「御心の奥義。」 エペソ1章4~11節

 人は、死を恐れ、有限な存在であることを意識して、弱肉強食の争いの中で忙しく時を惜しんで働いてきました。そして、人を配慮していたら、自分が生き残れないとして自己中心、罪びととして歩んでいるのです。「罪が死によって支配した」(ローマ5・21)のです。

 有限な人生に対抗して、不老不死を求めたり、長寿を求めたり、それが適わないという自覚の中で、子孫を増やして自分の存在を残そうとしたわけです。家系の重視は、そのような意識の反映でしょう。ところが、最近は生涯独身の人や子どものいない夫婦も増えてきて、そのような願いも潰えてしまいそうです。

 聖書では、「差し迫っている危機のゆえに、男はそのままの状態にとどまるがよい、と私は思います。」(Ⅰコリント7・26)、「独身の女や未婚の女は、身も心も聖なるものになろうとして、主のことに心を配ります」(同34)と、永遠のいのちを約束されている者として、主の再臨に備えなさいと教えています。

 実際、子どもがいないと財産を継げない、自分の老後の世話をしてもらえない、と危うく思ってきたものですが、社会福祉の向上によってどうにか対処できるようになりました。それでも、姥捨て山は、介護施設に代ってきたかもしれません。

 永遠のいのち、とは、そのような恐れを排除する約束です。

1. 死後の恐れがなくなります。

2. 時の制約を考えないでいられます。

3. 成功や財産など問題ではなくなります。

4. 能力や条件、そして健康や身体の優劣は関係なくなります。

5. 家族や人の結びつきにこだわらなくなります。

6. 運・不運、境遇、環境などにこだわらなくなります。

7. 考え方や価値観が変わり、信仰に生きるようになります。

 ところが、実際には、信仰をもっても、そのような考え方になれない人が多くおります。それは、教会が信者にしっかりと教理を教えていないからです。「初めにことば(ロゴス)があった。ロゴスは神とともにあった。ロゴスは神であった。」(ヨハネ1・1)と語られるように、イエス様は、ロゴス(論理、神のことば)であり、その働きはロゴスとして理解するべきなのです。

信仰は先週お話ししたように、スピリット(霊)が大事ですが、神の在り方はロゴスなのです。論理的でなければ健全な信仰生活は営めません。だからこそ、牧師になるには神学校教育をきちんと修めなければならず、勝手に牧師を名乗る者は異端に繋がるのです。また、それは自修ではなく、人に指導され他の献身者と共に学ぶことが必要です。アメリカでも、そのような自称伝道者がいますが、現在では中国に多く、信仰に功利主義的なものを取り入れてしまっています。

 日本でキリスト教が浸透しないのは、日本的な考え方が各人の心に浸透してしまっていて、聖書の教えに置換していないためであると考えています。先ほどの7点でさえ、殆ど定着していません。死を恐れ、病気を危惧し、却って身体を弱めています。

 信仰者なのになぜ成果を急ぐのでしょう。神と共に過ごす時間を十分に取らないのでしょう。御心よりも人の目を気にしてしまうのでしょう。御心を行うよりも、優秀な人間になろうと自分を見つめてしまうのでしょう。自分を変えようと努力し、神の備えたそれぞれの賜物に目を留めないのでしょう。神の家族よりも、どうして家族を優先するのでしょう。自分の損得にこだわり、打算して生きるのでしょう。

 終末とは、神が全ての人を裁くときであると教えても、この世の損得を考えて生きてしまいます。そういうことが罪であり、自分を滅ぼすことになるということを考えないで、皆がしているというこの世的算段をしてしまします。

 自分の罪を認め悔い改めて、救いを求め信じるという信仰が、現実の生活に適用されなければ、その信仰は偽りのものとされます。神は救い主であると同時に裁き主であり、この世に迎合する者は、神の国に迎え入れられることはありません。神が見ておられることを信じていなければ、そのようなことは適当にして二股をかける生き方をすることになります。

 悔い改めていれば、神は赦してくださるという安易な教えは聖書にはなく、この世の考え方です。「時が満ちて計画が実行に移され」(10)る時になりました。神をあなどるか、真実に生きるか、簡単なものではありません。

エペソ1章4~11節

  • 1:4 すなわち神は、世界の基が据えられる前から、この方にあって私たちを選び、御前に聖なる、傷のない者にしようとされたのです。
  • 1:5 神は、みこころの良しとするところにしたがって、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。
  • 1:6 それは、神がその愛する方にあって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。
  • 1:7 このキリストにあって、私たちはその血による贖い、背きの罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。
  • 1:8 この恵みを、神はあらゆる知恵と思慮をもって私たちの上にあふれさせ、
  • 1:9 みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。その奥義とは、キリストにあって神があらかじめお立てになったみむねにしたがい、
  • 1:10 時が満ちて計画が実行に移され、天にあるものも地にあるものも、一切のものが、キリストにあって、一つに集められることです。
  • 1:11 またキリストにあって、私たちは御国を受け継ぐ者となりました。すべてをみこころによる計画のままに行う方の目的にしたがい、あらかじめそのように定められていたのです。

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MYoshi
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