「主は私の周りを囲む盾、私の栄光。」詩編3編

先週に続いて私の心に浮かんできたのが、「あなたはわが盾 わが歌 わが砦 平和のきみ 力の神 とわの父 わが神 わが主よ わが神 わが主よ」という讃美です。これはユーチューブにありました。

 先週、この世の人は、知識によって生き、情報によって惑わされ、弱音を吐き、愚痴を言って挫折し敗北していくことをお話ししました。ただ、実際には、そのように生きている人々は、純真に神を信じ、信仰によって生きている人々を非難し、攻撃します。それは、私たちの存在が、神の実在を示すことになるので、不信仰者は、「神様、神様」と言って生きていけるものかと、意地になって攻撃してくるのです。

 妻が医局に居た時には、夜中も日曜も働かないし、「子どもをころころと生んで」、きちんとしたマナーもなく、勝手なことをすると非難されました。私もまた、信仰によって生きるということは、経済的保証もないし、仕事も能力もないということで、非難され、攻撃されました。人と交流しないで生きたいと思ったものです。

今でさえ、働き過ぎだ、だから病気になったのだ、と言われる始末です。そういう日本的無難な生き方は、信仰によって生きる人々を突き刺してしまうのです。「無理をするな。」というのは、「神を信じないで生きろ。」、「神を頼らないで能力と体力に応じて生きろ。」ということになるのです。実際には、ガンは二人に一人がなり、無理をしてもしなくてもガンにはなります。ガンになったのは事実ですが、無理をしたからとしたら、無理ができなくなります。

神を信じて生きるということは、無理であろうとなかろうと、神の導きと自分の果たすべき使命に生きるということです。妻の手術はうまくいき、守られました。経済的にもがん保険があり、却って祝されました。病気や入院を体験し、多くのことを学びました。今後も、養生しなければならないことは事実ですが、がんになったことで、私たちの生き方が間違っていたとは思いません。無理をしていたとも思いません。他の人には、多くのことをし、多くの業績を為してきた私たちが無理をしているように思われるかもしれませんが、私たちは楽しく充実して生きて来ました。

「患難さえも喜んでいます。」(ローマ5・3)という奥義は、困難や苦労を避けようとする日本的この世的生き方を排除します。牧師先生たちのフェースブックでは、妻のがんを聞いて、「癒しのためにお祈りします。」という言葉でした。人に対する言葉は、「祈ります。祈っています。」で十分なのです。私たちにとっては、無理をしないで、使命を果たすことを怠るよりも、苦しみと弱さがあっても神より与えられた導きに従って生きることの方が大事なのです。「与えなさい。」(ルカ6・38)。そうすればなくなります、ではなくて、「そうすれば、自分も与えられます。」が聖書的解答です。

 「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。」(Ⅱコリント12・9-10)

 がんになったことで、妻は自分の身体を労わり、大事にするという医療的奥義を学びました。私は、妻を労わり、大事にするということを更に学びました。私たちは、これまで多くの試練や困難がありましたが、だからといって、妥協したり、おざなりの生き方をしたりしてはいません。困難や弱さを体験するほどに、神が直接的に「弱さのうちに完全に現れる。」ことを体験してきたのです。

 「信仰がなくては神に喜ばれることはできません。」(へブル11・6)ところが、多くの信仰者が、困難が起こるとたちまち、信仰ではなく、不信仰に陥ってしまうのです。神の業は、能力によってなるのではなく、信仰によってなるのです。だからこそ、「弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじ」ることが大事なのです。

 日常生活で日本人が普通に語っている言葉や風習が、実は不信仰と惑わしの種となることに繊細でなければなりません。善意の言葉が、人の心の奥にまで立ち入って、信仰と希望を腐らせてしまうのです。

 日々いつも祈り、自分の心をチェックする必要があります。そして、自らの魂が、次のようあることを確認しています。

① 平安と喜びに満ちているか。

② 希望をもって前進する心構えでいるか。

③ 敵意や恨み、怒りや欲望に捕らわれていないか。

④ 冷静な判断と状況分析をしながら知恵に満たされているか。

人生は霊の戦いです。「私は声をあげて、主に呼ばわる。すると、聖なる山から私に答えてくださる」という主との交流を続けてください。

詩編3編

  • ダビデがその子アブシャロムからのがれたときの賛歌
  • 3:1 【主】よ。なんと私の敵がふえてきたことでしょう。私に立ち向かう者が多くいます。
  • 3:2 多くの者が私のたましいのことを言っています。「彼に神の救いはない」と。 セラ
  • 3:3 しかし、【主】よ。あなたは私の回りを囲む盾、私の栄光、そして私のかしらを高く上げてくださる方です。
  • 3:4 私は声をあげて、【主】に呼ばわる。すると、聖なる山から私に答えてくださる。 セラ
  • 3:5 私は身を横たえて、眠る。私はまた目をさます。【主】がささえてくださるから。
  • 3:6 私を取り囲んでいる幾万の民をも私は恐れない。
  • 3:7 【主】よ。立ち上がってください。私の神。私をお救いください。あなたは私のすべての敵の頬を打ち、悪者の歯を打ち砕いてくださいます。
  • 3:8 救いは【主】にあります。あなたの祝福があなたの民の上にありますように。 セラ