軽んじて、簡単に離婚する人は、幸せになることを自ら放棄したことになります。神を信じるとは、自分の都合の良い生き方を望まずに、どこまでも伴侶と一緒に生きることなのです。

エペソ5章23~33節

  • 5:22 妻たちよ。主に従うように、自分の夫に従いなさい。
  • 5:23 キリストが教会のかしらであり、ご自分がそのからだの救い主であるように、夫は妻のかしらなのです。
  • 5:24 教会がキリストに従うように、妻もすべてにおいて夫に従いなさい。
  • 5:25 夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自分を献げられたように、あなたがたも妻を愛しなさい。
  • 5:26 キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、
  • 5:27 ご自分で、しみや、しわや、そのようなものが何一つない、聖なるもの、傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。
  • 5:28 同様に夫たちも、自分の妻を自分のからだのように愛さなければなりません。自分の妻を愛する人は自分自身を愛しているのです。
  • 5:29 いまだかつて自分の身を憎んだ人はいません。むしろ、それを養い育てます。キリストも教会に対してそのようになさるのです。
  • 5:30 私たちはキリストのからだの部分だからです。
  • 5:31 「それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである。」
  • 5:32 この奥義は偉大です。私は、キリストと教会を指して言っているのです。
  • 5:33 それはそれとして、あなたがたもそれぞれ、自分の妻を自分と同じように愛しなさい。妻もまた、自分の夫を敬いなさい。